ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

JAZZのヴィブラフォン

2015年12月17日 | 日記
 夕食後”ライブ”の雰囲気が欲しくなった。
 少し・酔狂の精であろうか・・・?
 色々と選択するなか、気分的に・JAZZとなった。
 ミルト・ジャクソン・レイブラウンの五重奏団に、たどり着いた。
 頂いたお酒を”チビチビ”とやりながら、身体は自然と動いている。
 そして、考えた。
 ヴィブラフォンの奏者は、現在でも居るのか?と言う疑問がわいた。
 JAZZ以外では、居るのでしょう。
 ミルト・ジャクション・平岡 精二・前田 憲男さんくらいしか知らない私である。
 何だろう?
 どうしてだろう?
 JAZZ楽器としては、受け入れられないの?
 なんて、想いながら最終章を迎えていた。
 
 
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咲くに咲いたが・・・!

2015年12月16日 | 日記
 わしゃあー・どうすればいいんじゃぁ!!
 咲いてみたけど、どうも様子が変じゃぁ!
 どうなんとんの?
 と、梅の木の叫びが聞こえてきそうである。
     
 今日(12月16日)朝・目覚め、朝食を頂いている時、窓辺に置いた”梅の木”を見た。
 今にも咲きそうに、蕾が大きく膨らんでいる。
 此処までに至れば、咲かなければならないだろうなぁ?と思った。
 21時頃、開花した。
 ”とりあえず!お前・裂いてみろ!”と云われて、咲いてはみたものの、可笑しな世界(季節感)に、梅の木も、困惑しているのでしょう。
 今日の絵日記の絵(写真)の説明。 写真、左より1から4とする。
 写真1:朝食時(9時頃)の様子
 写真2:15時頃の様子
 写真3:そして、開花を知った21時頃の様子
 写真4:「梅の木」の様子である。
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「梅の開花」のニュース

2015年12月15日 | 日記
 香川県高松市で「梅が開花した」と言うニュースを観た。
 暖かかったり・寒くなったりで”(気温との)お付き合い”が遣りにくい昨今である。
 今後・寒くなるという天気予報で、暖房用の灯油を買いに行った。
 セルフのお店が、近隣に二軒ある。
 990円/18Lと言う表示に誘われ、ポリタンを持って出掛けた。
 プリペートカードに、2000円を入金する。
 二缶(18L×2)購入出来るとの、判断であった。
 しかし、二缶目は途中で終了してしまった。
 何の事はない”税別表記”であった。
 消費税が8%となって”値上がり感”と、税別表示であったり、税込み表示の、お店が混在し、ややこしい!
 加えて「軽減税率」が論議されており、今以上に”ややこしくなる気配”である。
 支払いをする時点となって「えらい・高かったなぁ!」何て云う気分に成るのでしょうねぇ!
 政府・与党の論議をみていると”参議院対策では??”と、疑心暗鬼となる。
 何よりも、ナケナシの金(税金として)を支払わされ、本当に社会保障費に使われるのか?と言う疑問が払拭出来ない事も寂しい。
 年末にして”春を予感”するニュースと、寒々しい気分にさせられるニュースが混在する。
 当分の間、見守り続けなければ成らないのでしょうねぇ!
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今日は12月14日

2015年12月14日 | 日記
 今日は、赤穂穂浪士が吉良邸に、討ち入ったとされる日である。
 歴史的に正しく認識している事・そうでない事、最近の歴史研究で改められた事、テレビ番組を興味深く観た。
 そして、想い出していた。
 父が、昭和20年代と思われる時代に、町内にあった演芸場”A座”で「寺坂 吉右衛門」を演じた時の写真である。
 父には、南方戦線を経験した”カッチャン”という友人がいた。
 私は、ご本人の前では「おっちゃん!」ではあるが、時として「カッチャン」と称していた。
 そして、カッチャンは、芝居での女形が得意で、戦時中にも戦友達の慰安に勤めたと聞かされていた。
 このカッチャンが、座長となって、素人集団での「忠臣蔵」を”A座”演じたそうであった。
 何故、父が「寺坂 吉右衛門」を選んだのかについて、聞いた事があるが、今となっては記憶にない。
 幼き頃の私のふる里には、一級河川があり、川上で木材を筏に組み、川を下って、集積場となっていた。
 当時の国鉄の駅から分岐線があり、木材運搬用の線路が存在していた。
 そして、川の両岸には製材所が点在し、多くの職人・工員も居た。
 その地に娯楽場”Å座”があった。 
 芝居や人形浄瑠璃、浪曲、時として映画も上映していた。
 また、我家にはカッチャンやターやん、みずた・たなかのおっちゃん等、多くの人が良く訪れて”酒宴”と成る事が多かった。
 夕刻となると、父が仕事をしていても、酒宴が始まる。
 接客が終わった時点で店仕舞いをして、父も加わる。
 会話の”声”の主人公は、決して”父”ではなかった。
 そして”お世辞にも、歌う事も上手な、父ではなかった。
 蛇足ながら、母の方が上手かった。
 それでも、ある歌しか唄う事もなく、声の大きさも・それほどでも無い、父の存在感が大きかった様に、子供心に残っている。
 12月14日から、忠臣蔵となって、父が素人演芸で演じた「寺坂 吉右衛門」に至り、父の歌声とつなげた。
 今となっても、強烈に想い出されるのは、父親から「歌を唄え!」で、私は「歌えん!」
 父は「”はとぽっぽ”でも良いから唄って聞かせろ!」と指示(命令?)する。
 酔狂とは言え、父からの指示(命令)である。
 父達の面白おかしく会話している中で”みずたのおっちゃん”は芸者さん直伝の歌唱であるらしいこと。
 そして”かっちゃん”は、浪曲から流行唄まで、幅広く精通した”本職の様なもの”であること。
 子供心のプレッシャー?の中、指示されるままに唄っていた。
 カラオケ等は無い、酔狂の手拍子が、伴奏であった。
 ”会”を重ね”雀の学校”が、私のレパートリーとなった様に思う。
 しかし、私も学習した。
 子供が、唄う事が出来ない”唄”を、聞きかじりに覚え、今でも唄えるのである。
 「土手の高いのが交番所に知れて・・・」から始まる歌であるが(大人になったと思う)今もってしても、意味不明である。
 父は「人と話しする時は”眼”を見ながら話せ!・人に臆するな!」が口癖であった。
 例えば、歌を唄わなければ成らない時には、潔く・臆することなく”唄え”と言う事であったのでしょう。
 そして”眼を見ながら”に関しても、会話が円滑に運ぶ事について実感している。
 父母と伊豆地方を旅行した時、観光バスで移動中に”カラオケ・タイム”と成った時、自ら「おんなの宿」を歌うことが出来たのは20数年が経過していた。
 父も、寺坂 吉右衛門さんとの面会の順番がきて「貴殿の事を演じさせて頂いた」何て話しが出来ていれば嬉しい。
 父を思い出された12月14日であった。
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どうした事であったのだろう!

2015年12月12日 | 日記
 過日、母の法事があって、帰省した。
 孫や曾孫達が参集し、賑々しくあり、厳粛ななかに営まれた。
 やがて、法事も終わったことから、帰路についた。
 孤独で・単調にして、緊張感を持っての行程である。
 ただ何となく流れる音楽が、癒してくれる。
 十人程の歌手のアルバムを記憶させ、機械任せで・ランダムに流れる音楽(楽曲)を聞く仕組みである。
 「あれぇ!この歌手・何と言う名だった??」 想い出せない。
 そして、その次の歌手の名も、思い出せない。
 何曲目か・で、美空 ひばりが、そして、北島 三郎と続いた。
 これは、歌手の名は出てきた。
 結局、石川 さゆり、八代 亜紀、河島 英五、坂本 冬美、吉 幾三の、五人の名が出てこ(想い出せ)なかった。
 気掛かりと、イライラが重なった気分が増幅していく。
 どうにも、収まらないので、SAで停車し、調べた。
 「あっ!そうだった」となって記憶を取り戻す事が出来た。
 今は「此れは、誰々」と云い当てる事が出来ている。
 どうして、あのような事が起きたのか、全く分らない。
 以前、日記にした、同じ様に、帰省しての帰りに、宇多田 ヒカルの楽曲を聴いていた。
 「この人のお母さんは?」と、想い出せなかった。
 「誰だった?」
 「前川 清と結婚してたねェ!」
 唄っていた唄は「〇〇の夢は夜開く」
 そして、遂に「圭子の夢は・・・」と云うところまでたどり着いた。
 しかし、ロジックは進んでも”藤”に到達出来たのは、自宅に到着する直前であった。
 今回の様に、大勢の歌手の名が、一度に思い出せなかった事は始めてであった。
 前記のとおり、今は、何のためらいもなく、言い当てられている。
 あの時、私に何が起きていたのでしょうか・・・??
 
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貰ってもくれないモノを造り続けて

2015年12月11日 | 日記
 「此れ・欲しい!」と云って頂くと嬉しいものである。
 自分が造ったものを”欲しい!と云ってくれる”と言うことは、造る側と、受取る側の”価値観”が同じと言うことではないだろうか!?
 と!なると、私の価値判断と、私以外の人達との間に、乖離が生じているか、私の独断的な行動による事になる。
 上手い事できた!と、自己満足をしている私が滑稽である。
  
 今日の絵日記の絵(写真)は、最近・造った”照明具”である。
 ”此れ・欲しい!”と云ってもらえなかで、相変わらず造り続けている。
 庭の雑草を、2日間程”押し花”にしたものを、牛乳パックから”紙”のアクセントとして生成したものである。
 草花によっては、押し花を、紙化(紙すきの際、封入)する際、草花の色が滲んで”景色(草花)”が呆けしまう。
 長時間、押し花にするより、短時間で押し花(圧着)にする方が、色の滲みが少ない事を体験的に学んだ。
 週刊誌などに挟んで、極力・重量のあるものを重石にして、色落ち(枯れない)しない時点で取り出す。
 取り出すタイミングは、紙すきをする直前となる。
 不思議な事に、花の色持ちは、紙の中に封印しているためか、長時間(一年以上)持続する。
 気に入った瓶があると、自然と「シェードは、この様なカタチにしよう・・!」と体が動くのである。
 たとえ、人(他人)にどう思われ(価値判断され)ようと、工夫を凝らして造り上げていこうと思う。
 
 
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こんじんさん御免なさい!

2015年12月10日 | 日記
 夏などでは、パンツ一枚・裸足で元気に走り回って遊ぶ(現存する、一枚の写真から察する)なか、排尿を催す事は多々あった。
 野外では、所謂”立ちション”を演じる事となる。
 「こんじんさん御免なさい!」は、幼少期に、祖母・母から強く教えられた”呪文”である。
 地には「こんじんさん」・海や川には「すいじんさん」・天空には「てんじんさん」が居ると教えられた。
 そして、お断り(この呪文?)を云って、お許しを貰わなければ「チンチンが腫れるよ!」と脅された。
 「土地(大地)には”こんじんさん”が居られる。その”こんじんさん”の頭に、小便を浴びせるのか!?」と言う教えである。
 同様な場面に至った時、私の口癖は、今も「こんじんさん御免なさい!・すいじんさん御免なさい!」である。
 ”〇〇(地域の名)の連れション!”であったとしても、御同類には、聞こえてはいないでしょう。
 心から許しを、乞いなさい!との教えであったから・・・
 そして、この様な些細な事であっても、世代送り(子への伝承)は、出来ているだろうか?と、心細さ(心配)も感じた「針供養」の日(12月8日)であった。
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無知で無学な世界

2015年12月09日 | 日記
 繰り返し観ている「高橋 真理子」のライブ映像である。
 このライブ映像の中で、時とし・吹奏楽器を、そして、時として・ギター&キーボード他を、演奏する人に関心を抱いていた。
 多彩に演奏活動をするものだ!と・・・
 関心事の・この人は、高橋 真理子さんの夫・ヘンリー広瀬さんとの事である。
 ”音楽”には親しんでも、民謡踊りの、リズム楽器(太鼓・鐘)しか出来ない私である。
 単独の楽器に特化しない・その技に”神様”の様な想いがする。
 何で!こんな(多様な楽器を扱える)事が出来るの・・!と
 超人の様な人が、世の中には居るんだぁ!と感心する。
 オームの法則を知っている人を、知らない人は、凄い!と、思うのと同じではないか?と言う人も居る。
 異業種であれ”頭脳的知識と、技術力(実技)が合致しない”と云う事も有る。
 音符は理解できても、楽器は操作出来ない、若しくは特定する楽器しか(演奏)出来ないと云う事も有るでしょう。
 弦楽器(ギター・ピアノ)や電子楽器(キーボード)そして吹奏楽器をも”演奏”が出来る事が、私にとって”特異な人”と思うのである。
 只々・感心しながら、観て(鑑賞して)いる私である。
 
 
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無駄にして、馬鹿と思える挑戦?

2015年12月08日 | 日記
 パソコンに納められているゲームに「フリーセル」と言うものがある。
 ボケ防止にと!始めたものである。
 ”生産性”のない、他人から「馬鹿か!」と云われることに挑戦している。
 ゲーム自体は、余暇の活用であったり、ボケ防止という側面からは価値はある。
 しかし、パソコンが表示する”勝率を100%にしてやろう!”と言う無謀な・価値もない”戦い”への挑戦中である。
 現在、5669回・挑戦し、5668勝で、勝率99%と表示されている。
 正確な勝率は「99.98236%(12月7日現在)」である。
 今後、ゲームに勝ち続けたとしても、既に・1回は、負けている。
 従って、勝率100%には成りえない。
 でもね! ボケ防止だけの目的より、100%になるのではないか?と言う”微かな望み・目的”を持って挑戦することも、亦・アリかなと思うのである。
 永遠に続くと思える、無謀な挑戦である。
 判っちゃいるけど、ヤメラレナイ!!
 あぁ!云ってしまった。 云わなきゃ知られなかったのに・・・!
 
 余計で・序(ついで)の話し。
 エクセルの「ROUNDDOWN」の様なコマンドが、このゲームの「勝率」計算に仕込まれていて、小数点以下・切捨てなんてことに、なっていれば、天文学的数字の回数を行っても”100”には成らないでしょう。
 注:ROUNDDOWNは「計算結果を、指定する桁数以下を切り捨てる」ことを指示(命令)するもの
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此れもバイクの価格???

2015年12月07日 | 日記
 ホンダは、2190万円の”バイク”を販売(市販)すると言うニュース(Net)をみた。
 一輪あたり一千万円である。
 この価値評価方法は何の根拠も持ち合わせていない。
 ただ、尋常でない高額な・途方も無い価格の”バイク”である。
 このニュースの前「忘年会ツーリング」において、一輪あたり250万円のバイクの展示を見ていた。

 このバイクを観ての感想は(価格的に)「最早・バイクの域を超えている」と率直に思った。
 排気量は1.8L越で、フル装備である。
 しかし、これにも勝る、排気量1Lで2000万円越え・・・である。
 バイクにして、私の思想にして、破格的な価格である。
 自然と、もしも機会があれば”観てみたい・触れてみたい・跨いでみたい”そして”あわよくば乗車してみたい”と思ってしまう。
 メーカーが言うフラッグシップモデルというまでのレベルの”バイク”に興味を持たないことは不自然である。
 世の中、驚かされる物事は、多種多様。
 身近な、関心事に”血”が騒ぐのである。
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物足りなさを感じて!

2015年12月06日 | 日記
 先の、忘年会ツーリングで、神戸淡路鳴門自動車道の、鳴門大橋を走行する様子を、バイクに取付けたビデオカメラで、撮影した。
 そして映り具合を確認した。
 「無音の映像って、無機質で観られたものでない」との感想である。
 映像と音があって、臨場感が伝わってくるものである。
 何故、録音が出来ないか!と言うと、全天候型とする為、防水ケースに入れている。
 防水であるという事は、密閉度が高いという事にもなる。
 ヘルメットに、無線(アマチュア無線)用のマイクが装備されている。
 アンプのジャンク(撤去品)を活用して、防水ケース内で小さなスピーカーを鳴らして、音声(実況)や風きり音・バイクの排気音を捉えてはどうかと考えた。
 その為には、ケーブル(信号線)をケースに通すためには”穴”を開けなければ成らないリスクはある。
 しかし、潜水して使うものでなく、防滴程度で良いと思っている。
 只今・製作中。
 出来上がったらレポート(報告)します。
 
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この荒天は、ど云うこと!

2015年12月05日 | 日記
 一昨夜(3日)は、家をも揺るがす強風が吹いた。
 そして、翌日も吹く風は、強烈だった。
 台風の襲来であっても、これ程までに、家屋を揺るがし・身体に感じる強風は年間、有るか・無いかではなかろうか!?
 言い換えれば、それほどまでにも、穏やかな地域であると云えるのである。
 幼少期に過ごした実家は、台風によく見舞われ、停電もよく起きていた。
 台風の襲来で、戸締りが必要となり、停電ともなれば、家業も休業となる。
 家族が、唯一の照明である、ロウソクの灯りに集まってくる。
 会話であったり、ゲームをしながら、台風の過ぎ去るのを待つのである。
 台風の怖さもありながら、、父などと過ごす時間が心地良かったと記憶している。
 窓や、戸を叩く風の恐怖はあるが、家族が一同に介することは、この様な機会しかない。
 怖いけど、来ないかなぁ!と思ってしまう。
 幼少期に受けた”恐怖心”は、時代と伴に薄らぎ、穏やかなこの地で住まい、尚更・台風に対する恐怖心は薄らいでいる。
 ”恐怖(災害)は、忘れた頃にやって来る”である。
 近所のスレート屋根が強風で、破れたのか?バタバタと、今ある状況を訴えている。
 暫くすると、音はしなくなった。
 外れたスレートは、飛ばされてしまったのであろう。
 台風なら、進路に関わる地域に限定される。
 しかし、日本全土を被う、巨大な台風が、居座っている様な状態である。
 気象学に知識はないが、日本列島に”9本もの等圧線”が存在している事が原因であるという。
 「エルニーニョ」さんの影響らしい。
 気象学は、難解である。
 自然現象・・・仕方ないか!???
 この様な体験は、記憶にない。
 日記に留めて、記録として残したい。
 
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”お返し?”

2015年12月04日 | 日記
 
 織部の酒器と酒をセットで頂いた。
 贈り主は、先日・結婚式を挙げた、兄の孫である。
 彼女の結婚式の写真撮影をして、DVDプレイヤーで観える、フォトアルバム(動画付)で提供した。
 その・お返しであった。
 気恥ずかしく「気を使うなやぁ!」と礼をいうと「おっちゃん!有難う・・・」
 気をつかってもらって有難う!・・ね。
 大切に使わせていただきます。
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過ぎる日

2015年12月03日 | 日記
 時間の経過は時代の積み重ねであり、時代的経過を振り返れば、奥行きがある。
 歩んできた歴史である。
 彼を知り・共に仕事をし・酒を酌み交わし、年月の経過と伴に、年に一度の御機嫌伺い(年賀)が通年となっていた。
 この様な通年であった過ぎる日(2015年11月)に、新年の挨拶状が出せない事情(日記「訃報連絡(2015.11.13)」)から、彼の訃報を知ったのである。
 そして、過ぎる日、遅きに資したが、弔問をさせて頂いた。
 地理・不案内(記憶が乏しくなっていた)ではあったが、微かな記憶をたどって訪問を試みた。
 ”彼”が導いてくれたと思える結果であった。
 廃業し、看板などの確かなモノは無かった。
 しかし「彼の自宅であることは、間違いは無い!」と確信した。
 記憶を頼って、ご実家(ご両親が家業を営んでいた)の裏側にある、彼の自宅の玄関に起った。
 インターホーンのボタンを押せども、返事が無い。
 持参した御供え物を、置いて帰ろうとした。
 その様な時に、一台の自動車が、車庫入れをしている。
 奥さんであった。
 此れもまた、彼の差配であろうか・・?
 ご位牌の前への案内を受け、拍手(かしわで)の真似事をして、彼の位牌に礼拝した。
 気丈に振舞われ、私の知る・彼の奥さんであった。
 病を発症し、死に至る十年ほどを語って頂いた。
 時として笑みを浮かべ、時として悲しの表情で”彼の死”を語っていただいた。
 病名が付いたのが一年前(程)であったという。
 所謂・難病であった事を明かしていただいた。
 その”死”が、余りにも早かったこと、そして、突然であったこと。
 今もって「何処に居るの?トイレ?」と、声をかけながら、探す日常であると言う。
 如何に、思いもしない事であったかを、察するに余りある。
 早々に退出する心準備で望んだ弔問であったが、有に一時間を越えて、話題は尽きなかった。
 「良い、お写真(遺影)ですね!」
 「そうです。(数年前=発症後)同窓会での写真です。主人の笑みある(最近の)写真は、此れだけです」
 闘病生活を支えた過去と、今ある気丈夫に振舞う笑顔が、悲しかった。
 そして(今は亡き)彼には「(闘病生活は)辛かったでしょう。安らかであれ・・・」と願うものである。
 
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バイク仲間の、今年の忘年会

2015年12月02日 | 日記
 忘年会・宿泊は、徳島県鳴門市の「グランドエクシブ鳴門」である。
 淡路島のイベント会場から移動した。9台のバイクと10人は15時過ぎに到着した。
 そして、一台のバイクと二台の乗用車、5人と合流した。
 寂しい一人組みの9人と、ご夫婦三組、15人での開催である。
 シャトルバスで、ゴルフのフロントがある施設(建物)に移動する。
 テーブル席で、二卓が準備されていた。
 お決まりの”とりあえずビール”で乾杯する。
 提供された料理は、和食のコースもの?で、未だに身に付かない作法である。
 提供側の都合に合わせて、食べなければ成らない等の制約を受けるのである。
 ガサツな私には、味わうまでには届かない。
 目の前に提供される料理が並び、好き勝手に食べれる”ルール”が、合っている様である。
 とは云え、提供される料理は美味しく頂いた。
  
 絵日記の絵(写真)の説明
 写真・左:忘年会の施設、フロントフロァーの様子
 写真・右:”前菜”と言うことで良いのだろうか? 最初に出されたモノである。
      ”器で食べさせる”との会話があった。とは云え、それ程”デリカシー”と言うモノを持ち合わせていない私である。
      
 やがて、会場を宿泊する建物に戻って、ラウンジで二次会となった。
 JAZZの弾き語りが会場を覆う。
 演奏を聴けば会話が疎かになる。
 会話に夢中になれば、声が大きくなって、演奏を聞いている人の邪魔になる。
 加減が難しい。
 やがて、就寝時間となって、自室へ帰り眠りについた。
 今年も、楽しい語らいと共に、想い出深い忘年会は終わった。 
 
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