唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
「いただきます」を考える
なぜそんなことを考えたかと言えば、今日の神奈川新聞の照明灯(朝日新聞で言えば天声人語だ)にこんなことが書いてあったからである。
「給食費を払っているのだから、子供に『いただきます』といわせないでほしい」。食の安全・安心をテーマにした会議で、こんな投書があったことが披露された。
郷秋<Gauche>は早速広辞苑を引いてみた。
【頂く・戴く】の4のロに「食う」「飲む」の謙譲語。とある。
郷秋<Gauche>は例によって新明解国語辞典(第四版)も引いてみた。
【戴く】の4に「飲む・食べる」の謙譲(丁寧)語。さらに5に飲食する前に述べるあいさつ語。と(新明解にしてはじつに常識的な説明が)書かれていた。
件の投書の主は、「いただきます」とは誰かに食べさせてもらうことを意味する言葉だと思ったのだろう。だから自分で(親が)その代金を支払っているのだから「いただきます」という必要がないと考えたのだ、と思う。
なるほど、こういう考えもあるのか。でもだ、考えてみれば「いただきます」はその食べ物を作ってくれた人への、その食べ物の材料となった野菜を作ったり魚を獲ってくれた人への、さらには私が食べるために絶たれた野菜や魚の命に対する感謝の言葉でもあるんだろう。意味深く、美しい言葉だ。
日本では「お茶が入りましたよ」という。考えてみればこれはじつに奇妙に言い方だ。お茶が勝手にはいるわけがない。「私がお茶をいれましたよ」では、飲む方に気を使わせる。だからあたかもお茶が「勝手に」はいったような言い方をする。おそらくこんな言い方は英語にはないだろう。これもまた美しい言葉である。
そう言えば最近、「ご馳走さま」は言っても「頂きます」は余り言っていなかったかも知れないな。「いただきます。そして、ご馳走さまでした」。
今日の1枚は、スプリング・ブルースターこと、大犬のふぐり。
「給食費を払っているのだから、子供に『いただきます』といわせないでほしい」。食の安全・安心をテーマにした会議で、こんな投書があったことが披露された。
郷秋<Gauche>は早速広辞苑を引いてみた。
【頂く・戴く】の4のロに「食う」「飲む」の謙譲語。とある。
郷秋<Gauche>は例によって新明解国語辞典(第四版)も引いてみた。
【戴く】の4に「飲む・食べる」の謙譲(丁寧)語。さらに5に飲食する前に述べるあいさつ語。と(新明解にしてはじつに常識的な説明が)書かれていた。
件の投書の主は、「いただきます」とは誰かに食べさせてもらうことを意味する言葉だと思ったのだろう。だから自分で(親が)その代金を支払っているのだから「いただきます」という必要がないと考えたのだ、と思う。
なるほど、こういう考えもあるのか。でもだ、考えてみれば「いただきます」はその食べ物を作ってくれた人への、その食べ物の材料となった野菜を作ったり魚を獲ってくれた人への、さらには私が食べるために絶たれた野菜や魚の命に対する感謝の言葉でもあるんだろう。意味深く、美しい言葉だ。
日本では「お茶が入りましたよ」という。考えてみればこれはじつに奇妙に言い方だ。お茶が勝手にはいるわけがない。「私がお茶をいれましたよ」では、飲む方に気を使わせる。だからあたかもお茶が「勝手に」はいったような言い方をする。おそらくこんな言い方は英語にはないだろう。これもまた美しい言葉である。
そう言えば最近、「ご馳走さま」は言っても「頂きます」は余り言っていなかったかも知れないな。「いただきます。そして、ご馳走さまでした」。
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