遅いことは猫でもやる

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旅日記 スロベニア・クロアチア(8) アドリア海の真珠 ドブロブニク 

2010-08-28 06:19:13 | 雑感
アドリア海の真珠 ドブロブニク 本日は城内遊歩デー。


アドリア海の真珠ドブブニク旧市街の遠望

ロクルム島

7/5(月)城内を望むスルジ山中腹の撮影ポイントまで行き写真撮影。絵葉書
や案内カタログで見る同じ角度に旧市街が見える。


ピレ門

ロブリエナッツ要塞

ピレ門でバスを降り、外部要塞へ。左16世紀ポカール要塞、右17世紀ロブリ
エナッツ要塞。海の色が青い。門の近くのオノフリオの噴水(15世紀、スルジ
山北側から引いてきた)。市庁舎の近くにも小オノフリオの噴水がある。広い通
りの排水構造の説明を受ける。


ガイド協会会長アンティーアさん

救世主教会入口の彫刻

修道院へ。コリント様式の柱とアーチに飾られた内庭が美しい。
本日のガイドはmsアンティーア。小太りのおばさんだが語り口が面白い。フラ
ンシスコ修道院で、内戦の際、壁を貫く銃弾跡が反対側の壁で止まっていた。な
ぜ爆発しなかったのか?当然「神の加護があったから」という説明を期待してい
たら、ニヤリとして曰く、「ロシア製だったからだ」。あとで聞いた話ではこの
人はガイド協会の会長だそうだ。

古くからの薬局があり(現存する世界で3番目に古いもの)、人を救うところから信仰が始まるのは
宗教の原則にかなっている。メイン通りから少し入ったところに、ユダヤ教会。
しっかり存在感を持っていた。


山側へ伸びる路地

大聖堂への道

メインのプラッツア通りの終点は時計塔。左はスポンザ宮殿、右はルジャ広場。
シーベニックでみた商取引での長さの基準(51.2cmだそうだ)を示す物差
しが残っていた。昨日結婚披露宴が行われていたスポンザ宮殿は、昔税関や商品
検査所が2階、一階は今は内戦の時の慰霊室だそうだ。


市庁舎一階 有名なカフェ・

総督府前面のアーチ


突き当たって右は市庁舎、総督府。ここの総督は12人で、一ヶ月任期。権力を
持たせなかったという。ヴェネチアに毎年金貨2500枚(一枚は牛一頭の価値)
を納め、紛争を避けていたとか。海運都市の知恵はヴェネチアを思い出させる。

旧港入り口でガイドさんと別れて気のついたことは、スロベニア、クロアチア、
モンテネグロ、の人には笑顔が少ない。アンティーアさんは、ニコニコするがそ
の他のガイドさんも、売店の店員も、ホテルの従業員さえ笑顔が少ない。内戦の
せいか、社会主義国のせいか?


グラスボート

検疫所跡 ここで一週間足止めされることもあった。

教会を見終わって、自由時間。グラスボートにみんなで乗る。料金を団体割引さ
せた、と添乗員さんが報告してくれる。ロクルム島一周。船長は船乗りで、日本
へも何度か来ているので親日的。島にはヌーディストビーチもある。遠くから見
た。
広場では青空市が


タコのサラダ

ムール貝。残念ながら身入りが悪い

手長エビ

昼は中央部の広場レストラン「カメニッツエ」。ビール生大、ムール貝、タコの
サラダ、小エビのリゾット、手長エビ、イカのフリットなど。自由行動のせいか
どんどん注文する。ムール貝は身が小さかったが、あとはどれも美味しく、ビー
ルがすすむ。

午後は自由行動。メイン通りの両替商で、相場を確認。ブロチェ門近くのドミニ
コ修道院の日陰で休憩をしたが、暑さの中、城壁一周を強行。一周2km約一時
間、炎天下の中を城砦を守る兵士の気持ちで一回りする。市民とはこのように戦っ
て自分の街を守る、というのがオレンジの屋根と白壁の町並みを見て感じたこと
だった。



山側は遠くナポレオンが贈ったというスルジ山頂の白い十字架、オレンジの屋根、
の家々、海側は紺碧の海が明るい太陽に映えて美しい。ここで戦争があったなど
とはとても信じられない。

一時間かけて周り、一旦ホテルへ。途中のスーパーで水とファンタレモン。シャ
ワーを浴びて昼寝。子供たちへ絵はがきを書く。


旧港

ムール貝 やはり身が細い

イカスミリゾット

サラダ

ホタルイカ

夕方再び旧市街地へ。旧港のロカンダ・ペスカリアというレストラン。右左で肉
と魚料理が分かれているという不思議なところだ。イカスミリゾット、ムール貝、
ホタルイカ、イカのフリット、タコのサラダ、ビール小、デキャンタ500ml
×3、永井さんと同じテーブルで久保田の千寿、万寿談義をして、夜風にあたり
ながら二人で帰る。

明日は3:30起床だ。