ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

黙祷をささげる

2017年03月11日 | 日記
 6年前の今日、あの悪夢の大災害は起きた。
 今年も、午後2時46分から一分間・黙祷を捧げさせて頂いた。
 今もって、帰宅できない被災者が多く居る。
 現在の”技術力”をもってしても・・・
 どれ程の災害であったか?計り知れない。
 私は、2015年5月に、被災地を訪れている。
 (日記「富士へ、そして東北へ(2015.5.14)」&「明日、出発です(2015/5/21)」等々)
 訪問するに当たって、悩みもあった。
 行っても良いんだろうか・・・?
 TVで、被災者の方達が「来て下さい!」と、歓迎する意を現す場面があった。
 「行こう・!」(日記「被災された東北方面に行くにあたって・・(2015.6.16)」)
 ”被災の現実を観に行く!”と、意を決した。
 表現力が無いが「百聞は一件に如かず」と云う言葉で言い表せるだろう・・
 TVで、どれ程・詳細にレポートされても”体感”に勝るものない事を学んだ。
 被災の今日・黙祷を捧げながら、観て来た光景が思い出された。
 
 今日の絵日記の絵(写真)は5枚である。
 左より、写真1~写真5とします。
 尚、これ等の絵(写真)は、過去の日記に添付したモノであるが、記憶に残る光景として再登板となった。
 写真1:津波で押し流された鉄道敷、鉄橋だけが残る光景は、異様であった。
     帰宅後、調べて更に驚いた!津波の”力(破壊力)”に!である。
     線路も枕木も流出させる計り知れない破壊力! 常識(私の)では計り知れない。
 写真2:津波に押し流されずに残った住居、これは南三陸町で見掛けたモノである。
 写真3・4:国道45号線に設置された”標識”である。
     10数Kmにも及ぶ区間もあり、津波の脅威が見て取れた。
 写真5:除染作業の状況である。
     撮影する事が憚れて、鮮明な写真ではない。
     一直線に並ぶ”袋”に、汚染土が入っている様で、最終的に、土中に埋める様であった。
     写真・右下に写っている黒い筒状(直径1m・高さ1.5m程)のモノは、汚染土を封入した処理前の状態である。
     至る所で、同様な作業をしている事を見掛けたことから広範な”作業”である事が理解できた。
 
 避けては通れない”自然災害”であったとしても、余りにも大きな犠牲を払った貴重な教えである。
 かけがえのない”命”を守る手段として活かさなければ成らない。
 
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