NHKに対して、「外来語」が多様されて、精神的苦痛を受けたとして慰謝料をと訴えた裁判で名古屋地裁は訴えを棄却したそうです。
日本には、日本語、それも漢字、ひらがな、かたかな、表記があり、ヘボン式ローマ字もあります。
外国語と呼ばれる言語は、それこそ、何百?何千?でしょうか。
中学生の時に、英語を学びました。
主語、述語というのを知り、日本語には主語がないことを初めてしりました。
高校生の時は英語の文法やリーディングを学びました。ローマ字は、中学生の頃でしたでしょうか。
日常、テレビや人との会話で、日本語だけを話していることはほとんどないかもしれません。
和製英語、と言われる言語は、以前からありましたし、日常の生活のなかにも、外国語は、一部日本語にもなっています。
合唱を練習していると、それこそ、遠ざかっていっているかのようです。
C(ツェー)とかG(ゲー)、クレッシェンド、デクレシェンド、等々。
日常会話のようにそれこそ、イタリア語、英語、ドイツ語、フランス語か飛び交います。
外国語でいうのが普通になっているからです。
日本の国内、に蔓延している外国語は、日本語で言ってほしいというものもたくさんあります。
なぜ、わざわざ、外国語で言う?と思うこともよくあります。
「訳せない言葉がある」と聞いたことがあります。
日本語の中にない言葉が外国語に複数あることがあるそうです。
その反対もあるそうです。
外国語に結構慣れてくると、あまり違和感は感じなくなるようです。
rit. はだんだんゆるやかに。と言われています。
「rallentando」もだんだんゆるやかに。と日本語では訳されています。
しかし、先日の練習で指導者から、日本語に訳すと同じになるものが、少し違う意味なのだと、教えられました。
国が違うと言葉が違うように、言語が変わります。
言語は生活に目指したものなので、生活や環境によって生まれたものです。
ですから、共通に、言えないこと。共通言語がないということも起こってくることになるそうです。
奥が深いものと最近感じるようになりました。