<2010.3.5>
先週近くの本屋で「詰将棋」の本を買って読み始めた。
私は負けず嫌いの性格であるのであまり勝負事はしない。
将棋もそうであるが、子どもの時には良く兄貴と勝負をして、負けては泣きべそをかきながら、悔しがって駒を将棋盤に投げつけていたことなどが思い出される。
そう云ったことからも、将棋は自分はほとんど指さなかったが、以前会社の昼休みなどで他人が勝負しているのを良く見ては、まわりでガヤガヤ冷やかしていた。
不思議なもので、他人同士が戦っている中味はアラが良く見えるものである。
先日定期的に通院している病院の待ち時間で週刊誌をめくっていたら、詰将棋のコーナーが掲載されていた。
なかなか解けなかった、「ああでもない・こうでもだめか・・・・」など、試行錯誤を繰り返してみたが、結局解けず回答を見るはめになった。
回答を見ないと解けなかったことに少しがっかりしたが、かれこれ20分くらい費やし退屈しのぎにはなった。
この20分集中できたことに自分なりに満足できたと共に、「待てよ ひょっとすると この詰将棋は頭の体操(認知症防止)の一つになるのでは・・・」と思うきっかけとなったわけである。
と云うことで本屋に足を運んだしだいである。
「きのう日記」で昨日の食事を思い出したり、今度は「詰将棋」にチャレンジしたりetcと、テレビ番組に負けずに、脳活性化を意識している71歳のこの頃である。
<かもめの群れ・・・・雲仙を背景に船上にて>
先週近くの本屋で「詰将棋」の本を買って読み始めた。
私は負けず嫌いの性格であるのであまり勝負事はしない。
将棋もそうであるが、子どもの時には良く兄貴と勝負をして、負けては泣きべそをかきながら、悔しがって駒を将棋盤に投げつけていたことなどが思い出される。
そう云ったことからも、将棋は自分はほとんど指さなかったが、以前会社の昼休みなどで他人が勝負しているのを良く見ては、まわりでガヤガヤ冷やかしていた。
不思議なもので、他人同士が戦っている中味はアラが良く見えるものである。
先日定期的に通院している病院の待ち時間で週刊誌をめくっていたら、詰将棋のコーナーが掲載されていた。
なかなか解けなかった、「ああでもない・こうでもだめか・・・・」など、試行錯誤を繰り返してみたが、結局解けず回答を見るはめになった。
回答を見ないと解けなかったことに少しがっかりしたが、かれこれ20分くらい費やし退屈しのぎにはなった。
この20分集中できたことに自分なりに満足できたと共に、「待てよ ひょっとすると この詰将棋は頭の体操(認知症防止)の一つになるのでは・・・」と思うきっかけとなったわけである。
と云うことで本屋に足を運んだしだいである。
「きのう日記」で昨日の食事を思い出したり、今度は「詰将棋」にチャレンジしたりetcと、テレビ番組に負けずに、脳活性化を意識している71歳のこの頃である。
<かもめの群れ・・・・雲仙を背景に船上にて>