弁護士太田宏美の公式ブログ

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ルート66について

2015年08月04日 | 日記

ルート66について、ようやく腑に落ちた感じである。

ウィキによると次のような説明がある。引用(コピペ)する。

国道66号線(こくどう66ごうせん、U.S. Route 66)は、アメリカ合衆国中東部のイリノイ州シカゴと、西部のカリフォルニア州サンタモニカを結んでいた、全長3,755km(2,347マイル)の旧国道。1926年指定。州間高速道路の発達によりその役目を終え、1985年に廃線となった。

ルート66Route 66)とも呼ばれ、大陸を横断するこの道はアメリカ西部の発展を促進した重要な国道であり、映画や小説、音楽などの中に多く登場し、今なおアメリカのポップ・カルチャーの題材にされている。”


先の旅行では、セリグマンに立ち寄った。ヒストリック・ルート66から借用した地図である。グランドキャニオンに行く途中にある。

  

念のためにセリグマンの写真をいくつか。

            

           

     

全景はこういう感じである。何もない。

  

お土産店がある。関係の写真等の展示がある。

  

それだけであるが、懐かしい雰囲気はある。

というので、記念に帽子を買った。中国製もあったがせっかくなのでアメリカ製に。
ただ値段は結構した。

   

「ROUTE66」と刺繍がある。(近所のスーパーの買い物時に使う予定?)

  

さて、全体をみると以下のとおりである。これも同上から借用。

  

 

サンタフェを通過していることがわかる。道理でサンタフェで標識を見つけていた。

  

旅行中に偶然にこういう風に関連するものに出会うと嬉しくなるものである。

さらに、一方の起点は「サンタモニカ」である。
サンタモニカといえば、この旅行で一番最初に下車観光したところである。
サンタモニカは海辺のリゾート地であるが、交通の要衝であるということらしい。
州間高速道路10号線(旅行中に使った高速)も実はサンタモニカとフロリダの
ジャクソンビルを結んでいる。

さて、ルート66というのは単に道路というだけでなく、ポップカルチャーの
題材にされているとある。

ふと思いついたのは、随分昔に流行ったフランク永井の「夜霧の第二国道」である。
第二国道は道路というだけでなく、本格的自動車時代の幕開けだったと思う。
だから若者が集まり、人々が集まり、通過し、そこで悲喜こもごものドラマが起こった。その象徴が日本では「夜霧の第二国道」だったのであり、アメリカでは
「ルート66」だったのではないかと。

ただそのルート66も本格的な州間高速道路の建設により役割を終えたのではない
かと。

今、人々は昔の古き良き時代を、ドラマを懐かしく感じているのだと。

自分勝手な解釈だが、このように考えると、腑に落ちたのである。