小説は事実より凡庸なり

 昨日の記事のタイトル、「事実は小説より奇なり」は余りにも陳腐であったな。書いている時から気が付いていたからこそ「言い古され今どき流行らない、そんな言葉しか思い浮かばない」と書いてはみたものの、やはり陳腐だ。恥ずかしい。

 ふた昔ほど前までは、平凡な日常の中にあって才ある小説家が創造する世界は常に「奇」であり、稀に小説の世界よりも奇っ怪な事件があると「事実は小説より奇なり」、と言われるわけであった。

 ところがところが、最近ではすべての小説家の創造力が枯渇してしまったのではないかと思えるほどに奇っ怪な事実(事件)が次々に起こるものだから、小説世界の方が凡庸に思えてしまうわけだ。だから「事実は小説より奇なり」などという言葉が廃れてしまったわけだな。「小説は事実より凡庸なり」と言っては、世の小説家に失礼だろうか。

 
今日の1枚は、秋の「証拠」、色付いた柿。
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