しつけと称する虐待は、撲滅は難しい。
児相なども、各家庭の内情を知り、適切な判断をするのには、難しい。
「あざがあった」「怪我や様子が不自然」から「虐待が疑われる」となるのは、
簡単なものではないだろう。
寒空に放置して凍傷を負わされた子ども。
しつけと称されて、暴力を受けて意識不明になったり、骨折したり。
子どもの受難はひどくなってしまってから、陽の目を見る。
こどもは、親などから、虐待を受けて育つと、トラウマになったり、家庭を持つと、
我が子へ、暴力をふるうようになるという。
連鎖する。
DVもそうだが、弱者への、虐待は、言いようのない思いに駆られる。
防げないことへの自分へのいら立ち、無力感、無念な思いで命を落としていっただろう、被害者に、ねぎらいの言葉もみつからない。
高校生の頃、現国の教師が、学生に問うた。
「性善説を信じる人は?」大方の学生が手を挙げた。
「みんな、幸せなんだね」と先生。
性善説を疑わないでいられるのは、幸せな人だけかもしれない。