休符は休みと言われる。
信号待ちをしているのに似ている。
信号が青になるのを待つのに、交差している車の信号を見ていて、
歩き出そうとしたり、逆に歩行者側は青なのに立ち止まってしまう
ことがある。
赤信号で止まっていても、歩行者信号が青になるのを見ているだけの
こともあるし、急いでいるときは、交差している信号を見てあと1分くらいかな
と予想することもある。
休符もただの休みにあらず。
他のパートを聞いて拍を数える時もあるし、指揮者の合図を今か今かと待つことも
ある。
どの場合も、ポケッとしてはいられない。
出だしがフォルテだったり、自パートだけが出るのだったり、ユニゾンかなど
で出だしの息の準備をどこからやるかを、考えたり、で、おしゃべりをしている
暇はないと思っている。
フォルテの意識を持たなかったりして準備に失敗すると、音がたよりなかったり
安定しない音になってしまう。
拍を数えるのにも、頭を動かさずに頭のなかだけで数えなければならない。
時には、数えるより他のパートの旋律を聞いて、和音を合わせたり、というときも
ある。
合唱だから、合わせるのが基本。
日本人は、結構これが苦手らしい。
合唱のレベルが上がっている。
と言われているが、音楽を学んで技術があがっていても、外国の合唱の歴史のある
お国からすると、和音への意識が低いのだそうだ。
休符への意識の低さもかかわりがあるかもしれない。
信号待ちをしているのに似ている。
信号が青になるのを待つのに、交差している車の信号を見ていて、
歩き出そうとしたり、逆に歩行者側は青なのに立ち止まってしまう
ことがある。
赤信号で止まっていても、歩行者信号が青になるのを見ているだけの
こともあるし、急いでいるときは、交差している信号を見てあと1分くらいかな
と予想することもある。
休符もただの休みにあらず。
他のパートを聞いて拍を数える時もあるし、指揮者の合図を今か今かと待つことも
ある。
どの場合も、ポケッとしてはいられない。
出だしがフォルテだったり、自パートだけが出るのだったり、ユニゾンかなど
で出だしの息の準備をどこからやるかを、考えたり、で、おしゃべりをしている
暇はないと思っている。
フォルテの意識を持たなかったりして準備に失敗すると、音がたよりなかったり
安定しない音になってしまう。
拍を数えるのにも、頭を動かさずに頭のなかだけで数えなければならない。
時には、数えるより他のパートの旋律を聞いて、和音を合わせたり、というときも
ある。
合唱だから、合わせるのが基本。
日本人は、結構これが苦手らしい。
合唱のレベルが上がっている。
と言われているが、音楽を学んで技術があがっていても、外国の合唱の歴史のある
お国からすると、和音への意識が低いのだそうだ。
休符への意識の低さもかかわりがあるかもしれない。