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東京都慰霊堂
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空襲犠牲者追悼 平和記念碑
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震災遭難児童弔魂像
東京へ行った折、朝の時間散歩がてら、ホテルの横の横網(両国でありながら横綱ではない)公園にいってみた。
なんとそこは、旧陸軍被服廠跡地で関東大震災、東京大空襲の犠牲者を祀る慰霊堂がありました。
大正12年9月1日午前11時58分に発生した地震は地震の大きさも大きかったのですが、発生した火災で犠牲者が拡大したとのことです。第二次大戦のとき米国はこの経験を踏まえ焼夷弾を中心とする空襲を敢行したのではないかと思われます。
震災の折には赤十字を通じ義捐金などを送ってくれた米国、フランスなどと戦争をするとは
当時は思いもしなかったのでしょう。
境内には鮮やかな花壇で彩られた東京空襲犠牲者を祈念する碑や、震災の混乱の中で惨殺された、
朝鮮人犠牲者追悼碑などもあった。
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朝鮮人犠牲者追悼碑
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焼け跡に残る残骸の数々:印刷機
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復興記念館
一隅に復興記念館があり、災害時の地震計の記録、被災地図、焼け爛れた遺物、当時の新聞や刊行物、絵画などが掲示してあった。
素朴な展示であったが、当時の雰囲気は良く伝わってくる。関東大震災の時には日本国内全地域から、或いは海外からも救援措置が取られたことが良く判る。このような歴史を見ると、近年の海外の地震災害などには惜しみなく救援活動をすべきであろう。
入場無料であったが、入るとき入り口で「カチャッ」とカウンターで数えられた。
仕分け対象にになるのだろうか。ちなみに45分の見学中、他には一組だけであった。立派な施設であるだけに、もったいないような気がする。
このような施設が残る東京は、豊かだなあ、というのが実感でした。
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振り返れば、スカイツリーが顔を覗かせていた。