唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
とっても家電(いえでん)なPHS
電話と云えば携帯電話(以下、ケータイと表記)の事を指すようになってもう15年程になるだろうか。ケータイがいくら普及したとしても、最初はそんなことは起こらないだろうと思っていた家電(いえでん。「かでん」でも家にある発電機でもなく、家にある固定電話のこと。この小文では「家電」と漢字で書くことにするが、多分、「ケータイ」と同じで、片仮名で「イエデン」と書くのが「正しい」時代になったのかも知れない)が無い家が増えて来ていると云うではないか。
たとえ家電があっても、家電を使うのはFAXの送受信くらいなもので、自宅にいてもケータイが使われるのが当たり前の時代にいつの間にかなってしまったそんな今、まさかの家電、いや、限りなく家電のようなPHSがあるのを、PHSユーザーの郷秋<Gauche>であるのに、実は、今日まで知らなかった。ご存じない方は、まずはこちらをご覧いただきたい。WILLCOMが主張するように、限りなく「家の電話のような、PHSケータイ」、その名も「イエデンワ」なのですよ。
要するに、家電の形をしたPHSなのである。電話機本体と受話器がカールコードでつながっているけれど、電話機そのものは電話線にもAC電源にもつながっていない、紛れもないPHS。電源としては、どこでも入手可能な単三アルカリ電池4本で待ち受け800時間、10時間の連続通話が可能。標準装備のACアダプターを使えば、勿論時間無制限に使えるこちらが通常の利用方法で、単三4本で通話が可能だと云うのは、大規模災害等による停電の際の緊急性能と云う事になるだろう(ちなみにイエデンの最大のポイントは、ワイヤレスにすることも出来るのに、あえて本体と受話器をカールコードで結んだことだと、郷秋<Gauche>は思うぞ)。
職場や役所等で共有の緊急用ケータイがあったとしても、そのケータイにかかってきた電話に、周りにいる不特定の誰かが出ると云うのは、なかなか出来にくい習慣が既に出来上がっている。つまりだ、ケータイは例えば誰かの万年筆と同じで、筆記用具がそこには万年筆しかなかったとしても、その万年筆は誰か個人の持ち物であり、その所有者以外が使うことはためらわれる。でも、Bicの黄色いボールペンはそうではない。そのBicのボールペンが、仮に郷秋<Gauche>がポケットマネーで買ったものであったとしても、もし電話の脇に転がっていれば、誰でもが躊躇なくそのBicボールペンを使ってメモを取る。
ケータイと固定電話の違いは、云ってみれば万年筆とBicのボールペンの違いのようなものなのである。だから、ベルが鳴れば、電話機のそばにいる誰が受話器を取ってもいい、イエデンワは固定電話のような電話なのである。それでいて電話線が無くても100VのAC電源が無くても電池と電波で通話が可能なPHSだから、家電の無い人が、フツーに家電の代わりに使うのは勿論のこと、かつての臨電(臨時(仮設)電話)のようにも使えるし、インフラがダウンした場合の共用非常電話としても使える、実に無限の可能性を持った電話と云えるな。電話と云えばケータイが当たり前の時代に、イエデンワを「発明」した人はホントに偉いと、郷秋<Gauche>は思うぞ。
例によって記事本本とは何の関係もない今日の一枚は、春の訪れが例年になく遅い今年だけれど、それでもようやく顔を見せ始めてくれた、蕗の薹。
追記:既に幾度か書いている通り、PHSはすこぶる災害に強い。3.11大震災の折りにも、まったく使い物にならないケータイを尻目に、2~3回に1回は必ずつながったPHSのお陰で、郷秋<Gauche>は被災地福島にいる両親をはじめ近しい親族の安否をいち早く確かめることが出来たのは無論の事、原発被害から両親が避難する際の連絡も実にスムーズに取ることが出来たことを、あらためて付記しておく。