唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
No more “Classic” 4/3 products from Panasonic?
パナソニックは2004年にFour Thirds(フォーサーズ)規格に賛同し、さっそくオリンパスのE-330をベースにしたDMC-L1を登場させている。2007年にはDMC-L10(同じくE-510がベース)を投入したが、いずれも「売れた」話を聞いた記憶はない。L1とL10はFour Thirds規格ながらレフレックス機構を持つ一眼「レフ」であったが、2008年に登場したDMC-G1はMicro Four Thirds(マイクロ・フォーサーズ)規格となりレフレックス機構を排したデジタル「一眼」となった。
G1の登場によりパナソニックはレフレックスと決別したわけだが、パナソニックにとってはそれが正しい選択だったであろうと、郷秋<Gauche>はやっぱり思う。考えても見て欲しい。SLR(一眼レフ)市場はニコン、キヤノン2社の寡占化が進んでおり、辛うじてソニーが割って入ろうという程度。それ以外のペンタックスとオリンパスがSLR市場で踏ん張れるとはとても思えない。そんな中で策定されたMicro Four Thirdsにオリンパスとパナソニックが活路を見出そうというのは当然の流れである。
この際、SLRは2強+ソニーに任せてオリンパスとパナソニックは非レフレックスのMicro Four Thirdsに経営資源を集中させた方がいいんじゃないかな。オリンパスとしてはFour Thirds規格策定者としての意地があるかも知れないけれど、APS-C対Four Thirdsならまだ勝負になっても、35mm Full Size対Four Thirdsではまったく勝ち目がないですからね。おっと、ペンタックスを忘れておったぞ。ペンタックスはリコーに身売りして、「『マイクロKマウント』+APS-C」に活路を見出すというシナリオはどうだろうか。
と云うわけで、No more “Classic” Four Thirds products from Panasonic?は噂ではなく、パナソニックの大物から流出した話であったために噂だとしているのではないかとは郷秋<Gauche>の勘繰り。それにしても2002年に出来たばかりの規格が“Classic”とは、43rumorsも大した表現をしたものだね。
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例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、恩田の森の白山谷戸の田んぼのあぜ道でぽつんと咲いていた彼岸花。
「歩く歩道」って何?
「大阪市、WTCまで歩行者用「空中回廊」整備へ歩く歩道も検討」
この際、記事の内容はどうでもよろし。そもそも福島生まれ&育ち、横浜暮らしの郷秋<Gauche>には「WTC」が何なのかさえ、ようわかりません。
郷秋<Gauche>にはわかるのは、いや、わからないのは「歩く歩道」。歩道とはもともと人が歩くためのもの。その歩道が歩くって、どういう事?確かに歩道が歩いたらニュースになるけれど、これはどう考えても「動く歩道」の間違いでしょう。親愛なる神奈川新聞も結構楽しませてくれるけれど、産経新聞もなかなかやるものですな。
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例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、昨日掲載した写真と同じ室内から海側のC滑走路を見た図。室内から撮っていますが幸い窓ガラスにスモークフィルムが張ってあるため室内側からの反射が少なく比較的クリアな写真を撮ることが出来ました。
2009年F1 第13戦イタリアGP観戦後雑感
ポイント1:ブラウンGPの復活は本物か
開幕戦から圧倒的な強さで突っ走ったブラウンGPだが第7戦トルコGPを最後に突然の失速。バリチェロが第11戦ヨーロッパGPで突然の優勝を果たしたものの2009年のポイントリーダーたるバトンは第12戦ベルギーGPまで不振を囲うことになった。
バリチェロはバトンが突如失速した第8戦イギリスGPでも3位入賞するなど、序盤戦の勢いは無いというもののそこそこの走りを見せていただけにバトンの不振だけがやけに目に付くヨーロッパラウンドとなったが、突然の失速の後はまた、突然の復活である。
果たしてブラウンGP、取り分けバトンの突然の失速の原因は何なのか。主たる原因がマシンの不調だとすると、バリチェロのイギリスGP3位、ヨーロッパGP優勝の説明ができない。そこで郷秋<Gauche>はバトンの「真夏の不調」の原因は彼自身のメンタルな問題であると結論付けたい。根拠はない。苦節10年、漸くつかんだ大きなチャンス。と同時にその大きなプレッシャーに耐えかねたのか、あるいはまったくプライベートな問題なのか、知る由もない。
マシンが本当に調子を取り戻したのかどうかは次戦の結果を見るまでは判断のしようがない。久々の1-2フィニッシュはマシンの絶対的速さではなくロス・ブラウンの、1ストップと云う戦略によってもたらされたものだからである。なお、モンツッアにおけるバリチェロとバトンの僅かな差はセッティングの差である。
ポイント2:フォース・インディアの速さは本物か
結論を先に云っておこう。郷秋<Gauche>の結論は、「本物である」。その理由はモンツッアでVJM02に初めて乗ったビタントニオ・リウッツィが予選7位を獲得したこと。初めてのマシンで走ることがどれ程難しいかは、マッサの代役でフェラーリF60に乗ったルカ・バドエルの惨憺たる結果を思い出せばよいだろ。初めて乗るマシンで予選7位とは余程優れたマシンでなければ成せぬ業。名手ジャン-カルロ・フィジケラをもってしても初めて乗るF60では予選14位が精一杯だったのである。
VJM02の速さの源は、パワフル(だと思われる)メルセデスエンジンよりも、その優れたハンドリングに拠る所が大きいだろう。オンボードカメラの映像を見ているとわかるが、VJM02はコーナー出口でのステアリング修正を必要としていない。実にスムーズなコーナリングで、コーナーの頂点通過直後に加速が可能な状態である。
ハンドリング特性としては、オーバーステア(ドライバーが意図した以上に曲がってしまう。多くはテールがアウト側にスライドしている)とアンダーステア(ドライバーが意図したより少ししか曲がらない。多くはフロントタイヤが取りたいラインより外に逃げていく)がある。ニュートラルが理想であるがなかなかそう云うセッティングには持ち込めず、弱オーバーか弱アンダーになることが多い。極端な場合は別だがオーバーかアンダーか、ドライバーによって好みが分かれるようだ。いずれにしてもコーナー進入時にはそのハンドリング特性に応じたライン取りをすることが出来る。
問題はコーナー出口でのマシン挙動である。アプローチとは違い、予測できない挙動に見舞われることが多々ある。つまり、縁石に乗り上げた場合、コース上に砂が出ていた場合、あるいはアプローチの仕方が若干でも甘かった場合などであるが、サスペンションが十分な仕事をしていなければマシンは挙動を乱し、ドライバーはコーナリングのたびにステアリングを右に左にし暴れるマシンを押さえ付けなければならないことになる。
F1マシンのタイヤグリップ(コンパウンド(接地面のゴムの材質)と空力の相互作用)は強力だから、カウンターステア(テールが流れるのとは逆の方向にステアリングを切ること)を当てた後には強い揺り戻しがくることが想像できる。車載カメラで見る限り、昨日のレースであればレッドブルのRB5がまさにそのようなマシンだった。十分なダウンフォースがあれば多少改善されたのかも知れないが、名うての高速コース故にモンツッアを走るマシンはどれもダウンフォースをぎりぎりまで削っていることからそれも適わず、ベッテルはコーナーのたびにステアリングと格闘していたのである。
最初に書いた結論通り、フォース・インディアVJM02は乗り易くかつ速いマシンである。ただし、高速サーキットでは。と云うのはフォース・インディアが急に戦闘力を増したのがスパ・フランコルシャンからだからである。果たして次戦、シンガポール市街地コースのような低速コースでどのような結果を残すのか楽しみである。シンガポールでも速ければVJM02の速さは本物であると断言できる。
ポイント3:2009年のチャンピョンシップの行方
コンストラクターズは、4戦を残して2位レッドブルに40.5ポイントの差を付けているブラウンGPで決まりだろう。問題はドライバーズ・チャンピョンシップだ。郷秋<Gauche>の予想はずばり、ジェンソン・バトン。
第7戦まで圧倒的な強さを発揮したバトンだが、その後はスランプに陥りその間にレッドブルのベッテルとウェバーがポイントを積み上げたが、コンスタントにポイントを獲得できたのは第9戦まででありその後はドタバタなレースが続いている。おそらく残り4戦の中でよいレースもあるだろうけれど、悪いレースもあるから確実なポイント積み上げは難しいと郷秋<Gauche>は読んでいる。
勿論、外的な要因もある。それはマクラーレンとフェラーリの復活、さらにはフォース・インディアの急成長である。マクラーレン、フェラーリ、フォース・インディアの誰かが表彰台に上がる、あるいは2人ずつがポイント圏内でフィニッシュすれば、レッドブルとブラウンGPの4人が表彰台に上る、ポイントを取ることの出来る可能性は少なくなってくる。大量ポイントをゲットするのがブラウンGPかレッドブルだけであったシーズン半ばまでとは状況が違っているのである。
つまり、チャンピョンシップを争っているベッテルとウェバーの敵はブラウンGPのバトンではなく、マクラーレン、フェラーリあるいはフォース・インディアのドライバーと云うことになる。逆に云えば、バトンは自分がポイントを取れなくても、マクラーレン、フェラーリあるいはフォース・インディアのドライバーがポイントを取ってくれれば、判り易く云えば、ベッテルとウェバーがポイントを取れない状態が続きさえすれば、タイトルが転げ込んでくるのである。
そんなこんなを考えると、バトンの最大のライバルは同僚のバリチェロである。でも大丈夫。残り4戦すべてでバリチェロが優勝したとしても、バトンがバリチェロのすぐ後ろあるいはもう一つ後ろでフィニッシュすれば逆転されることはないし、そもそも残りレースのすべてでバリチェロが優勝できるとは考えられないからである。
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例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、街中に突然現れたボーイング777-300。以前、羽田空港付近の道路をクルマで走っていて前方に突然ヒコーキが現れてびっくりしたことがありましたが、陸側のA滑走路と海側のC滑走路の間でヒコーキが行き来する必要がありますので、当然そう云う現場を目撃することもあるわけですね。で、今日の写真は空港近くのとあるビルの6階屋内から撮ったもの。写真奥が横浜方向ですから、海側のC滑走路に下りた777が、第一ターミナルまでタキシー中ということになりますね。
森はすっかり秋色
あるいは一週間前に、それらの小さな兆候を私が見過ごしていたのかも知れません。あるいはこの一週間で秋が足早にやってきたのかも知れません。あるいはその両方であったのかも知れません。でも、とにかく、森はすっかり秋になっていました。暑かったけれどそれは秋の暑さで、首筋を流れたのは、秋の汗でした。
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今日の一枚は、かつらの森とすみよしの森の間にある白山谷戸。
今日、恩田の森で撮影した写真をこちらに掲載しておりますので、ぜひご覧ください。
恩田Now

札幌2位転落、横浜は4位
今年のトップは函館市。一昨年の4位、昨年の2位から順位を上げ、昨年まで連続3年トップであった札幌市から1位の座を奪取した。その札幌市も2位の座は確保したものの、3位の京都市とは僅かにコンマ1の差であり、同研究所によれば「札幌市のブランド戦略において、マイナスイメージの要因を洗い出し、それを解決しなければ今後もイメージの低下が続く危険がある」とのこと。
さて、我が横浜市は京都市に続く4位であった。上位3市はいずれも観光分野において高ポイントを獲得した結果の総合上位であるが、横浜市は「居住意欲」での1位が大きな牽引要素であったものと思われる。因みに「居住意欲」部門の2位は神戸市で、以下、鎌倉市、京都市、札幌市と続く。
この調査は市町村が単位になっているが、東京都23区はそれぞれ独立した「市扱い」となっているためにポイントが分散したためか、新宿区も中央区も港区も杉並区も渋谷区も上位20位までには出てこないのはちょっと変な気もする。調査項目が観光分野に偏重しているのかも知れないな。でも、そうだとすると浦安市が上位に出てこないのは不思議だけれど、あそこはあくまでも「ディズニーランド」であって、訪れる人にはあそこが千葉県浦安市だという認識がまったく無いんだろうな。
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例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、赤いはずの尾翼が何故かグリーンのボーイング777-200。PhotoShopで悪戯したわけではなく、JALの地球環境プロジェクト「空のエコ」の一環として登場した、多分1機しかない「JAL エコジェット」。胴体後方に緑の紙ヒコーキが描かれていますが、この写真では見えませんね。
ライカと云う選択
注1:もともと映画用に使用されていた35mm幅のロールフィルムを水平方向送りで使用することで一コマの画像サイズを24mm×36mmとして使用するパトローネ入りのフィルム。開発したライカ社に敬意を表して「ライカ判」とも呼ばれる。因みに映画は垂直方向に送るため一コマの画像サイズは18×24mm。水平方向送りでこのサイズとするのが「ハーフ判」だが、垂直方向送りのハーフ判もあった(京セラのサムライ)。
注2:当時はシートフィルム(4inch×5inchなど)を使う大型カメラが主流であったが、開発者のオスカー・バルナック(Oskar Barnack、ドイツ人、1879- 1936)自身が小柄な体躯で、大型カメラを携帯することが困難であったことから小型カメラを開発したと伝えられている。まさに「必要は発明の母」である)
そのライカからAPS-Cセンサー(撮像素子)を用いたコンパクトタイプのカメラ、X1が発表された。X1のその姿は暫く前にスクープされ郷秋<Gauche>も目にしていたが、果たしてレンズが交換式なのかどうかという、肝心な情報が無いままライカ自身からの発表を迎えることとなった。結論を云えば、レンズは固定式(交換できない)の24mm F2.8(35mm換算36mm)であるが、交換できないことと引き換えに軽量コンパクトを得たX1は124×59.5×32mm、286g(本体のみ)であると云う。
つまり、オリンパスE-P1と比較すると、倍の面積のAPS-Cセンサーを使いながら、幅が僅かに3.5mm大きいだけで、高さはマイナス10.5mm、厚みマイナス3mm、重さマイナス70gを達成していることになる。特記すべきは重さで、レンズ込みでマイナス70gと云うことは17mm F2.8付のE-P1と比べれば160gも軽いことになる。
画質の点では作例も見るまでもなく一般的なコンパクトカメラの1/2.5インチサイズのイメージセンサーに対しては勿論フォーサーズ規格のセンサーと比べても、APS-Cセンサーによる高画質、特にISO高感度時の画質は圧倒的に有利であると確信できるが、やはりレンズ交換ができず、広角(36mm)固定であることのハンディは大きいと云わざるを得ない。
そんなこんなを考えると、X1は同じくレンズ固定式の高級コンパクト、GR Digital IIIの好敵手となることが予想されるが、如何せんGR Digital III(71,8200円(ヨドバシ価格))の3倍はするようなので、一体全体誰がこれを買うのかしらんと云うのが郷秋<Gauche>の正直な感想である。
GR Digital IIIは他のコンパクトカメラと比べて高価かつレンズが28mm固定焦点であるにも関わらず売れているようであるが、これは他のコンパクトカメラとは差別化されたカメラを購入したいという層が存在することを意味する。となるとライカから登場したX1がこれまでのGR Digital III購入層のいくばくかを奪う結果となるかもしれない。
マグネシウム合金ボディ、アルミ合金のトップカバーとボトムカバー、合成皮革張りに赤いライカのマークと云ったいかにもライカらしい外装、Photoshop Lightroom無料ダウンロード権が付属するとは云っても、一般ユーザー層が3倍の価格差を果たしてどのように考えるのかにかかっているということだな。
しかしだ、X1がAPS-Cセンサーでありながらこれだけ軽量コンパクトなボディを実現したということは、レンズ交換方式を導入しても同程度の大きさ重さのボディを作ることも可能だということだろう。そうなると、近頃噂になっているリコーか開発中であると云われるKマウントカメラは大いに期待できるんじゃないかな。一部では年内に発表されると云われるKマウントリコーの登場が待ち遠しいぞ。
【参考】ライカはX1の発表と同時に35mmフルサイズイメージセンサーを搭載したM9及び45mm×30mm、3,750万画素のCCDを搭載する中判一眼レフを発表している。が、郷秋<Gauche>には共に縁のない種類にカメラだし、特にM9は危ないので近づきたくない種類のカメラである。よって、この2機種について郷秋<Gauche>が触れることは今後も多分、無いものと思われます。
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例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、玉簾(たますだれ)。葉が簾に使う竹ひごのように丸いことからの命名。名前は今ひとつパッとしないけれど花は美しく、郷秋<Gauche>の好きな花のひとつです。茎や葉に有毒成分が含まれていますので注意が必要です。
MRJ、仕様を一部変更
仕様の一部を変更と云うことだが、その内容は客室高及び客室内手荷物収納スペース拡大のために当初計画よりも胴体の縦径を2.5inch拡大すること、主翼への利用を検討していた複合材料では補強材により重量過多となることから金属製に変更すること、さらに当初計画していた70席型(MRJ-70)及び90席型(MRJ-90)の他に、ヨーロッパのエアラインからのリクエストが多い100席型も同時に開発することである。これらの変更により初号機のANAへの納入が3ヶ月程度遅れることになるが、同社は「競合する他社の小型と比較して燃費などの優位性があり、販売計画に影響はない」としている。
シート拡幅による居住性向上のための横径拡大ならわかるが、バゲッジスペースのために胴体の縦径を拡大するとは思い切ったものである。確かに郷秋<Gauche>がJ-AirのCRJ-200に搭乗した経験から云えば、この手のリージョナルジェットのバゲッジスペースは極小であり、ワイドボディ機はおろかMD90や737辺りと比べても極端に小さく、通常我々が理解している機内持ち込みサイズのバッグされも頭上には収まらないのである。そんなこんなを考えると、この設計変更は長い目で見れば「吉」と出ることだろうな。
参考:CRJ、MRJ、ERJについてはこれまでに沢山の記事を書いているので、右側の検索窓からblog内検索をかけて、あるいは同じく右側のカテゴリから「飛行機」をクリックしてご覧いただければ幸いです。そうそう、CRJ LinksなどというWebPageを作っていた事を思い出し、いま確認しましたが何と3年半もメンテナンスせず放置したままでありました。なんともはや(^^;。
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ヒコーキものの記事にはヒコーキの写真。昨日に続いて郷秋<Gauche>のblogにしては珍しい記事写真合一である。が、残念ながら写っている機体は、羽田空港のJALの整備工場前に駐機する、リージョナルジェットと呼ぶには大きすぎるMD-90(166席)。ただし、リアマウントエンジンやT字尾翼と云った特徴はリージョナルジェットの典型であり、CRJと酷似している。リージョナルジェットとしては低翼の下にエンジンをぶら下げたE170のような形状の方がむしろ異例なのである。
どうするJ-Air、どうするCRJ
どうやらJALは本気でMD81、90をE170にリプレイスしていくようだが、問題はJ-Airが現在が運行しているボンバルディアCRJ-200との関係、そしてYS-11以来の国策(国産)旅客機MRJ(70~96席)との関係である。
一つ目の問題、ボンバルディアCRJ-200との関係は、同じクラスの旅客機であるボンバルディアとエンブラエルの2機種を導入し、今後もこの異なる機体のメンテナンスを続けていくのかと云うことである。現在J-Airが運行しているボンバルディアCRJ-200は50席とE170より小さいがCRJ-200の長胴型として70席のCRJ-700、90席のCRJ-900が存在している。メンテナンス及び運行乗務員のライセンスの事を考えれば、当然CRJシリーズを選択する方が効率が良いわけだが、何故かJALはエンブラエルを選択した。
件の記事に「燃料の使用量も大幅に少ない」とあったが、166席のMD-90と70席のE170を比較すればE170の燃料使用量が大幅に少ない当然のこと。比較すべきはMD-90ではなくボンバルディアCRJ-700なのである。運行乗務員のライセンスの点でもCRJ-200と700あるいは900であれば最小の訓練で2機種あるいは3機種の乗務が可能のはず。また、メンテナンスも同様である。だから郷秋<Gauche>にはJALがエンブラエルを選択した理由がよくわからない。あえてE170のメリットを上げれば、このクラスで唯一、ボーディングブリッジを使っての乗降が可能なことくらいである(胴体幅が17cm広く極わずかだが、横方向の余裕がある)。
エンブラエルを導入することの二つ目に問題は、YS-11以来の国策(国産)旅客機であるMRJを、旧国策会社であるJALが導入しなくて良いのかと云うことである。MRJについては郷秋<Gauche>も幾度も書いているが、今、日本が国の総力をあげ、名だたる企業多数が参画して推進する世紀のビッグプロジェクトである。一大国家プロジェクトとして誕生するMRJについてはANAが25機(オプション10機)、政府が10機を導入すべく既に発注済みとなっているが、ローンチ(生産開始)には100機程度が必要と思われるからANAと政府専用機の合計35(45)機だけではまだまだ足らない。
さて、先の衆議院議員選挙の結果、民主党が大勝利し与野党逆転となったわけだが、自民党政権の中で推進されてきたMRJ計画を民主党政権が継続するのか。政府専用機として10機発注されたMRJの運命は。果たして航空行政がどうなるのかは今しばらくの様子見が必要となるだろう。航空行政絡みでは、富士重工業が、自衛隊が60機導入予定であった戦闘ヘリコプター「AH64D」(アパッチロングボウ)の調達を10機で打ち切ったことによる損失(既に支払ったライセンス料など数百億円)の支払いを求め争う姿勢のようだが、自民党政権時代のツケを民主党政権がどう処理するのかも見ものである。
国策云々と書いてはみたが、企業には企業の都合があることもよくわかる。「国民総動員」では「あの時代」に戻ってしまうようで怖くもある。がしかし、それはおいておくとしても、ヒコーキファンとしては機種数が少なくなり面白みが欠けつつある日本の空に少しでも多くの種類のヒコーキに飛んでいてもらいたい、CRJ、ERJそしてMRJ、その短胴型、長胴型など幾つものヒコーキに乗れる楽しみがあって欲しいと思うわけである。
参考:CRJ、MRJ、ERJについてはこれまでに沢山の記事を書いているので、右側の検索窓からblog内検索をかけて、あるいは同じく右側のカテゴリから「飛行機」をクリックしてご覧いただければ幸いです。
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珍しく記事内容に沿った写真を掲載することが出来た。残念ながら実物はまだ見たことも無いが、たまたまE170の大きなスケールモデルを撮った写真が手元にあったので掲載する。因みにバックは優に2mはあろうかという747-400。
マイクロフォーサーズ機は高価格に過ぎる
注:両社共に「デジタル一眼」と呼び、オリンパスは更に「マイクロ一眼」とも呼んでいるが、「デジタル一眼」を文字通り解釈すると、デジタル方式でひとつの(撮影用)レンズを持つカメラと云うことになるから、コンパクトタイプを含め、現在製造販売されているほとんどすべてのでデジタルカメラを包含することになる。
両社「一眼」に拘っているようだが、「一眼」とは旧来「一眼レフ」と呼ばれ、撮影用とファインダー用二つのレンズ(光学系)を持つ「二眼レフ」よりも更に進んだカメラの形状を現した用語であった。つまり「一眼」は「二眼」に相対する形式(カテゴリ)であり、本来、一眼レフとE-P1やGF1のようなレフレックス機構、すなわち撮影に使用するレンズと撮像体(フィルムあるいはイメージセンサー)の間にミラー鏡をおき、実際に撮影されるイメージをファインダーで確認することができる機構を持たないカメラとを区別するための用語ではない。
機構上の特徴を用い一眼レフとE-P1やGF1を区別しようとするならば後者を「レフレックス機構を持たないレンズ交換可能なデジタルカメラ」と云うべきである。ただしこの場合、ライブビューモニタを持たないライカM8、M8.2、エプソンR-D1xGをも含むことになるが、こちらは「レンジファインダーを持つデジタル方式のカメラ」と標記することで差別化することが出来るだろう。
郷秋<Gauche>が調べたところではE-P1が17mm F2.8付きで98,800円、14-42mm 付きで89,820円、GF1が20mm F1.7 、14-45mm F3.5-5.6付き共に80,820円であり、「ちゃんとした」一眼レフであるニコンのD3000 18-55mm VR付きの62,800円(11/16までは5千円のキャッシュバックキャンペーンにより57,820円)、D5000 18-55mm VR付きの89,820円(11/1までは51千円のキャッシュバックキャンペーンにより89,820円)と同等であったり高かったりする。同じオリンパスのE-620レンズキットの88,650円よりも高い。よりも高機能な「一眼レフ」より、より簡易な「レフレックス機構を持たないレンズ交換可能なデジタルカメラ」の方が高価であるのはいかがなものだろうな。
D3000 18-55mm VR付きが62,800円、高級コンパクトと云われるPowerShot G11が53,820円、CoolPix P6000の後継P7000も多分同価格であることを考えると、E-P1が17mm F2.8付きで59,800円、GF1が20mm F1.7 、14-45mm F3.5-5.6付きが56,800円と云うのが妥当な価格でなないだろうか。レフレックス機構がないのにSLRよりも高い「コンパクトの親分」って、やっぱり変だよね。だから郷秋<Gauche>は買わないことにする。
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例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、一昨日ご紹介した天下茶屋に行く前に行ってみた、富士山須走口五合目付近、富士山の森林の限界近くの森の中で撮った小さな命。
リコーからKマウント仕様のカメラが登場か?
リコーのSLRは古くはM42マウント(プラクティカスクリュー)を使用していたが、1977年に登場したXR-1、XR-2からはペンタックスが策定したKマウント(この記事を書くに当たって調べて初めて知ったのだが、Kマウントの「K」は「King of SLR」の「K」なのだとか)をSLRから撤退するまで使っていた。
Kマウント以前のペンタックスはご存知の通り万国共通規格とでも云うべきM42を使っていたが、それがペンタックスの哲学なのだろ、Kマウントもユニバーサルマウント化を目指し規格を公開したためにMF(マニュアルフォーカス)時代には国内外の様々なメーカーに採用されることになった(国内メーカーだけでもチノン、ミランダ、ペトリ、コシナ、トプコンと多数)。
リコーもそのうちの一社でありKマウントとの付き合いは20年以上にわたるが(1998年発売の輸出専用機KR-10Eまで)、その後はSLR市場から撤退したため、Kマウントを使用するカメラはここ10年間登場していないことになる。ところが、ここに来て「リコーがKマウントのカメラを開発中」との噂が飛び交っているからびっくりである。
いまさらリコーがDSLR市場に打って出るとは考えられない。飛び交っている噂を総合し郷秋<Gauche>が導き出した結論(と云っても勿論「予想の結論」であるが)は、「KマウントとAPS-Cイメージセンサーを使用し、かつレフレックス機構(ミラーとペンタプリズム)を持たないカメラ」である。
噂で「Kマウント」とされていることから考えるとFour Thirds(フォーサーズ)から派生したMicro Four Thirds(マイクロフォーサーズ)のように、マウント径を縮小したものではないだろう。つまり使用するマウントはKマウントそのものであるが、レフレックス機構を持たないカメラ専用であることから、ボディ本体と共にリコーが開発しているであろう専用レンズはフランジバック(ボディ側のレンズマウントから撮像体(フィルムもしくはイメージセンサー)までの距離)の短いものとなるだろう。
Kマウントでありながらフランジバックが短いということは、本来のKマウントのフランジバックとの差分の厚みのあるアダプタを使用すればすべてのKマウントレンズを使用することが出来るということである。つまりはFour Thirdsに対するMicro Four Thirds規格と同じ考え方に基づく、E-P1やGF1と競合するかカテゴリのカメラである。
Kマウントの口径がそのままと云うことは、小型化と云う意味ではハンディになるがAPS-Cセンサー使用を前提に考えれば止むを得ないことだし、Four Thirdsの倍の大きさのあるセンサーによる、特に高感度時の画質を考えればE-P1やGF1より若干大きくなったとしても甘受しなければならないだろう。
大きくなるといってもボディサイズに比してマウントが大きくなるのであって、ニコンがプロ用のD3と同じマウントを使ってD3000のような小型のSLRを作り上げていることを考えれば、それ程大きなボディにはならないような気もする。勿論レンズの方も設計のしようで相当小さなものを作ることも出来るだろう。事実、ペンタックスは厚み15mm、90gの40mm F2.8のレンズを持っている。
HOYAがペンタックスを買収して間もなく2年になるが、HOYAとしてはどうやらカメラ部門をお荷物と感じ始めているようで、提携先・売却先を探しているといった情報を見聞きすることが多くなってきている。同じ時期にリコーがKマウントを使用するカメラを開発しているとの噂を耳にするとなると、ペンタックスとリコーの間に技術的な関係以外の関係が生じ始めているのではないかとの想像も当然出て来るわけである。
SLR市場はニコンとキヤノンの二社が支配し、そこにソニーが割って入ろうかという図式。SLRでのシェアの小さなオリンパスは「マイクロ一眼」に活路を見出そうとしているようだし、パナソニックも軸足は完全にマイクロフォーサーズに移しているようである。となると、ペンタックスの進むべき道は自ずと見えてくる、かな?
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例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、天下茶屋を見た日の夜の食卓に乗っていたキャンドル。COOLPIX S52で撮ったものですが、暗いところでの画質がまずまずなのにはちょっと驚きました。
「太宰も筆の誤り」の現場を訪ねる
巷で喧しい「太宰治生誕100年」に踊らされたわけではない。本物の月見草の栽培を始めて久しい郷秋が、まだ本物の月見草を知らぬ人にこの花の話をする度に返って来る、「あぁ、あの道端で咲いている黄色い花ね」という応えを聞くたびに、こんな誤解を日本中にまき散らした太宰治の誤認の現場を是非とも訪ねてみたいと思いながら果たせないでいた願いが漸く叶ったのであった。
太宰が日本中に誤解を振りまいた元凶は、こんな具合。その年初めての雪が富士の頂きを覆った後だから、太宰の三ヶ月に及ぶ天下茶屋での生活も終わろうとしている頃、御坂峠の頂上からバスで三十分程ゆられてたどり着く河口湖畔の郵便局に郵便物を取りに出かけた帰りのバス車中のことである。以下、原文を転載する。
「老婆は何かしら、私に安心していたところがあったのだろう、ぼんやりとひとこと、
『おや、月見草』
そう言って、細い指でもって、路傍の一箇所をゆびさした。さっと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらりとひとめ見えた黄金色の月見草の花ひとつ、花弁も鮮やかに消えずに残った。
三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うか、金剛力草とでもいいたいくらい、けなげにすくっと立っていたあの月見草は、よかった。富士には、月見草がよく似合う。」
実は太宰が間違った訳ではないのだ。太宰のすぐとなりに坐っていた、「濃い茶色の被布を着た青白い端正な顔の、六十歳くらいの、私の母とよく似た老婆」が、待宵草(まつよいぐさ)あるいは大待宵草(おおまつよいぐさ)を「月見草」と間違った。そしてその間違いを太宰が「富嶽百景」の中でなぞったのである(バスの中で、老婆が「おや、月見草」と云ったのは太宰の創作ではなく事実であろう郷秋は想像する)。
数年来の願いが叶い、1938年(昭和13)の9月から11月までの3ヶ月間、太宰が滞在した御坂峠の「天下茶屋」を漸く訪ねることが出来た郷秋であるが、現在の「天下茶屋」は1982年(昭和58)に開店したもの。太宰が滞在した当時から数えると三代目に当たる建物であるが、その二階には太宰が滞在した部屋が復元され、当時使用されていた(とされる)机や火鉢が置かれている。
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上の写真には写っていないが床柱も太宰が滞在した当時のものであるとの説明書きがあった。
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二枚目の写真は、太宰が滞在した部屋を再現したという部屋とは廊下を挟んで向かい側の八畳間。こちらの部屋からは河口湖と富士山(残念ながらこの日は雲に隠れていたが)とがホントによく見える。実際に太宰が滞在したのは「この部屋」だと思って窓外を眺めた方がそれらしい雰囲気を味わうことが出来る。
ここで「本物の月見草」について簡単に整理しておこう。一般に「月見草」と呼ばれることの多い、太宰が、元へ、太宰の母親に似た老婆(六十歳で「老婆」ですか。今では「ババア」と呼ばれる年代ではあるが、「老婆」とは・・・。)が間違った、黄色い花を咲かせるのは待宵草(まつよいぐさ)あるいは大待宵草(おおまつよいぐさ)。本物の月見草は夕方に白い花を咲かせ、日の出の頃には萎み赤紫色に変わる花である。郷秋はこれまでに何度となく月見草に関する記事を書いているので、画面右側のずっと下の方にある検索窓に「月見草」と入力しblog内検索をして欲しい。
本物の月見草も、太宰が間違った月見草=待宵草も、共にメキシコ北部からアメリカ南部が原産で江戸時代末期から明治初年にかけて渡来しているものと思われる。本物の月見草は他の草に負けがちで野生化していないが、待宵草は強い繁殖力を持ち、日本全国で野生(雑草)化している。渡来以来100年を経ずして既に山梨の山中でその花を咲かせ、老婆をして「月見草」と云わしめるほどに広がっていたのには驚く。
さて、太宰が待宵草を月見草と誤った現場を郷秋が見たからと云って、日本中に広がった「月見草=道端の黄色い花」と云う誤解を解けるわけではないが、郷秋としては、天下茶屋を訪ね眼下に河口湖を望みつつ、太宰も食べたかも知れない甲州名物「ほうとう」を啜りながら思った。太宰の間違いも「まんざらでもないか」と。
ここまでお読み頂き、月見草に興味を持たれた方にお知らせです。今年、郷秋の実家で採取した本物の月見草の種をお分けいたします。過去の記事の中では「種の配布は終了いたしました」となっていますが、本日(2009年9月6日)以降、暫くの間受付をいたします。なお、種が無くなり次第終了となりますので悪しからず。
本物の月見草の種をご希望の方は、下記のアドレスまでMailでその旨をお知らせください(Subjectには必ず「月見草の種希望」とお書きください)。折り返し郷秋の住所と本名をお知らせいたします。記された住所の郷秋宛に80円切手を貼付した返信用封筒をお送りください。お送りする種は少量ですが、芥子粒よりも小さい種ですので発芽すればかなりの数の花を咲かせてくれます。ただし花を楽しめるのは来年です。
注:種の配布については記載は、本稿公開時点の内容です。2011年8月時点でも若干の手持ちがありますので、ご希望の方はご相談ください。
郷秋が書いた主な月見草関係の記事
(2011/4/8/)
師走の月見草(2010/12/19)
月見草(2010/07/10)
「太宰も筆の誤り」の現場を訪ねる(2009/09/06)
月見草(2006/05/20)
月見草(2005/05/10)
郷秋<Gauche>、富士山を撮る(その2)
まだ明るい内に三脚をセットし場所取りが済むと車内のベッドに横になってテレビを見る方、コーヒーを沸かし談笑する方といろいろだが、いよいよ日も暮れかかりカメラを三脚に載せるころになるとそれまでののんびりした雰囲気はどこへやら、話をする人もなく撮影に没頭。実にファナティックな世界なのである。郷秋<Gauche>はちょっと馴染めないかな。
富士山が写った絵としては昨日の三枚目が一番きれいな色に染まった時間帯のもの。当然のこととして季節によって太陽の沈む位置が変わる。富士山のバックの空が真っ赤に染まるのは果たして何月何日なのか。沈みつつある太陽が山頂にかかったものを「ダイヤモンド富士」、朝焼けに赤く染まったものを「赤富士」と呼んだりするあたりはそれだけ富士山を撮る事の奥の深さを表しているように思う。富士山は、ちょいと行ってちょいと撮るような被写体ではないと云うことだな。(おしまい)
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と云うわけで今日の一枚は、郷秋<Gauche>が富士山よりも美しいと思った、日没後にオレンジ色に染まった山中湖とその上の雲。
【蛇足】デジタルカメラだと、シャッターボタンを押した後の1、2秒、撮ったものがモニターに表示される。だから三脚を並べて撮っている近くの人がどんな写真を撮っているのかがわかる。そのように意図していたのだとすれば話は別だが、年配の方の中にホワイトバランスとそのコントロールの仕方を理解していない方が少なくなかったように感じた。撮った後のPC上での処理を含めて、年配の方にはデジタルへの転向はハードルが高いのかも知れないな。
ジャン-カルロ・フィジケラへの手紙
先週末、スパ-フランコルシャンで行われたベルギーGPでは、これまで弱小と思われていたフォース・インディアの、戦闘力が無いと思われていたVJM02で、フェラーリのライッコネンを追い回したね。残念ながら優勝は逃したけれど、素晴らしいレースだった。
チャンスは誰にでも等しくやって来る。でもそのチャンスをモノに出来るのは努力した人だけ。長い間いくつもの弱小チームで、あるいはチームメイトよりも劣るサポートの中でも君は文句も言わず黙々と走り続けてきた。そして得たスパでの2位そしてフェラーリのシート。ジャン-カルロ、辛い時期もあったけれど君は努力を怠らなかった。その努力を神様はちゃんと見ていたんだね。
43年もの間、モンツァでイタリア人ドライバーが駆るフェラーリの勝利を待ち続けてきたティフォシたちに君の走りを、そしてポディウムの一番高いところでのシャンパンファイトを見せてやってくれ。ジャン-カルロ、僕も楽しみにしているよ。
Buon fortuna!
郷秋<Gauche>、富士山を撮る
富士山を遠望し山中湖を見下ろす「パノラマ台」と云うのがその場所。富士山は、大型カメラを使って年間を通して取り組もうという方にこそ相応しい被写体であって、ドライブのついでのちょっと寄ってみた、云わば「ひやかし」が撮るようなものではないと郷秋<Gauche>は思っているのでホンの軽い気持ちで出かけたのだが、結局日没の1時間以上前から日没後30分まで、都合2時間もの時間を費やし、少なくない枚数を撮影すこととなってしまったのでありました。
しかしだ、以前から聞いてはいたけれど、有名撮影ポイントに集まる写真愛好家(プロではいないように見受けられた)の数の多いことと装備の凄さにはまっこと驚いた。
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日没1時間前のパノラマ台付近である。既に8本の三脚が並んでいるが、最終的にはこの場所だけで12、3本の三脚が並んだ。郷秋<Gauche>はと云えば、この写真撮影位置の右手後方に三脚を据えたがその辺りには10本ほど。まずは場所取りと云うことである。
三脚はアルミ製とカーボン製が半々と云ったところだが、クラス(大きさ)はだいたい郷秋<Gauche>の持っているのと同程度。中にお一人だけ「8×10」(「エイト・バイ・テン」と読み、8インチ×10インチのシートフィルムを使う大型カメラのこと)でも乗せられそうな三脚をお使いの方がいたけれど、乗っていたカメラはペンタックス67であった。
カメラはデジタルが7割程でフィルムを使うカメラは66、67、645と云った中判がほとんど。35mmは1、2台しかなかったように記憶している。
と云うことで、カメラ機材はびっくり驚くほどのものではないのだが、パノラマの台駐車場まで乗ってきたクルマが凄かった。半分以上が1BOXワゴンなのだが、そのほとんどすべてが2列目以降のシートを収納し、片側にベッド、僅かな通路部分を挟んで反対側にはキッチンセットや冷蔵庫が収められている、定員1名のキャンピングカー仕様なのである。この定員1名のキャンピングカーで撮影ポイントに乗りつけ、夕日を撮るとそのまま車内で宿泊して朝日を撮るという兵(つわもの)も少なくないようであった。
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作品としてではなく、こんなロケーションだと云うことでご覧頂きた。手前はススキ野原、その下に黒々とした森、森の向こうが山中湖である。この写真を撮影したのが17時07分。まだまだ早い夕方と云った趣だが、日はあっという間に暮れていく。
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17時59分。裾野の方に低くかかる雲の中に沈もうとしている太陽。右上に出ている黒っぽい斑点はゴーストか。ボツ写真である。出ている場所と色が微妙だが、画面内から光源(太陽)を外すと消えるからイメージセンサーに付いたゴミではない。(明日に続く)
OLYMPUS PEN E-P1 vs LUMIX GF1
OLYMPUSとPanasonicは共にFour Thirds(注)陣営。同じ規格に基づいてカメラボディとレンズを製造・販売しているが、いま話題になっているのはMicro Four Thirds規格準拠の、所謂「デジタル一眼カメラ」、つまり、OLYMPUS PEN E-P1と LUMIX GF1である。
注:Four Thirds(フォーサーズ)はオリンパスが主導して策定された4/3インチのイメージセンサー(撮像素子)を使用するデジタルカメラの規格。主導したオリンパスの他、コダック、シグマ、三洋電機、富士写真フィルム、パナソニック、ライカが賛同しているが、Four Thirds及びMicro Four Thirds(マイクロ・フォーサーズ、4/3インチのイメージセンサーを使用し、かつレフレックス機構を持たずフランジバックを小さくしたカメラの規格。)のカメラを現在製造・販売しているのはオリンパスとパナソニックのみである。
GF1はE-P1と大きさはほぼ同等だが、E-P1より50gも軽い285gだから20mm F1.7のレンズを着けても385gでしかない。でかくて重たいCanonのコンパクト?カメラG11の355gと大して変わらない軽さだ。それにE-P1には着かないEVF(電子式ビューファインダー)の装着が可能だし、ストロボも内蔵されているからE-P1よりGF1の方が使い勝手も良さそうだ。
でも、郷秋<Gauche>はGF1、と云うよりLumix、と云うよりPanasonicのカメラは買わない。双方のWebsiteを見比べてみて欲しい。E-P1はちゃんとしたカメラのWebカタログなのに、GF1のそれはまるで冷蔵庫や洗濯機のカタログのようだ。きっと紙のカタログもそうなんだろな。冷蔵庫や洗濯機と同じスタンスでカタログを作るメーカーが作ったカメラを郷秋<Gauche>は欲いとは思わない。
カメラは自分の感性を表現するための道具だ。カメラは、冷えればよい冷蔵庫や汚れが落ちればそれでよい洗濯機とは違う。自分の個性を表現する道具だから、そこには夢が無ければならない。パナソニックのカメラにはその「夢」が感じられないんだ。だから郷秋<Gauche>はそんなカメラで写真を撮りたいとは思わない。
でも、そんな郷秋<Gauche>の思いはまったくの偏見なのだと思う。スペックを見る限りGF1とE-P1はほぼ同等の性能だし、GF1のモニターはE-P1よりもずっと解像度が高いし、先にも書いたとおりストロボも内蔵されているしEVFだって装着できる。それでも、自分の夢を描く道具には夢があって欲しいと思うから、郷秋<Gauche>やっぱりパナソニックのカメラは嫌だ。
冷静に考えると、結局はブランドイメージの問題なんだろうなと思う。冷蔵庫や洗濯機や掃除機を作っているメーカーだから、余りにも現実的で夢がないように感じる。GF1のカタログが冷蔵庫や掃除機のカタログと同じように見えてしまう。長く映像の世界で製品を作ってきたオリンパスだからそこに夢や芸術性を見出してしまう。パナソニックはそれを知っているから、自社のカメラにPanasonicではなくLumixというブランドを使っているのだ。
OLYMPUS PEN E-P1とLUMIX GF1の勝負は、結局はブランドの勝負。だから最初から勝負はついている。OLYMPUSの圧倒的勝利なのである。でも、郷秋<Gauche>のような先入観を持たない消費者は、安くて高品質な「世界のパナソニック」を選ぶのだろう。定番の黒だけじゃなくて白や赤のボディもあるから女性に選ばれることも多いだろう。まぁ、それも一つの選択ではある。
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例によって記事本体とは何に関係もない今日の写真は、昨日に続いて山中湖畔の某お茶兼みやげ物店で、(郷秋<Gauche>の偏見によれば)夢あるNikonの(定額給付金で買った中古の)コンパクトカメラで撮った一枚。
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