hisakunnのブログ

日米の民主主義崩壊

菊地被告の無罪、確定?

2017-12-28 01:25:33 | 日記
日本の裁判、裁判所も検察庁も怪しい判断が多過ぎるのでは? 検察が出す不起訴の決断の根拠が、一般の国民には大変、解り辛いのです。

オウムの被害者にとって、この菊地被告の無罪を、どう理解すれば良いのか? 死刑が確定しても平均して、20年以上、執行されない日本です。

それにしても、企業の社会性や責任を考えれば、関係者の刑罰が輕過ぎるし、怪しい不起訴や、起訴猶予め多い。

増して、政治家の犯罪など殆ど、ウヤムヤなままに時が過ぎて行く。かと言えば、関わる裁判官次第で、判決が大きく変わってしまいます。

真実が、どうかではなく、運が悪かった、良かったで大きく左右されてしまいます。美濃加茂市長の裁判も、本当は、どうなのか?なんて不明です。

一方、韓国では、日本との間の慰安婦問題での政府間の協定が問題視されている。日本的に言えば、政府間の約束ごとだから、韓国に守れと言う。

今では国連の決め事さえ、何の効果も無い時代なのです。 当事者の慰安婦達の意向を無視して話し合いをしても、国民から納得を得られるはずがない。

日本政府にして見れば、パク・クネや関係者を上手く丸め込んでの話し合いだったのだろうが、そんなに甘いものではない。

結局、あの約束ごと以前の状態に後戻りしてしまったのです。 最近の、特に安倍政治は極めて浅はかですね❗

トランプ大統領にはら尻尾を振り、ヨーロッパへ行っても、その場だけの愛嬌を振り撒く。アジアやロシアは、アメリカを無視したかのような振る舞いをする。

何処にも、一貫性がありません。 日本の裁判の判決に似ています。 何が正義かも、その場によって変わってしまいます。

だから、死刑を判決しても中々、執行が出来ないのでしょう! 裁判官に、確たる信念や思想が無いからです。

それだけ、信念や思想が持てなければ、死刑制度を無くせば良いのですが、奴等には、その信念も無いのでしょう!

日本の何処が駄目なのか、Part3!

2017-12-28 00:00:55 | 日記
この前のブログでも述べたのですが、繰り返しになるかも、重複するかも知れませんが、日本人に目覚めて貰う為に、書きます。ふ

日本だけではないですが、私も日本に居るので、日本の現状について気になる点を記しておきます。

日本にある色々な機構や組織、体制が長年の杜撰な管理や変貌により、中身は全くのゴミ屋敷状態になっています。 何故、この状態が延々と続くのでしょうか?

全ての、こうした仕組みの中で誰もがエゴを追求しているからです。 確かに人間、誰しも楽が良いのでしょう!

亭主、元気で留守が良いの発想です! しかし、永き未来を想うなら、為すべき必要なことは成さねばならないのです。

体制の側、権力者の側は絶えず、我が身の安泰を望みます。 戦後の日本で図られて来たことは、政権の安泰でしょう。 悪いことではありません。

安泰を望む余りに、自分達の影響力を拡げることばかり考えて来ました。仕組みを複雑にする必要が、ここに在ったのです。

つまり、国家の予算を、より大きくすることによって、予算に群がる連中を掌握出来ると考えたのです。この人心の掌握が選挙の時に、大いに役立つからです。

世の中を複雑にすれば、するほど関わる人間の数が増えます。すると権力者側の影響力は益々、大きくなり権力に尾を振る輩も増えます。

日本のあらゆる方面に、複雑なカラクリが重複するのです。 この複雑さは想像出来ないほど、縺れた糸のような状況を造ります。

政治の世界だけでなく、法律の世界にも拡がります。この縺れた糸の状態が、容易に解せない環境を造るのです。

政治家も官僚も、縺れた糸を解そうとはしなくなります。 例えば、住民ガードを作成するなら、住民の情報を簡素化して、手続きを容易にしないと複雑になり過ぎて、不必要な手間が掛かるようになります。

相続や不動産の登記手続きも、必要以上に手間が掛かるのです。 その結果が、現在の所有者不明の土地を増やすことになるのです。この規模が九州と同じ広さの土地というのです。法を変えれば簡単に、名義は替わります。

ところが、こんな簡単な作業さえしようとする努力が出来ないのです。

昨今の日本が、発展途上の国の勢いに付いて行けない状態になっているのです。 今のままでは日本は どんどんと遅れていきます。

つまり、如何に良い制度が出来ていようと、国民の為には複雑さが解消されなければ機構は麻痺し、組織は疲弊するのです。

体制の側が、メディアを利用し自分達の都合の良い情報ばかりを流していても、都合の良いのは一時的な場合が大半です。 見せ掛けの数字や虚飾に満ちた情報は、直ぐに見抜かれます。

一家の主婦が、町内会のドフ掃除に参加して、家に帰ると、我が家がゴミ屋敷状態というのと同じです。

今の日本は、機能麻痺や制御不能の機構、仕組みが溢れています。簡素化出来るところは簡素化し、古い慣習は廃止して身軽になる必要があります。

慣習や判例も必ずしも、良いとは限りません。 日本にとって、本当に必要なものが何なのか? 考え直す時が
来ています。

古いものに倣うだけでは、発展や繁栄は一時的なものになってしまいます。