※接続にすこし時間がかかるようです。
打ち上げ数3500発と規模はそれほど大きくないものの、
砂浜に寝転んで見られるこの花火大会は私のお気に入りです。
夏の終わりの締めくくりに毎年と言っていいほど見に行っています。
17:15 砂浜 今にも雨が降りそうで、人出も鈍い
18:30 開始30分前。
ブレてるだけじゃない。だいぶ人が集まってきました!
会場はこちらの近くです。
無事に今年も開幕です!
大きくて写りきらないものも。(アップにしていたせいもありますが)
今回は動画もUPしてみましたよ
次の2つの記事もよかったら見てください
話はクロアチア写真交換会の時に戻りまして・・・
その時にもらった友人M子からのおみやげです♪
北海道限定の品をたくさんくれました
中には昆布キャラメルなんて怪しげなものも。。
Mちゃん、ごめんよ~まだ食べていない。。。
食べたら感想をご報告します。
他にはこんなシックなおみやげも。
植物&本の好きな私にしおりです
植物いっぱいだという利尻礼文。私もいつか行ってみたいな~
礼文島はこんな形をしているらしいです。
日本最北限のスコトン岬まで行ったそうです。
たくさん、おみやげありがとうね~
その間、北海道へ行ったという友人は“海鮮以外”というリクエストでカレーのランチになりました。
レディースセット。
ランチにしてはたくさん食べてしまったなー(^皿^)
スパイシーなタンドリーチキンが美味しかった☆
あとデザートと
チャイが付いて1,680円。
肝心の写真も交換しましたよ。
CD-ROMでデータ交換ですが。沢山あって2枚になってしまいました。
またご紹介する写真の幅が広がったと思われます。
しかしこれからどれを現像しよう??
【GARA Yokohama】
横浜ワールドポーターズ5F
ディオクレティアヌス宮殿には、東西南北4つの門があり、
それぞれ銀の門、鉄の門、青銅の門、金の門と命名されている。
ちなみに宮殿地下の入口は、南の青銅の門。
金の門
グルグール・ニンスキの像
金の門を出たところにこの像があります。
こちらもイヴァン・メシュトロヴィッチ作
クロアチアでは10世紀にスプリットで開かれた宗教会議で教会でのスラブ語の
使用を禁止したが、その撤回を求めたのがこのグルグール司教。
冗談みたいですが本当の名前です。長いのでグルグルさんと添乗員さんは言っていた。
グルグルさんの左足親指に触れると幸運が訪れるそうな。
この子達の前に私も触ってきました♪
みんなに触れられてピカピカ
大理石の列柱に取り囲まれた広場。
このスフィンクスには頭がついてますねえ。
大聖堂の鐘楼を見上げて
洗礼室
もともとはディオクレティアヌス皇帝によってジュピター神殿として建てられ、後に改築されたもの。
洗礼者ヨハネの像
イヴァン・メシュトロヴィッチ作
洗礼盤
かなりボケてしまってますが
シベニクの聖ヤコブ大聖堂の洗礼台と、比べると深さが違う。
初期の頃の洗礼は体全部を水に浸けるために深い。
のちに頭に水をかけるだけとなり、浅くなっています。
洗礼室を出て、ふたたびペリスティルを望む。
正面真ん中が宮殿地下見学からの出口でした。
スプリット一狭い細いと言われる通り。
再び鐘楼を見上げて。美しいですね。
登ってはいませんが、この鐘楼は登れるらしいです。
世界遺産・宮殿地下の見学です。
『世界ふれあい街歩き』でスプリット編の時もここから始まってましたよ♪
もともとローマ皇帝ディオクレティアヌス(245?~316年)の宮殿であったが、
その後、ローマ帝国が滅亡し、異民族が大挙して入り込んできた7世紀、
近郊のサロナから追われて来た人が宮殿の上部に住居を建て、住み付いたのが今の基礎。
“サロナ”はもと“ディオクレア”と言い、ディオクレティアヌス皇帝の故郷。
皇帝が政界引退後の隠居の場として故郷近くに宮殿を建てた。
宮殿の地下は、中世に食料庫として使われたり、ここ↑はゴミ捨て場であったり・・・
地下はほとんどこの写真のようにゴミで埋まっていたのをまた綺麗にして
今はこうした博物館としての展示や、商店として利用されている。
少々ボケて見づらいですが、この木は当時、梁のように渡されていたのだそう。
宮殿ではスフィンクスをいくつか見ることができるが、
これはディオクレティアヌス皇帝がエジプト遠征から持ち帰ったもの。
征服したエジブトの象徴でもあるスフィンクスは、頭を破壊されています。
これはワインを造る道具だった気がします。→訂正です。オリーブオイル圧搾の道具だったようです。(by一緒に行った友人)
大ホール
そもそもこの地下は地盤沈下によって地下になってしまったもので、そもそもは1階。
1階は倉庫や使用人がいたところですが、2階部分が出来るまでは皇帝も1階に澄んでいたのだそう。
現在は、2階が人々の住居になっているので見学することは難しいですが、
1階も2階もまったく同じ構造。この大ホールも違いは支える柱の数ぐらいらしいです。
ローマ時代のテーブル
台に載っていますが、テーブルはこの上の石部分だけです。
なんとローマ時代は、寝そべって食事をしていたのだとか。
たくさん食べられるように胃を横にするためらしい。
そして・・・いっぱいになったら出してまた食べるらしい。
その掃除をしやすいようにテーブルも斜めになっています。(お食事中の方、ごめんなさい)
2階部分の住居を見上げて。
綺麗に修復されていますが、世界遺産なのでなかなか綺麗に出来ないらしい。
この実際に住んでいる人達を含めて、世界遺産なのです
当時の装飾が残る石の破片が無造作に置かれていたりもします。
こんな感じで、宮殿の地下ツアーは終了~
この写真がスプリットの遠景なのか
18:00 スプリット アドリア海沿岸最大の港町
ヨットのセールに見立てた装飾
こちらは昔は道路で車がバンバン走っていたのだとか
この壁がもう世界遺産なんですよー
ちょっと日が傾いてきました。
これが当時の宮殿。
この後、中に入りますよ~