ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

発達障害者たちを狙った「マルチ・新興宗教」が急増中

2019年03月22日 15時47分27秒 | 障害者の自立

 過去2度にわたり、大特集を展開した発達障害。その取材をきっかけに生まれた『発達障害グレーゾーン』(姫野桂著)も発売即重版となるなど、大きな反響を呼んでいる。今回は、発達障害グレーゾーンに苦悩する人々の弱みにつけこむ「マルチ・新興宗教」を追った。

「発達障害に関する悩みを打ち明ける交流会で近くに座った人と軽く話をしたあとに連絡先を聞かれたので、深く考えずに教えてしまいました。その後、『もう一度、会いましょう』ってすぐに連絡がきて……」

 そう振り返るのは田中博美さん(仮名・37歳)。もともと職場での人間関係に悩みを抱えていたという田中さんは雑誌の発達障害特集で当事者交流会の存在を知り、参加を決めたという。

「会の雰囲気自体が和やかだったので、私も油断したのですが、後日、再会したら完全にマルチの勧誘でした。面と向かって話を続ければ、相手の思う壺だとわかったので、すぐに荷物を持ってその場を立ち去りました」

 発達障害がクローズアップされ、社会的にその存在が知られたことにより、悩む人の心の隙間に入り込み、当時者たちを食いものにしようとする輩も増えているという。グレーゾーン限定の交流会を主催するOMgray事務局のオム氏の会でも似たケースがあったと明かす。

「つい最近、とある新興宗教の関係者がうちの交流会に潜り込んでいたことが明らかになり、即出禁処分にしました。ほかの発達障害者の交流団体のところにも、そういった本来の趣旨とは違う目的で出入りしている人がいるという話が僕の耳に入ってきています。

 当事者の方たちは誰もが本当に切実な思いを抱えて、会場まで足を運んできているわけで、マルチにしろ、新興宗教にしろ、そこにつけ込むような卑劣な行為は絶対に許せません」

【オム氏】
OMgray事務局代表。’17年、軽度の発達障害の特性に悩む人の当事者会を立ち上げる。現在は都内、横浜などの施設で定期的にグレーゾーン限定の会「ぐれ会!」を開催
― 発達障害グレーゾーン ―

 週刊SPA!編集部        2019年03月21日


新庁舎に障害者就労カフェ 自立支援へ4月1日開店 大田原

2019年03月22日 15時15分38秒 | 障害者の自立

市役所新庁舎1階に4月1日、障害者が働くカフェ「hikari no cafe(ヒカリノカフェ)大田原市庁舎店」がオープンする。カフェ経営で実績のある中田原の社会福祉法人エルム福祉会が運営し、障害者の雇用促進を目指す。県内市町の庁舎内では初めて。20日の市定例記者会見で、藤原和美(ふじわらかずみ)副市長は「障害者の仕事ぶりを見てもらい、市民の理解が広まれば」と期待した。

 同法人は障害者の就労と自立支援の場として2005年にヒカリノカフェ本店(本町1丁目)、16年に小学校跡を活用した蜂巣小珈琲(こーひー)店を開業した。

 市庁舎店は蜂巣小珈琲店の姉妹店として、1階ラウンジにオープンする。調理場も含めて約25平方メートルで、同法人の職員数人とエルム福祉会を利用する3人ほどが従事する計画という。

 さっぱりと飲みやすい「hikari no ブレンド」(税別270円)や深いりの「蜂巣小ブレンド」(同)など、蜂巣小珈琲店で自家焙煎(ばいせん)したコーヒー豆を使う。クッキーやシフォンケーキなどのほか、サンドイッチやライスボウルなど軽食の提供も始める予定という。

 カフェの運営先は障害者の就業機会確保などを条件とした公募型プロポーザルにより2法人から選定された。市によると、県内の行政庁舎内に障害者が働くカフェがオープンするのは、県庁昭和館の「ふくしレストランCIAO(ちゃお)」に続き2例目。

 蜂巣小珈琲店の施設長川上聖子(かわかみしょうこ)さん(54)は「市民から愛されるカフェにしたい。温かく見守ってください」と話す。藤原副市長は「これを機に市内の空き店舗を活用した障害者就労支援の場が広がってほしい」と述べた。

 営業は庁舎開庁日の午前10時~午後3時まで。

4月オープンのカフェの前で商品を手にするスタッフ
 
2019年3月21日       下野新聞

「ぱんだまつり」でパン50種 障害者作業所が販売

2019年03月22日 14時58分30秒 | 障害者の自立
 パンを製造販売する、ふたば第二作業所は23日午前9時45分~午後2時、和歌山県田辺市文里1丁目の同作業所で「春のぱんだぱんだまつり」を開く。普段の訪問販売とは違う品ぞろえで「地域への感謝を表したい」と来場を呼び掛けている。

 同作業所は1997年、同市磯間の工房で障害者らがパン作りを開始。平日の昼時に行政機関や病院といった施設を巡り、販売している。

 当日は販売する約50種類のうち半数以上がイベント限定。今回、全国的な食パンブームを受けて、高級食パン(税込み450円)を考案。カナダ産小麦粉や北海道産発酵バターを使った。通常品(300円)と比べ、蜂蜜によってより甘みが感じられるという。

 イチゴを使ったサンドイッチやデニッシュのほか、カルボナーラ味などキッシュ2種、バジルチキンサンド、普段提供していないカツサンドなどの揚げ物の商品もある。価格は100~600円。

写真【イチゴのサンドイッチやデニッシュなど、イベント限定販売の商品を用意する

2019年3月22日      47NEWS


「農福連携」金沢以南でも 自然栽培農業に障害者就労

2019年03月22日 14時18分19秒 | 障害者の自立

白山に事業所 来月開設

 自然栽培農業に障害者が取り組む「農福連携」などを手掛ける会社「金沢QOL支援センター」(金沢市西泉)が四月、白山市宮丸町の空き店舗に就労支援事業所「リハスファームはくさん」を開く。金沢市諸江町に同様の施設があるが、農園の場所などから同市や津幡町などの障害者が多かった。新設によって野々市市や白山市に住む人も利用しやすくなり、農福連携の普及を目指す。(冨田章午)

 リハスファームはくさんは、十八歳以上の障害者が対象。相談があれば、白山市、野々市市、能美市北部、金沢市南部に住む人は自宅や最寄り駅まで送迎してもらうことができる。利用者は主に金沢市南塚町の畑で農作業をし、ハーブや野菜を栽培する予定だ。

 金沢QOL支援センターの子会社「クリエイターズ」が運営する施設「リハスファーム」(金沢市諸江町)には現在、金沢市や津幡町などの障害者二十八人が登録している。津幡町のハーブ農園で苗付けやハーブの摘み取り、雑草除去などをする。

 金沢以南にも農福連携を広めようと、金沢QOL支援センターが白山市での事業所の開設を決めた。既にリハスファームを利用している野々市市の小畠一馬さん(28)は「自宅近くに事業所ができてうれしい。これまで以上に頑張りたい」と意気込む。

 同社のサービス管理責任者、丹後有美子さん(47)は「自然の中で農作業をすることで生活リズムや症状が改善されたという利用者もいた。自分に自信をもつきっかけにしてほしい」と語る。本部長の藤島健一さん(39)は「施設ではハーブのほか、地元野菜の栽培も考えている。福祉が地域を支える社会づくりをすすめていく」と話している。

 二十七日から三十日までの四日間、リハスファームはくさんの事業説明会が同施設で開かれる。各日とも午前十一時から正午までは内覧会、午後二時から三時までは説明会を予定している。希望者は電話やファクスで申し込む。(問)リハスファームはくさん076(254)6497

新事業所開設に向けて意欲を見せる(左から)藤島健一さん、小畠一馬さん、丹後有美子さん


視覚に頼らず壁を登るクライマー。

2019年03月22日 13時51分20秒 | 障害者の自立

49歳の日本王者が越えた2つの挫折。

 彼には、目の前にあるはずのホールドは見えていない。

 正確にいえば見えてはいるのだが、視界は濃い霧がかかったようにぼやけていて、目標のホールドをすぐに見つけることはできない。下からパートナーが指示を出す。

「2時!」

 時計でいう2時の方向にホールドがあるという意味だ。

 そちらに向かって手を伸ばす。ホールドに手がふれたらあとはこっちのものだ。大きさや形状、向きに応じて、すぐさまベストの体勢をとることができる。そこは体が覚えている。なにしろ30年にわたって体に染みこませてきた動きなのだから。

 彼の名は蓑和田一洋(みのわだ・かずひろ)。現在49歳になる。

 蓑和田は、2月3日に行われたパラクライミング日本選手権・B3クラスで優勝を果たした。パラクライミングというのは、身体障害者対象のスポーツクライミング。その視覚障害者カテゴリーが「B」。さらに、障害の程度によってクラス分けがされており、全盲の人が「1」となる。比較的視覚が残っている蓑和田は「3」クラスに該当するというわけだ。

目をつぶってガタガタのハシゴを登るような。

 しかし視覚障害者のスポーツクライミングといわれても、ほとんどの人にはなにもイメージができないと思う。であれば、ちょっとこういう状況を想像してみてほしい。

 あなたは目をつぶって高さ10mのハシゴを登っている。しかし、ハシゴの段の間隔は均等ではなく、狭かったり広かったりする。段は水平とはかぎらない。斜めになっている場合のほうが多く、水平であることはむしろまれだ。しかも、角が丸まっていたり手では握れないほど太かったりもする。そして最悪なことに、ハシゴは手前に傾いている。つまりオーバーハングしているという状態。繰り返すが、そんなハシゴを「目をつぶって」登るのだ。

 視覚障害者パラクライミングは、このようなスポーツだ。もちろん命綱はつけてはいるものの、その難しさを少しはイメージしていただけるだろうか。

 じつは日本は、この視覚障害者パラクライミング強国。小林幸一郎をはじめ、会田祥など、世界選手権で優勝するような選手が何人もいる。蓑和田も、2014年にスペインで開催された世界選手権で優勝経験がある世界トップレベルの“パラクライマー”なのである。

20歳ではじめ、2年で国内王者に。

 蓑和田のパラクライミング歴は6年。以前は、「パラ」がつかないクライミングの世界で、将来を嘱望された選手だった。

 1969年生まれの蓑和田がクライミングを始めたのは20歳のとき。小学生でクライミングを始める人も珍しくない現在では遅いスタートに感じるが、当時はそれが普通だった。

「やってみて、あ、これは自分に向いているとすぐ感じました」

 その言葉どおり、実力は急成長。クライミングを始めてわずか2年で、ジャパンカップという国内王者を決める大会で優勝を果たす。先日の3月2~3日に行われた第32回リードジャパンカップで優勝したのは、東京オリンピックを目指している藤井快。蓑和田はその歴史ある大会の第6回大会優勝者なのである。

 翌1993年のジャパンカップでも2位。ちなみにこのときの1位は、すでにワールドカップでの優勝経験を持っていた平山ユージ。蓑和田はクライミングを始めて3年で、その平山のすぐ背後にまで駆け上がってきた。

 華々しい結果に自信を得た蓑和田は、大学を卒業しても就職せず、アルバイトをしながらクライミングに打ち込む人生を選択する。当時、国内にできたばかりのクライミングジムの近くに引っ越し、年に数カ月は海外の岩場を登り歩いた。

 同い年でありながら実績で先行している平山ユージを超えることができれば、それはイコール世界のトップに立つということ。それを目標に、ひたすら登り続けた。大会に出るだけでなく、世界中のクライマーがその名を知るような有名な岩場の難ルートを何本も手中に収めた。

「社会からドロップアウト同然の雰囲気」

 そんな生活を6年間続けた末に、蓑和田はひとつの結論を出す。

「当時、プロクライマーという生き方はまったく一般的ではありませんでした。クライミングに打ち込んだ人生というのは、社会からドロップアウトしたも同然という雰囲気。そういう人生を貫けるかどうか、30歳を前にして僕は自信がもてなくなってしまったんです」

 29歳の蓑和田は、そうしてクライミングの一線から退いた。

第2の人生、そして目に異常が……。

 クライミング中心の生活に終止符を打った蓑和田が次に求めたのは雑誌作りの道だった。

「ヨーロッパでよく読んでいた『Grimper』や『ON THE EDGE』などのクライミング雑誌が好きだったんです。アーティスティックなテイストがあって、とにかくカッコよくて。こういう雑誌を日本でも作りたいと思いました」

 蓑和田はアウトドア系の出版社に契約社員として所属し、編集・ライターとして働き始めた。会社で知りあった女性と結婚し、子どもも生まれた。仕事や家庭に追われ、自由な時間は少なくなっても、クライミングをやめなかった。かつてのように、思い詰めてひとつの目標に打ち込むことはなくなったが、山のなかの岩場で登る時間はいつでも楽しかった。

 そんな毎日を送っていた蓑和田が、目に異常を感じ始めたのは42歳のときだった。

 どうも目が見えづらい。これはおかしいと思っていくつかの病院で診てもらい、最終的に「緑内障」と診断された。

 編集・ライター仕事において、目が見えづらいということは大きすぎるハンディとなる。しかもこのときすでに契約社員の立場を離れてフリーランスで仕事をしていた蓑和田には、負担の少ない部署に異動させてもらうなどの、会社からのバックアップもない。

 思わぬかたちで、第2の人生も壁に当たってしまった。

パラクライマーとしての復活。

 そんなころ、蓑和田はパラクライミングのことを思い出した。日本の視覚障害者クライミングの草分け的存在といえる小林幸一郎を取材したことがあったのだ。目が見えなくてもクライミングをやっている人がいたじゃないか!

「モンキーマジック」というNPO法人まで作ってパラクライミングの普及に尽力している小林をはじめ、何人ものパラクライマーと交流しながら、蓑和田もパラクライミングを始めた。

 当初はとまどいつつも、登ること自体はもともと慣れたもの。すぐに適応した蓑和田は、2年後に小林らとともに出場した世界選手権B3クラスで優勝を果たす。20代のころにどうしても届かなかった世界王者の座に、異なるかたちでつくことができたのである。

「世界選手権に出場するには、国際スポーツクライミング連盟に選手登録する必要があるんですが、僕はすでに登録されていました。昔、ワールドカップに出たときの登録情報がまだ残っていたんです。選手としてまたここに戻ってくることができたという事実は、とても感慨深いものがありました」

 以降、2016年から今年2019年まで4年連続で、日本選手権B3クラスの表彰台に立っている。2018年が2位だったほかはすべて優勝。国内B3クラスではほぼ敵なしの状態だ。すでに49歳で身体能力的には下り坂のはずだが、かつて世界を目指して鎬を削ったクライミングの才能は、それだけ突出したものがあったのだ。

第3の人生と、クライミングの両立。

「目が見えなくなると大変でしょうってよく言われます。確かに不便なことはあるんですが、慣れてしまいました。治らないものはしかたがないので、とくに気に病むことはないですね」

 緑内障を発症して7年。そこにドラマチックなコメントを期待するこちらの下心を裏切るように、蓑和田はあっけらかんとそう語る。そしてすでに、第3の人生に向けて歩き始めている。

 もともと身体のコンディショニングに関心があったため、はり・きゅう・あん摩マッサージ指圧の資格をとり、鍼灸あんま師として仕事を始めたのだ。並行して筑波大学で治療や研究にも携わっている。

 鍼灸あんま師としての蓑和田の特徴は、クライミングや登山による障害に詳しいこと。大会出場前には、自分の体に鍼治療を施してコンディショニングを行なったりもしている。そして彼のウェブサイトをのぞくと、「フランス語にも対応」とある。かつてフランスのクライミングカルチャーに憧れ、現地に通い詰めた蓑和田らしい売り文句だ。

 パラクライマーとしての蓑和田の現在の目標は、今年8月に東京・八王子で開催される世界選手権。リードやボルダリングなど一般スポーツクライミング競技と合わせて開催されるこの大会。蓑和田が狙うのは、もちろん優勝である。

posted    2019/03/21 11