謝罪する気はあったのか? 森喜朗氏の大炎上会見を通してみられた「肯定的幻想」
2021/02/06 16:00
オリンピック・パラリンピックの精神に反して不適切だったのは、発言ではなく存在ではないのか? これほど謝罪する気のない会見を見たのも久方ぶりだが、燃えている炎に「これでもか!」と油をガンガン注ぐような謝罪会見も、昨今ではほとんど見ることがない。その意味では、この謝罪会見は悪い例として最適な教材だったと言える。
会見を通してみられた「肯定的幻想」
さすが元首相、スポーツ界のドンというだけあり、会見を通してみられたのは東京五輪パラリンピック組織委員会の森喜朗会長の「肯定的幻想」だ。心理学者のフレデリック・テイラーによると、人は誰しも自分自身のことを客観的に正確にではなく、肯定的に見ていると言われている。それにより自尊感情を高め精神的健康を保っているのだが、肯定的幻想も度を過ぎると自分を現実以上の存在、他人よりも優れていると思い込み、自分のコントロール力、統制力を過大に評価することになる。
「そのためにまず深く反省をしております。そして発言いたしました件につきましては撤回したい。不愉快な思いをされた皆さまにはお詫びを申し上げたい」
視線を書面に落とし謝罪の言葉を読み上げるも、一度も頭を下げることはない。撤回します、申し上げますではなく、“したい”、“申し上げたい”と語尾を強める。一方的なモノの言い様に謝罪の気持ちを感じ取ることはできず、撤回したいと言っているんだからいいだろう、不承不承お詫びしてやるからどうだ、という印象が強い。