ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

何が何だか・・?

2017年03月16日 | 日記
 夕刻・固定電話に「0120・・・」の番号表示の着信があった。
 今までに何度か着信があって、見覚えのある番号であった。
 応答しなければ、此れからも掛かってくる!と思って受話器をとった。
 私が契約している、通信会社を名乗った。
 「プロバイダー代金が無料になるご案内です」と、女性の声である。
 「プロバイダーは・・?」と聞くので、利用しているプロバイダー名を答えた。
 「無料になる対象です。パソコン操作をして頂きます」
 そして「パソコン操作の担当者と代わります」と、一方的である。
 「一寸・待たんかい! 一方的に言われて”はい!そうします”とはならんやろう!」
 対応する女性から「お考え下さい」と、終話した。 
 受信側は、名乗る「通信会社」の是非を確認する手段がない。
 表示される電話番号では、名乗る会社であるか否かは、判断出来ない。
 私は、電話番号から会社を特定する能力(記憶させる)は、持ち合わせていない。
 私の名や、私が、何処の通信会社と契約しているか?等は、知られていると思うのが普通だろう!
 本当だった!かも知れない。
 でも!立ち止まって考えてみたかった。
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春を感じたくて・・・!

2017年03月15日 | 日記
 
 今日の絵日記の絵(写真)は「アステオ」(と、言うらしい)である。
 和名「アフリカ金盞花」
 花言葉は調べるサイトで異なり、色々ある様なので、気(記)にしない事にした。
 桃(の盆栽)が”枯れた”事は日記にした。
 そして、アボカドを種子から育て、樹高が1mを越えるまで成長した事も、過去に日記にしている。
 アボカドを「観葉植物」としていたが、葉っぱが大きく・幹は細い。
 観葉植物としての魅力がない!と、御退任願った。
 御退任願ったものの、青いモノ(観葉植物)が、無くなって「何なの・この温かみの無さは・・?」と、思う様に成った。
 周囲は、無機質なモノばかり・・!
 何か”温かみ”ほしい!と、思い続けていた。
 その思いがピークに達した時「還付金が・・・(入る)」と”悪夢”が目覚めた。
 そう!”捕らぬ狸の皮算用”で、皮の枚数は判ったが、入金が無いのに当てにして・・!!
 結果的に(400円を投じて)”安らぎ”が欲しく、買い求めていた。
 帰宅し・空き鉢に、庭土を加えポットから解放し、寄せ植え(二株だけど・・)にした。
 世話をしてやれば、来年も花を付けるらしい。
 「草花を愛でる」は、この世の中、人間だけが持つ感性である。
 我が家にも、春が来た・・・・!!
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どんなにして・・・続編

2017年03月14日 | 日記
 不思議な光景を観て、3月10日に日記(「どんなにして・・・」)を書いた。
 不思議と思った”謎”が解けた。
 作業員が居たので聞いた。
 何の事は無かった。
 「残土で、川底への導入路を造って、干潮の時に、水門を開けて水位を下げ、川底を通って設置した」という。
 彼らにとって、疑問も無く・問題も無く・取り留めて云う事も無い事なのでしょう・・・!
 話しを聞いて、疑問に思った事が「バカみたい!」
 でもね!
 疑問に思う事・探求する事が、大事じゃない・・?
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無駄なこと・・?

2017年03月13日 | 日記
 年度末の細やかな”仕事”・・・!
 「確定申告」である。
 画定申告の時期が来て、まだ日はある!
 まだ大丈夫!
 金曜日(10日)にはやろう!
 そして、金曜日になった。
 「あれぇ! 納税(国民健康)書がない」
 てな事で!今日・市役所に行き証明書を受けて来た。
 「eーTax」で処理し、書式をプリントアウトした。
 添付書類を貼付し、提出書式は揃った。
 一昨昨年まで、Net申告をしていた。
 しかし、昨年は、原因は不明であるが、電子申告が出来ず、税務署に出向いて提出した。
 今年は”郵送”で処理しようと思っていた。
 駐車場に制限が有る事が告知されていたためである。
 しかし、出来上がった”提出書類”をみて「やはり直に提出しよう!」
 自動車で出掛けた。
 片道・約11Km
 税務署への導入路に繋がる最後の交差点、私は右折する。
 信号待ちをしていて気付いた。
 対向車線で、左折シグナルを出しながら停車している車両が、多数・居た。
 渋滞していて進入出来ないのである。
 「あかん! 止めよう!」
  ”何も生らない裏の柿木”
 帰りながら「あぁ!無駄な事をしたなぁ!」と反省しきり・・・
 帰宅し、郵送処理をした。
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想いに遠く及ばず・・・ 続編

2017年03月12日 | 日記
  
 ”分不相応”にも、彫り物に挑戦した事を日記にした(日記「想いに遠く及ばず・・・(2017.2.17)」)
 今日の絵日記の絵(写真)は、造り上げた四体の「わらべ地蔵(擬き)」である。
 左からが、製作順位である。
 造る度に、異なる「顔立ち」となっている。
 手本に近づけようと、削る余り”ふくよかさ”が無くなり”風貌”自体も異なっている。
 求める対象物(手本)がありながら、同じ”造りモノ(作品)”が出来ない。
 素人の証である。
 でも、熱中する心・・少年志(少年の様な志し)を持続している事が嬉しくも!ある。
 二体目以外は、桐材である。
 桐材では、細部の”表現”・・例えば、目や口の部分は出来ない・・私は・・
 残そうとした細かい部分が残らない。
 欠落してしまうのである。
 ”腕(技術)”もないのに「下種の勘繰り」で、材質に責任を転嫁して今の心情である。
 しかし、檜は良いよ・・!
 削る度に、良い香りがする。
 仕上がりも、色つやがあって良い。
 でも、硬い(桐に比べ)!
 加えて、節でもあれば最悪である。
 次回の、山行き(ツリーハウス造りのお手伝い)で、切り株の”芯部分”を持ち帰りたいと思っている。
 そして、挑戦を続けたい。
 努力で、能力を上回るとは思えない。
 近い将来・己の現実・限界を知る事に成るでしょう! 
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黙祷をささげる

2017年03月11日 | 日記
 6年前の今日、あの悪夢の大災害は起きた。
 今年も、午後2時46分から一分間・黙祷を捧げさせて頂いた。
 今もって、帰宅できない被災者が多く居る。
 現在の”技術力”をもってしても・・・
 どれ程の災害であったか?計り知れない。
 私は、2015年5月に、被災地を訪れている。
 (日記「富士へ、そして東北へ(2015.5.14)」&「明日、出発です(2015/5/21)」等々)
 訪問するに当たって、悩みもあった。
 行っても良いんだろうか・・・?
 TVで、被災者の方達が「来て下さい!」と、歓迎する意を現す場面があった。
 「行こう・!」(日記「被災された東北方面に行くにあたって・・(2015.6.16)」)
 ”被災の現実を観に行く!”と、意を決した。
 表現力が無いが「百聞は一件に如かず」と云う言葉で言い表せるだろう・・
 TVで、どれ程・詳細にレポートされても”体感”に勝るものない事を学んだ。
 被災の今日・黙祷を捧げながら、観て来た光景が思い出された。
 
 今日の絵日記の絵(写真)は5枚である。
 左より、写真1~写真5とします。
 尚、これ等の絵(写真)は、過去の日記に添付したモノであるが、記憶に残る光景として再登板となった。
 写真1:津波で押し流された鉄道敷、鉄橋だけが残る光景は、異様であった。
     帰宅後、調べて更に驚いた!津波の”力(破壊力)”に!である。
     線路も枕木も流出させる計り知れない破壊力! 常識(私の)では計り知れない。
 写真2:津波に押し流されずに残った住居、これは南三陸町で見掛けたモノである。
 写真3・4:国道45号線に設置された”標識”である。
     10数Kmにも及ぶ区間もあり、津波の脅威が見て取れた。
 写真5:除染作業の状況である。
     撮影する事が憚れて、鮮明な写真ではない。
     一直線に並ぶ”袋”に、汚染土が入っている様で、最終的に、土中に埋める様であった。
     写真・右下に写っている黒い筒状(直径1m・高さ1.5m程)のモノは、汚染土を封入した処理前の状態である。
     至る所で、同様な作業をしている事を見掛けたことから広範な”作業”である事が理解できた。
 
 避けては通れない”自然災害”であったとしても、余りにも大きな犠牲を払った貴重な教えである。
 かけがえのない”命”を守る手段として活かさなければ成らない。
 
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どんなにして・・・?

2017年03月10日 | 日記
 
 今日の絵日記の絵(写真)は、油圧ショベル(ショベル・カー)である。
 何で、このを描いた(添付した)かと云うと「どんなにして入れた(搬入した)んだろう・・・?」と、思ったからである。
 東日本大震災から、耐震対策・耐震補強が強く言われる様に成った。
 近くにある”樋門”も対象となった様で、震災から数年(1年程経ってからだったかなぁ?)後、工事が始まった。
 この樋門の付近は、日記にもした、アオサギや鴨などの水鳥が集まってくる場所である。
 犬くんを散歩に連れ出した時、工事の担当者が居たので聞いてみた。
 「永い工事やなぁ!。今年(今年度)で終わるの?」
 「いや! 終いは来年(度)・・・や!」
 限られた予算の中で執行しているとは言え、繰越工事の連続で、受注側も大変だと思う。
 この絵は、樋門の上流で、工事(止水壁の除去)をする為、油圧ショベルが設置されたと考える。
 この樋門は、水門が二門あり、片方ずつ堰き止めて、耐震補強工事を行っていた。
 海側の止水壁(土嚢と土)は、撤去されている。
 残るは”矢板”の撤去である。
 写真でも判る様に、護岸に隣接し、人家もある。
 どの様にして、重機(油圧ショベル)を搬入したんだろう・・? と、思い日記にした。
 注:写真の手前は、道路ではあるが、護岸壁と水路があり、通常の搬入は出来ない。
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宅配で思うこと!

2017年03月09日 | 日記

 思い起こせば、生活用品の配送を委託したのは、学生時代からであろうか・・?
 国鉄・今のJRである。
 親元を離れ生活する為に必要なモノ!・・それは布団であった。
 赴く場所への乗車券を購入すると同時に、布団袋の乗車券である「チッキ」を購入する。
 駅には、配送する荷物を計量する窓口があった。
 「チッキ便」で送ったモノは、2~5日を経過して、受け取り駅に到着していた。
 受け取った荷物は、自己責任で搬送(駅から自宅などへの)する。
 戸口から戸口へは、運送会社による「混載便」と、郵便扱いが有った。
 60年程前の”運送品質”は、移送=運送で壊れれば「依頼主が悪い!」というモノであった。
 学業を終え、荷物を実家に混載便で送付した際、椅子式の学業机が”座卓”に成っていた。
 当時、父と懇意にしていた運送会社(N通)の担当者は「壊そうとは思わない無いが(重いモノは)二人で”一・ニ・三”で、投げる」と云う。
 投げられても壊れない”梱包”を依頼主に、課せられた時代であった。
 小口の荷物を送ろうとする場合”小包郵便”があった。
 重量制限(体積)が厳しかった。
 発送したく(郵便局の)窓口で手続きをする。
 「100gオーバーしています。御受けできません!」
 窓口で、減量して再委託した事を思い出される。
 家庭には「棒はかり」しかなかった時代である。
 誤差もあった。
 時代は進み「宅配文化」が大きく進展した。
 受け持った荷物に対して”感情”をぶちまける動画が放送された。
 有ってはイケないし、してはいけない。
 此の事が象徴される事態に成っているという。
 時間指定配達に対するクレームであったり、再配達の増加で、配達員への負担増が論議されている。
 不在による「再配達」の費用を、受領者に、求める制度も検討されていると聞く。
 請求される再配達料金によっては「受領拒否」も発生するであろう。
 近年「宅配ポスト?」なるモノの実地検証が開始されたという。
 「宅配BOX」の設置には、戸建て用で、八万円程度の費用負担になるという。
 この費用負担が、納得出来るか否か?もう少し時間を要するのでしょう・・!
 宅配文化も、変身を余儀なくされている様である。
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まだまだ未熟!

2017年03月08日 | 日記
 先日、オーディオ談義をした。
 と、言うより私が投げた球を打ち返してもらった感のある”問答”であった。
 驚異的と思われる音感の持ち主であり、師であるI氏。
 モノ造り(設計・製作)や、調整調度を得意とするS氏。
 両者とも、5CHから6CHにバージョンアップし、電源は雑音の少ないと云われる200V化に移行している。
 そして、電源装置も、S氏の発案・製作で、オリジナルの直流電源にしたという。
 この様な人達に、投げた”球が悪送球”で打ち返してもらえる程度のモノで無かった様であった。
 私のシステム(装置)の現状は、自作のセレクター装置に、3CH分割器・アンプと云う構成で楽しんでいる。
 ところが、最近・自作したセレクター装置に、接触不良による症状だ出る様に成った。
 使用した”安価”な継電器(リレー)に原因があるのでしょうか・・・?
 よくやるショック(電源をON&OFFしたり、スイッチを切替えたり・・)を与えてやると回復する。
 加えて、座ったままで操作をしたいという”甘え!”が芽生えている。
 本来のオーディオ談義に戻る。
 私「(安価な)アンプを買って、セレクター部分を使いたい」
 I氏「(求める音質の)レベル(目標)を何処に定めるか?だな!」
 私「雑音も無く、心地よく(音楽が)聞けたら良いなあ!」
 S氏「(多チャンネル化などしないで)LE-8Tで良いんじゃない!」
  注:LE-8Tとは、米国製のスピーカー・ユニットで、50年来・修理を重ね、今も使用している。
 我に返る想いがする指摘であった。
 心地よい(音)だけなら、単純な装置で良い。
 踏み入れたモノが、感性に基づく領域である。
 ”御定め書”があって定義出来るものでもない。
 オーディオ遍歴があり、今も続いている。
 もう少し、低音が欲しい!
 しっとりとして(ギラギラ感のない)、シッカリとリズムを刻む高音が欲しい!
 と、欲が出て現在のシステムに到っているのである。
 セレクター装置に手を加えたい!とは、現状に満足できないからである。
 談義も、直球勝負だけでなく、変化球を投げてみて、様子を見る事も時には必要な様である。
 結論有りきでは、会話は弾まない!・・・?
 LE-8T、聞いてみた。
 相変わらず良い音である。
 しかし、心地よいか?と聞かれれば「うぅ!」
 最近・よく耳にする(化粧品?のコマーシャル)「元には戻れない!」という心境である。
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今年も蕾を付けてくれました

2017年03月07日 | 日記
  
 今日の絵日記の絵(写真)は、蕾を付けた「木瓜」と「馬酔木」である。
 暦をみれば「啓蟄(けいちつ)」である。 注:今年の「啓蟄」は、3月5日であるらしい。
 寒さを凌ぐため、地中で居た”虫たち”が「そろそろ(地上に)出ようかな!」と思った矢先の寒さの再来である。
 今夜は、気温も下がり、山間部では降雪の虞があるとの天気予報である。
 春を待ち焦がれていた虫たちも、「あぁ!まだ駄目(出られない)かぁ!」と思っているのでしょうか・・・?
 虫たちだけではない!
 私も寒い。
 思わぬ寒さに、暖房機を点けたよ・・・!
 花は、暖房機も無く・一度付けた”蕾”を、引っ込める訳には往かず、唯・寒さが過ぎ去る事を待っているのでしょう。
 馬酔木は、年が明けて「今年も咲くよ!」との、意志表示があった。
 木瓜は、昨日”蕾”を付けている事に気付いた。
 庭木が寂しい時代に、初めての単身赴任した職場の仲間から頂いた”木瓜”である。
 その仲間の父君の”庭土(造成土)”への御配慮で「土壌(土)」付きで、我家に来た。
 定植して以降、毎年・花を咲かせて、開花の少ない此の時期に、彩を添えて頂いている。
 ”ボケの花”・・・
 木の名のイメージとは、違って「可憐」な花を咲かせて、楽しませて頂いている。
 何で”ボケ”何だろう?
 名は名として、今年も、咲いてくれてありがとう!

 木瓜は、樹木の”ボケ”であり、家紋の”モッコウ”
 ”瓜”はウリである。
 幼少期の思い出は、夏祭りに、西瓜やマッカウリ(正しくは”マクワウリ”)を食した事である。
 西瓜は、黄色いのと、赤いのがあった。
 今では、黄色い西瓜は見掛けなくなってしまっている。
 加えて近年、マクワウリを食する機会も無くなった。
 マクワウリは、メロンに繋がる品種であるらしいが、最近ではトンと見掛けなく無くなった。
 「どんな味(味覚)であったかなぁ!」と、味覚も薄らいでいる。
 しかし、思いは、甘味という点では、西瓜より”マッカウリ”が勝っていた様に思う。
 木と瓜が合体して、モッコウ&ボケとなる。
 よう判らん!
 K博士(国語辞典編者)!教えて・・!
 日本語は難しい!
 でも、表現力も奥底深く、謎めくところもあり、楽しい言語と思えて好き!
 
 
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回復の兆し・・!

2017年03月06日 | 日記
 昨日の日記で、首に違和感がある事を書いた。
 今朝・目覚め「あれ!少し楽になったかな!」と云う感触を得た。
 身体的な”痛み”は、日日薬や、医者の指導で和らぐ!
 経済的な”痛み”は、唯々・その日まで耐え凌ぐ事しか手段はない。
 体重の一割を占める頭部を支える「頚椎」は、加齢や事故などで消耗し、神経を圧迫する。
 結果は、痛みとなって、自身に訴える。
 整形外科医の指導は、頚椎を取り巻く”筋肉”の鍛錬を行う事であった。
 鍛錬の方法は、頭部を両手で保持し、前後左右に”押し相撲”をする。
 前後左右に夫々、10を数えて、ワンセット!を、朝・昼・夕に行う。
 この鍛錬方法は、過日の日記「富士・東北へ 番外編Ⅲ(2015.6.12)」の如く、首に違和感を覚え、受診した時に指導を受けたものである。
 身体的な「首が廻らん!」事については、回復の兆しが見えてきた。
 しかし、もう一つの「首が廻らん!」ショウジョウについては、回復の見通しがたっていない。
 還付金が、唯一の”処方箋”と思われるが、本復するまでには至らないだろう・・
 痛みは暫く続きそうである。
 善くない事は、二つより・一つが良い!
 それよりも、無い方がもっと良い!
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首が廻らん!!

2017年03月05日 | 日記
 一昨日(4日)の朝、目覚めた時、首に違和感を覚えた。
 そして、知った。 
 何気ない日常の動作を・・!
 水を飲む時、頭を反らし、口から喉へと導く。
 朝・起きて”咥内洗浄”から、一杯の水を頂くのが、朝のセレモニーではあるが、頂けないのである。
 首を後に反らせると痛む。
 頭部の重さは、体重の一割と云われる。
 と、すると私の頭部の重さは、参酌*なしに6~7Kgとなる。
  *:埋まっているか否か!は別にして・・平均的な!
 後ろに反らす筋肉と、反らした状態を維持する筋肉が支えあって、水を飲むに良い態勢が維持できる。
 身体を動かす都度、態勢がが維持できる仕組み等、考えた事は無かった。
 水の入ったコップを片手に持ち、もう片方の手で、頭部を支えなければ飲むことが出来ない。
 首筋の筋肉に依存すると、痛みに耐えかねるのである。
 「首が廻らん!」と云う現実・・!
 そうなんです。
 昨年末に「車検」を二台・受けた。
 二年毎に、廻ってくる大きな支出である。
 生活費に”マイナス”表示がされるでしょう。
 我が身体をもってして、その事を訴えているのでしょうか・・?
 身体的・精神的、何方か一つにしてもらえません!
 シンドイよ!
 水さえも、普段通りには、飲めないないんだから・・・・!!
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南三陸 さんさん商店街のその後!

2017年03月04日 | 日記
  
 今日の絵日記の絵(写真)は、2015年5月に訪れた頃の、南三陸町の仮設商店街「さんさん商店街」である。
 昨日のニュースで、高台の恒久施設に移転した事を知った。
 あの”悪夢の災害”で、壊滅的な被害を受けた「南三陸町(東北地方の太平洋岸・一帯)」にあって、復興への証しとして、2012年2月25日から仮設の商店街として発足したとのことであった。
 過日・日記(「富士へ・そして東北へ Ⅳ(2015.6.5)」他)にしているが、2015年5月に訪問する事が出来た。
 「東日本大震災」から、今月・11日で、6年の歳月が流れる。
 住宅地の集団移住や、高台造成など難しい問題もあるとは言え、仮設住宅に今もって住まう被災者も多いと聞く。
 6年の歳月をもってしても”安住の生活”環境に至っていないのである。
 その様な中で(高台の)常設商店街として移転・開業したと言う、明るいニュースに接した。
 2015年5月26日(気仙沼方面から)国道45号線を、その日の宿泊所である仙台市に向け走行する。
 南三陸町の役所(仮設の役場・警察署)を左に見る高台の交差点(信号)で停車する。
 高低差・20m程あっただろうか・・?
 南三陸町の中心地であったと思われる地域が一望できた。
 コンクリート製の建物(廃墟)が、数棟残るだけで、被害の甚大さを改めて知る事が出来た。
 そして、大規模な造成工事の様子が見てとれた。
 国道を下りながら「さんさん商店街は何処?・・・」
 (注:さんさん商店街は訪問の対象であった。到着までの経緯については、前記の日記で・・)
 さんさん商店街に到り「うに丼」を食すことが出来た。
 なお(仮設の)さんさん商店街は、昨年末で仮設での営業を終了していたとの事であった。
 この時、頂いた「うに丼」の絵(写真)を、思い出して描いてみた。
 
 
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強気になったり・弱気になったり・・・!

2017年03月04日 | 日記
 広島県尾道市から愛媛県今治市に到る「しまなみ海道」を、サイクリングする。
 出来ない いや!出来る
 走破に向けての葛藤が続く。
 今日も、スポーツ・ジムで、一時間・ペダルを踏み続けた。
 汗はかくが、息切れはない。
 「此れならイケる!」と自信が湧いてくる。
 サイクル・センター?は、今治側の様である。
 従って、自動車で、出発点の(今治)サイクル・センターまで自転車を搬送し、自動車を駐車させてもらう事になる。
 暖かさが安定すれば、決行する。
 向島で宿泊するか? 尾道で宿泊するか?の決定は、もう少し楽しみたい。
 向島では、サイクリスト用の民宿・旅館がある様だし、尾道の”夜”も良いんじゃなぃ!
 今日は”強気な夜”の様である。
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思わぬ結果に・・

2017年03月02日 | 日記
 昨年10月、定期健康診断を受診した。
 現役時代に身に付いた”安心を買う!”一年に一度の受診である。
 退職後”安心(健康状態を知ることで)を買う”という事が理解した。
 現役時代は、会社負担で有ったものが、5,000円程度の支払いを、求められる事になったからである。
 飲酒を止めれば下がる数値項目が、唯一の「経過観察」項目であった。
 飲酒する事を止めることなく、基準数値内に収まった。
 しかし「要精密」の指示を受けた項目があって、今日・受診した。
 加齢による「身体の劣化」では、説明出来ない!と、主治医の診断結果であった。
 生活習慣を、自ら改善出来ないならと「薬」が処方された。
 此れから「薬を常用しなければ成らなくなったか?」と、落ち込んだ一日となった。
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