妻一人 子一人 と 一匹

2005.9.26 『妻一人 子一人』としてスタート
2010.3.18、2021.8.28、2023.3.26 改変

削除しました

2016年02月10日 21時38分47秒 | Weblog
受信日時:2016/2/9 23:58

差出人:gabare-kenta@0819i.softbank.jp

タイトル:09080290051 現金二千四百蔓円の願 ※番号にはハイフン付き

本文:一通で決まる運命を背負い、お願いにまいりました。
  「二千四百万円」
  今すぐあなた様に送金致します。
  受け止めてください。
  全ては幸せの為なんです。

  (http://で始まる長いアドレス)

  心せくままの乱文、何卒お許しの程を



ちょっとだけ心惹かれてしまったwww

2,400万ってちょっとハンパな数字がますます怪しいな。

居場所

2016年02月09日 21時33分04秒 | Weblog
30年越しのUターン就職を果たした兄のメールには、

「飛行機から北海道の大地が見えたところで、東京に帰りたくなった」とあった。

向こうでの平穏な暮らしが、たまらないくらい懐かしく、恋しくなったのだろう。

今日からしばらくの間は、とても賑やかな、本人曰く「スッチャカメッチャカな日々」が続くのだから。


姉や兄がそうしたように、学校を卒業したら東京で働きたかった私だったが、

特別何かやりたいことがあったわけではないことに気づいたとたん、

急に怖気づいてきて、とりあえず地元へ戻ることにした。20年前のことである。

上野駅から陸路で北上し、電車に酔いまくって途中ゲロゲロ吐きながら、

下北半島の先端からフェリーで北海道に上陸した。

憧れだった大都会での暮らしの夢が叶わず、かと言って再挑戦する気力もなく、

頭に浮かんできたのは、学校の友人たちの顔だった。

たまらなく無念だったが、なんだかホッとしてるところもあり、そんな複雑な気持ちで、

船上から北海道が見えてきたとき、

「きっともう、北海道から出られないんだろうな」と直感でそう思った。

フェリーを降りて歩いていたら、お腹が空いてきて、函館の朝市の食堂でイカソーメン定食を食べた。


結局、そのあと何度か東京へ遊びに行くことはあっても、「ここに住みたい」という願望はどこかへ飛んでいってしまった。

20年間、引越し回数は7回。あと1ヶ月半で、とりあえずのゴールにたどり着く。

そうか、あれから20年かかったか・・・


「私を構成する9枚」のつもりが、「なんでそうなるの?」

2016年02月07日 22時17分19秒 | Weblog
ツイッターで、「私を構成する9枚」と題し、CDジャケットの画像をタテヨコ3×3枚に並べて

投稿するというのがあり、実践した友人に便乗して、よし!オレも・・・と意気込んで、

棚にある埃のかかったCDを吟味しようとしたが、なんだか足りない。

そういえばアレがない、これもない、といった具合である。

実家の納戸に埋もれているんだろうか。そういや、実家の納戸はリフォームしてトイレと洗面所に

なってしまうそうだ。

父親には、私の所有らしきものは夏に取りに行くから、取っておいてくれとは頼んでおいたが、

なんだか心配である。「私を構成する9枚」なんてどころじゃなくなった。


話は大きくそれるが、コント55号のDVD「なんでそうなるの?」を購入した。

”優しい欽ちゃん”を見て育った世代には、ぜひとも見ていただきたい。

なにせ、二郎さんに無理難題を吹っ掛けるどころか、理不尽に怒鳴りつけ、時にはボコボコにするという

”恐ろしい欽ちゃん”が見られるのだからたまらないのである。

平日の夜は、これを見始めたらヤバいだろうから、別宅に置いてきた。

早く続きが見たい。











ウロウロ

2016年02月06日 22時12分27秒 | Weblog
街中をウロウロするのはいつ以来だろう。

出張で札幌の中心街を歩くことはあっても、
背広を着ていると、思いっきり楽しめない。

ということで、真のウロウロを楽しむべく、今日は夕方から一人で出かけてみた。

寒がりの妻は外出したがらず、長男は3DSに夢中、
次男には来週小学校の体験入学があるからと、家の中に軟禁状態にして、
完璧なお膳立てをして出発。

郵便局を経由し、30分かけて徒歩で最寄りのJRの駅に到着。
旭川駅直結のイオンモールのクイックカットで散髪。
献血ルームで一服。旭川西武で土産のお菓子を購入し、帰路に着く。
旭川電気軌道発行のICカードの取り扱い窓口が閉店していたため、
バス停がわからず、余計にウロウロしてしまったが、無事帰宅。

たくさん歩いたせいか、夕食をガツガツといただいた。

散髪して、献血して、おやつを買っただけ。
しかし、これがたいへん有意義なひと時だった。

大した用事もなく、アパートから15分かけてJR宗谷線の永山駅から
旭川駅に降り立ち、買物公園をブラブラ歩いて、CD店をハシゴし、
ラーメンかなにか食べて帰る・・・
まるで大学生に戻った気分であった。

ああ、懐かしひ。

煩悩

2016年02月05日 23時48分54秒 | Weblog
昨日の「徹子の部屋」、ゲストは永六輔と大橋巨泉だった。

パーキンソン病の永さんとガンと腸閉塞で体重が30kgも減った巨泉さん。

その映像は、壮絶なものだった。


巨泉さんいわく、

「健康だったときは、90歳、いや100くらいまで(生きて)いけるかと思っていたが、もう無理ですね」

ズシンと重たい言葉だった。


父の兄、つまり叔父が亡くなったのは1年ちょっと前。

6人兄弟の末っ子であった母には、もう兄がひとりしかいない。


いつかはみんな死ぬ。

どうせ死ぬんだから、なにか残したところで、結局処分しなければならない。

ということは、マイホームなんて建てるべきではなかったってことになる。

財を築くということは、それだけ煩わしいことが増えていくということだ。

でも完成してしまった。後戻りは出来そうにない。

ん~~、しばらくはこういうことは考えないでおこう。