唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
日本人F1ドライバー
ようやくSUPER AGURI Formula 1(スーパー・アグリ・フォーミュラワン)のドライバーが発表になった。噂通り佐藤琢磨と井出有治の2名だ。井出についてはスポンサーとの関係から一時期疑問視されたこともあったが、やはり、という印象だ。フォーミュラ・ニッポン2005年シリーズランキング2位の実力がF1の世界でどこまで通用するのか見ものである。
まぁ、この話題はWeb巷で溢れているだろうから、郷秋<Gauche>はこれ以上書かない。ただ、思うのは日本人ドライバーが複数いるシーズンは久しぶりだなあということ。
果たして日本人F1ドライバーはこれまでに何人いたのか。日本人初のF1ドライバーと言えば、多くの方は1987年ロータス・ホンダからデビューを果たして中嶋悟を思い浮かべる。これはこれで間違いではないけれど、それでは中嶋以前にF1を走ったドライバーがいないのかと言えば、実はいる。
日本人で最初にF1にその名を留めたのは鮒子田寛だ。中嶋に先立つこと12年、1975年に当時のオランダGPとイギリスGPにマキF101C・フォードで参戦するも予選落ち。本戦に出走していないドライバーをF1ドライバーと言って良いものかどうかは、悩むところだ。
76年・77年に富士で開催されたレースでは複数の日本人ドライバーが登場する。星野一義、高橋国光らだ。星野一義は中嶋の良きライバルとして国内最上級カテゴリーで覇権を競った仲だが、実は星野は中嶋の10年前にF1デビューを果たしていることになる。
さて、77年の富士以降、F1が日本で脚光を浴びるのは中嶋悟がフルシーズンを戦うレギュラードライバーとしてロータス・ホンダからデビューする87年まで待たなければならなかったのである。鮒子田にしても星野一義、高橋国光にしても特定のGPだけに出走したスポット参戦のドライバーであったのだ。
中嶋悟以降の日本人F1ドライバーについては比較的記憶に新しいところだが、89年から98年にかけては常に複数の日本人のドライバーが走っていたのをご記憶の方はどれほどおられるだろうか。89-91年には中嶋と鈴木亜久里、92-96年は鈴木と片山右京、97年に片山と中野信治、そして98年には中野と高木虎之介だ。
おっといけない、ついつい忘れそうになるのが95年に通年で走った井上隆智穂だ(ただし完走は5回、最高位はイタリアGPの8位)。つまり95年には鈴木、片山、井上の3人の日本人ドライバーがF1に参戦していたことになる。その後2000年、2001年と日本人ドライバー不在の2年間を経て2002年、我らが佐藤琢磨がデビューするのである。
前置きが長くなったが、今回のSAF1のドライバー発表により実に8年ぶりに複数の日本人ドライバーが参戦するシーズンが現実のものとなった。しかもエンジンもタイヤも日本製の日本のチームで走るのだ。めでたい。実にめでたい。実際のレースでは「めでたい」と言える結果をすぐに出せるとは思わないけれど、2人の日本人ドライバーがシーズンを通して戦うのだから、心弾まないわけはない。
参考までに、日本人F1レギュラードライバーは次の通り、8名。
中嶋 悟 1987-1991 ロータス、ティレル
鈴木亜久里 1988-1996 ラルース、ザクスピード、フットワーク、ジョーダン、リジェ(88年・94年は一戦のみ、89年は全戦予備予選落ち)
片山右京 1992-1997 ラルース、ティレル, ミナルディ
井上隆智穂 1994-1995 シムテック、アロウズ(94年は一戦のみ)
中野信治 1997-1998 プロスト、ミナルディ
高木虎之介 1998-1999 ティレル、アロウズ
佐藤琢磨 2002-参戦中 ジョーダン、BAR、スーパー・アグリ(03年は一戦のみ)
井出有治 2006から参戦 スーパー・アグリ
この他にスポット参戦のドライバーは9名(ただし本戦出走は6名)。その他にテストドライブを務めたドライバーは複数いるが、シーズンを通してのテストドライバーならいざ知らず、スポット・テストドライバーではF1ドライバーとは言えないだろうな。

さて今日の一枚は、文字通り最後にひと花咲かせる山茶花(さざんか)。さすがに椿(つばき)と交代の時期が来たようです。
[ 撮影 : いつもの東京都下某所 ]
まぁ、この話題はWeb巷で溢れているだろうから、郷秋<Gauche>はこれ以上書かない。ただ、思うのは日本人ドライバーが複数いるシーズンは久しぶりだなあということ。
果たして日本人F1ドライバーはこれまでに何人いたのか。日本人初のF1ドライバーと言えば、多くの方は1987年ロータス・ホンダからデビューを果たして中嶋悟を思い浮かべる。これはこれで間違いではないけれど、それでは中嶋以前にF1を走ったドライバーがいないのかと言えば、実はいる。
日本人で最初にF1にその名を留めたのは鮒子田寛だ。中嶋に先立つこと12年、1975年に当時のオランダGPとイギリスGPにマキF101C・フォードで参戦するも予選落ち。本戦に出走していないドライバーをF1ドライバーと言って良いものかどうかは、悩むところだ。
76年・77年に富士で開催されたレースでは複数の日本人ドライバーが登場する。星野一義、高橋国光らだ。星野一義は中嶋の良きライバルとして国内最上級カテゴリーで覇権を競った仲だが、実は星野は中嶋の10年前にF1デビューを果たしていることになる。
さて、77年の富士以降、F1が日本で脚光を浴びるのは中嶋悟がフルシーズンを戦うレギュラードライバーとしてロータス・ホンダからデビューする87年まで待たなければならなかったのである。鮒子田にしても星野一義、高橋国光にしても特定のGPだけに出走したスポット参戦のドライバーであったのだ。
中嶋悟以降の日本人F1ドライバーについては比較的記憶に新しいところだが、89年から98年にかけては常に複数の日本人のドライバーが走っていたのをご記憶の方はどれほどおられるだろうか。89-91年には中嶋と鈴木亜久里、92-96年は鈴木と片山右京、97年に片山と中野信治、そして98年には中野と高木虎之介だ。
おっといけない、ついつい忘れそうになるのが95年に通年で走った井上隆智穂だ(ただし完走は5回、最高位はイタリアGPの8位)。つまり95年には鈴木、片山、井上の3人の日本人ドライバーがF1に参戦していたことになる。その後2000年、2001年と日本人ドライバー不在の2年間を経て2002年、我らが佐藤琢磨がデビューするのである。
前置きが長くなったが、今回のSAF1のドライバー発表により実に8年ぶりに複数の日本人ドライバーが参戦するシーズンが現実のものとなった。しかもエンジンもタイヤも日本製の日本のチームで走るのだ。めでたい。実にめでたい。実際のレースでは「めでたい」と言える結果をすぐに出せるとは思わないけれど、2人の日本人ドライバーがシーズンを通して戦うのだから、心弾まないわけはない。
参考までに、日本人F1レギュラードライバーは次の通り、8名。
中嶋 悟 1987-1991 ロータス、ティレル
鈴木亜久里 1988-1996 ラルース、ザクスピード、フットワーク、ジョーダン、リジェ(88年・94年は一戦のみ、89年は全戦予備予選落ち)
片山右京 1992-1997 ラルース、ティレル, ミナルディ
井上隆智穂 1994-1995 シムテック、アロウズ(94年は一戦のみ)
中野信治 1997-1998 プロスト、ミナルディ
高木虎之介 1998-1999 ティレル、アロウズ
佐藤琢磨 2002-参戦中 ジョーダン、BAR、スーパー・アグリ(03年は一戦のみ)
井出有治 2006から参戦 スーパー・アグリ
この他にスポット参戦のドライバーは9名(ただし本戦出走は6名)。その他にテストドライブを務めたドライバーは複数いるが、シーズンを通してのテストドライバーならいざ知らず、スポット・テストドライバーではF1ドライバーとは言えないだろうな。

さて今日の一枚は、文字通り最後にひと花咲かせる山茶花(さざんか)。さすがに椿(つばき)と交代の時期が来たようです。
コメント ( 13 ) | Trackback ( )