団子突き

 今日の神奈川新聞「情報ストリート」のページ「催事」のコーナーに、「古民家でお月見を楽しもう!」というタイトルで茅ヶ崎に伝わるという「団子盗み」を再現、体験する催しが写真と共に紹介されていた。「団子盗み」の名称とその写真から判断すると、私が子供の時に経験した「団子突き」と同じもののようである。団子突きは十五夜の晩の子供たちの悪戯である。こんな遊びだ。

 十五夜の晩、家々ではお月様のために窓際に団子や果物を供える。このときに、お月様が供え物を取って食べられるようにと窓は開け放っておくのがしきたりである。そんな供え物を子供たちが狙うのである。2、3メートルほどの細い竹の先に五寸釘を針金でしっかり括りつける。その竹竿を持って供え物のある窓に忍び寄り、団子や果物を突き刺し頂戴するのである。

 大人たちは、子供たちが団子や果物を狙いに来るのを承知の上で窓を開け放ち、取りやすい場所に供えておくのである。そして気がつけば供えた団子や果物の幾つかがなくなっている。それを、まだ団子突きに加われない小さな子供たちに「見てごらん。お月様がお団子を食べてくださったよ」と教えるのだ。

 団子突きの親分は近所のガキ大将。大将は子分の年齢や力量に合わせて偵察や見張り、実際に団子を突く者を指名し、あるいはその戦利品を担ぐ者を決めるの。取ってよいのは供え物のうちの幾つかであり、決して全部を取ってはいけないことを教える。万が一にも咎められることがあれば、小さい子から順に逃がしてあげるのは大将の仕事であるのは勿論である。

そのようにして幾軒かの家を回り、全員で分配できるだけの団子や果物を得ると、近所の空き地などに集まり大将が戦利品を皆に分け与えるのだ。最初は均等に、そしてその歳や働きに応じて少しずつ加算するのは大将の大事な役割である。そして分け与えられた戦利品をもってめいめいの家に帰る。親たちはその団子や果物がくすねてきたものであることは百も承知であるが、この日ばかりは何も言わない。

 このようにしてガキ大将はリーダーとしての役割を、子分は子分としてそれぞれに与えられた役割を果たし、分に応じた碌を与えられることで社会の成り立ちを学んだのであった。

 幼少の者は年長者に従い、年長者は小さな者を守り教え、その働きに応じた代償を分け与える。古き良き時代のことと切り捨ててしまうには余りにも惜しい、子供の社会性を養う仕組みである。


 今日の1枚は、白山谷戸の稲穂。もうこんなに頭を垂れています。
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