みぃちゃんの頭の中はおもちゃ箱

略してみちゃばこ。泣いたり笑ったり

アップルミントの若芽もひょっこり

2012年03月16日 21時23分37秒 | 草木をめでる
アップルミントも新しい芽を出しています。

2cmあるかどうかの小さな小さな芽です。

今年も盛大に茂ってくれることを期待しています。

去年は既に3月中旬に新芽を続々と伸ばし、4月下旬にはこんもりと茂っていました。

mint0065.jpg: アップルミントの新芽が続々
2011年3月中旬の様子

mint0078.jpg: ミント3鉢
2011年4月下旬の様子

ところが、今年はようやく芽吹いたところです。それだけ寒かったのでしょう。それだけ寒くても、冬の間ずっと鉢をベランダに放置していた私です。



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米粉のラーメンを初体験

2012年03月14日 22時59分23秒 | デイリーお気楽グルメ
米粉を使ったラーメンを初めて食べてみました。

通常、ラーメンは小麦粉で作りますが、このラーメンは小麦粉のほかに米粉も使われています。以前、小麦の価格が高騰したときに、小麦粉の代わりに米粉を使う動きが活発化し、米からパンを作る家電 (ゴパン) が爆発的に売れて増産も間に合わなかったことを思い出しまた。ただし、その小麦価格騒動とこのラーメンは別のようです。

麺はもちもちとして、とても弾力が強く、歯ごたえがあります。食べ終わるまで麺がだらりと伸びることはなく、歯ごたえを楽しめます。

私は、一般的な乾麺をゆでるときには、たいてい麺がほぐれたところで火を止め、丼に盛ります。3分もゆでると麺が伸びてしまい、おいしくないからです。ところが、この米粉ラーメンは3分しっかりゆでないと十分に火が通りません。その点だけ注意して作っています。

汚染されていました

2012年03月13日 22時58分23秒 | 日常のあれこれ
1年前に福島第一原子力発電所で事故が起きました。

関東地方にも放射線量の高い地域が広がっています。私が通った小学校も、学校中のあちこちで0.1~0.4μSv/hの線量が検出されています (測定は昨年冬とのことです)。この線量を1年間浴び続けると、2~3mSvに達します。私が通った幼稚園もしかり。驚くほど高い線量ではありませんが、浴びるのが自然放射線だけなら年間1mSvにも満たない地域です。私が育った地域も放射性物質でしっかり汚染されました。

小学校も幼稚園もあまりよい思い出はないので、特別な悲しみがわき上がるわけではありません。しかし、学校が汚染されたということは、その近くも同じ程度に汚染されたということです。

ペンペン草を摘んだ土手も、
大好きだったラーメン屋さんも、
シロツメクサで花輪を作った公園も、
ギンナンの実を拾った神社も、
駅前のスーパーも、薬屋さんも、

懐かしの地が丸ごと汚染されました。

しばらく訪れない間に、いつの間にか汚染されていました。

とりあえず、事実だけ書き留めます。

「ないです」と「ありません」

2012年03月12日 22時42分26秒 | お仕事・学び
「その中にはないです」
「使ったじゃないですか」

もともと「ありません」と言っていたところで「ないです」と言われることが最近めっきり増えました。いかにも無教養な言葉づかいなので、私も使いたくないのですが、つい引きずられて「……ないです」と言ってしまうことが少なくありません。

「ありません」ではなく「……ないです」。

「ないです」という言い方はどこから来たのでしょうか。これだけ広く使われるということは、それなりの根拠があるのでしょう。

似た表現として、形容詞の丁寧表現として形容詞の終止形に「です」を続ける形が挙げられます。

形容詞の丁寧表現としては、かつて「ございます」を使っていました。
美しい → 美しゅうございます
高い → 高う (たこう) ございます
ところが、このような丁寧表現がやや古めかしくなり、格式ばった表現と捉えられるようになって、形容詞の終止形に直接「です」を続けて言うようになりました。
美しい → 美しいです
高い → 高いです
終止形に直接「です」を続けるのは新しい表現です。会話には使えても文章として書くには抵抗がありますし、改まった場面で使いにくいところから、日本語としてまだ十分に定着していないと考えられます。しかし今のところ、形容詞の丁寧表現はほかに言いようがなく、会話では広く許容されています (このブログでも採用しています。このブログの文体は、記事の性格に応じて、話し言葉、話し言葉と書き言葉の中間、書き言葉のいずれかを選択しています)。

形容詞の丁寧表現のようにほかに致し方がない場合はともかく、既に「ありません」という言い方があるにもかかわらず「ないです」と言うのには強い抵抗があります。どうしても無教養に聞こえてしまうのです。それでも、周囲の「ないです」に引きずられて私も「ないです」と言ってしまうことがしばしば。くやしい。