皆さんは気になりませんか?
世界の、あらゆる機関、制度が逆転機能の現状にあります。
例えば、ユネスコやWHOと言った機関が、世界遺産を選定したり、何処かの組織を特定して選考する時、現代では、その基準となる要素は、殆どの場合選考する側にとって最も都合の良い対象を選びます。
基本的には、機関の主旨に添った価値感に依り選考されるべき対象が、時と共に変貌するのです。
その機関や組織に属する者の都合です。 時には人間関係に依り時には、損得勘定に由って変わるのです。
その場合、選定機会の数が必然的に増えます。
近年、世界遺産の数が増え、ノーベル賞の受賞者が多数になっているのは、そこに原因があるのです。賞をやるから喜べ、選定してやるから感謝しろって言われているように感じませんか?
こういう表彰制度が、多重化し評価を落とす結果になっています。
受賞する側も、それを承知の上で歓喜しているのが現状です。
ある意味、お祭りの行事のように受け止めれば寧ろ、喜ばしい事として考える人も居るようですが、本来の表彰制度や評価基準を考えるなら、希少である事にこそ価値が認められるべきでしょう!
オリンビック初め、数ある催しに、この傾向が強くなっています。
ですから当事者は、日本で言う”おもてなし”に期待するようになる訳です。
特に日本のように、表彰や資格を重要視する国では相乗的に、この傾向を強めます。
確かに、日本では資格や地位が物を言います。
私は、皮肉れ者ですから、誰かや何処かから、表彰してやると言われれば、私が価値を認めない相手に、表彰してやると言われても、嬉しくないし断るでしょう!
国から表彰されるより、幼い子供から、おじいちゃん有り難うと言われる方が余程、嬉しいです。
この子たちには、損得勘定が無いからです。
感謝や歓喜の感情には、損得はありません。
現代の表彰や奨励の背景には、私利私欲が蠢いています。
そうして、受賞の為には手段を選ばないような連中も増えています。
文化や芸術、スポーツまで汚れて来ているのです。
もっと、純粋で美しいものを欲しています。
本当に美しいもの、素晴らしいものが他にあるような気がしてなりません!
皆さんは、何が嬉しいですか? 何を誉めて欲しいですか?
世界の、あらゆる機関、制度が逆転機能の現状にあります。
例えば、ユネスコやWHOと言った機関が、世界遺産を選定したり、何処かの組織を特定して選考する時、現代では、その基準となる要素は、殆どの場合選考する側にとって最も都合の良い対象を選びます。
基本的には、機関の主旨に添った価値感に依り選考されるべき対象が、時と共に変貌するのです。
その機関や組織に属する者の都合です。 時には人間関係に依り時には、損得勘定に由って変わるのです。
その場合、選定機会の数が必然的に増えます。
近年、世界遺産の数が増え、ノーベル賞の受賞者が多数になっているのは、そこに原因があるのです。賞をやるから喜べ、選定してやるから感謝しろって言われているように感じませんか?
こういう表彰制度が、多重化し評価を落とす結果になっています。
受賞する側も、それを承知の上で歓喜しているのが現状です。
ある意味、お祭りの行事のように受け止めれば寧ろ、喜ばしい事として考える人も居るようですが、本来の表彰制度や評価基準を考えるなら、希少である事にこそ価値が認められるべきでしょう!
オリンビック初め、数ある催しに、この傾向が強くなっています。
ですから当事者は、日本で言う”おもてなし”に期待するようになる訳です。
特に日本のように、表彰や資格を重要視する国では相乗的に、この傾向を強めます。
確かに、日本では資格や地位が物を言います。
私は、皮肉れ者ですから、誰かや何処かから、表彰してやると言われれば、私が価値を認めない相手に、表彰してやると言われても、嬉しくないし断るでしょう!
国から表彰されるより、幼い子供から、おじいちゃん有り難うと言われる方が余程、嬉しいです。
この子たちには、損得勘定が無いからです。
感謝や歓喜の感情には、損得はありません。
現代の表彰や奨励の背景には、私利私欲が蠢いています。
そうして、受賞の為には手段を選ばないような連中も増えています。
文化や芸術、スポーツまで汚れて来ているのです。
もっと、純粋で美しいものを欲しています。
本当に美しいもの、素晴らしいものが他にあるような気がしてなりません!
皆さんは、何が嬉しいですか? 何を誉めて欲しいですか?