重語

 アヤシイ日本語が氾濫していると言われる昨今だけれど、郷秋<Gauche>がこの頃特に気になるのが、同じ意味の言葉を重ねる「重語」。私の身の回りで特に多いのが「訃報のお知らせ」だ。こうして書いてみればすぐにわかることなのだが、「訃報」には既にお知らせの意味が含まれている。その「訃報」の後にお知らせという言葉を付けるものだからおかしな日本語になってしまうわけだ。「忘年会開催のお知らせ」のノリでついつい「お知らせ」をつけてしまうんだろな。

 同じような間違いが「後で後悔する」だ。これもまた書いてみればすぐにわかることだけれど、後悔とは「後で悔いること」。これに「後で」を付けるのは、やはりおかしい。日本語の場合には書いてみれば気がつくことも多いけれど、カタカナ表記の場合には気がつきにくいかも知れないな。

 たとえば、調べてみると西武系らしい書店の「リブロブックス」。リブロはイタリア語の本(単数形)の意味だ。それに英語の本(複数形)をつけて本屋らしい名前にしたつもりなのだろうが、変だ。もっとも運営する会社名は「リブロ」のようなので、どうせイタリア語なんて誰も知らないだろうと高を括った確信犯と言うところだろうか。今はもう社名変更したようだけれど、アイワイバンク銀行やシティバンク銀行も同類だな。こちらについては銀行法の縛りの関係だと思うけれど。

 「ら抜き」や「さ入れ」言葉が変だとは随分言われているけれど、これは時代と共に変化してゆく言葉の常で、それは正しくないとか、正しいとか言うのはヘンじゃないかと、郷秋<Gauche>は思っている。昔からある言葉だけが常に正しいのだとすれば、その時代に語られる言葉は、数百年前の言葉と比べたら、常に「正しくない言葉」になってしまうからである。でも「重語」は明らかにヘンだ。だって、同じことを二度言う必要はないんだから。


 今日の1枚は、横浜で見つけた秋の空。横浜にだって、こんな空があるんです。
[ 撮影 : あかねの森 ]
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