俺が一番嫌いな人。勘違いした職人。
この社会は職人とアーティスト、サラリーマン(会社員)と公務員で成り立ってる。
別にをわけて考える必要は無いのかもしれないが、本来こレラの考えは別物だと思ってる。
自身も職人の端くれだったし、今も職人だから特にそう思うのかもしれないが、最近の職人はプライドも何も無い。
自分の腕自慢。お客様によりよいモノを提供する為の努力、勉強、追求を自身の為と勘違いしてる奴らの多い事よ。
アーティストと勘違いした職人。金儲けの事しか考えてない職人もどきが増えてきた。
バンダナを巻いたラーメン屋の店主にこの勘違い野郎は多い。
胡椒やラー油はかけるな。既にうちの味は完成されてるって。黙って喰え。食べた事が無いのに食券で選べ。うちの店はいろんな雑誌やメディアで紹介されてる。ほら、こんなに有名人も来店してるし、TVや雑誌で紹介されてる。ありがたく喰え。って店の方が客より偉いと勘違いしてるバカ。(まぁこんな店は2年くらいでやっぱり潰れるんだが)
これが100年も続く老舗割烹や料亭ならまだわかる。作法や風習を厳しく見られても、その根底には楽しんでもらおう、料理を美味しくいただっていただこうって気持ちがあるから。常識や過去の風習なんてぶっつぶせなんて言ってる俺も、これらの店では作法を守る。
それは吉兆、瓢亭、大市って老舗でも菊乃井やろくさん亭でも一緒。器、しつらい、味、手間。値段に相応するモノ、本来の「おもてなし」がそこにはある。大衆食堂や町の小料理屋や居酒屋をバカにする気はない。安い食材をより美味しく提供しようと頑張ってる店主や料理人は多い。気軽にワイワイ、ソースをかけようが醤油だ、ポン酢だって好き勝手客が選ぼうがおかまい無し。美味しく喰ってくれたらそれでいいよって。これもある意味職人だ。
そう、職人が勉強したり、努力したり、技法を増やしたり、新しい者を取り入れたりするのは、すべて「お客様に喜んでもらえる為」なのよ。
勿論ちょっとは自身の興味で冒険する事はあるかもしれないが、そのほとんどは「これは喜んでもらえるかな」だ。
今回料理人を例に出したけど、これはどんな職業でも職人と呼ばれる人たちのプライドでもあり根っこだ。
サラリーマンやアーティストには残念ながらこの気持ちはわからないと思う。
アーティストと呼ばれる人は、自身の感性の赴くままに作品を仕上げ、批判や批評を気にもしない。わかるる人だけがわかってくれたらいいってスタンスの人が多い。職人からこちらに移行する人間も多い。自分の作品はもはや芸術だってね。
それを批判する気はない。ごく一部のファンがついたなら、世界的に認められたなら、アーティストとして作品を発表する事は否定しない。たとえそれが誰にも認められなくとも、一つも作品が売れなくても本人がそれでいいならね。
本人が納得して「俺の感性だ!」って作品を世に出してる事と、職人の「お客様の為に」のモノは違う。
世に認められないアーティストがどれだけいるか知ってるかい?
サラリーマンにはどうもこの辺りがわかってもらえなかった。
まだ若い頃、夜遅く迄レッスンばかりしてた。勿論休みの日は講習や勉強会、暇があれば美術館や公演を見に行ってた。そんな俺に「なんで今をもっと楽しまないの?」って。「なんでそこ迄店の為やお客の為に頑張るの?しんどいくないか?」って。
5時に仕事を切り上げてトレンディなレストランでイタめしを喰い、おしゃれなバーで飲んで、有給使って海外旅行を楽しめる。自分の時間や趣味を大切にし、会社の為に働いてるんじゃなくて、俺が会社を儲けさせてやってるんだって豪語。それでもそこそこの給料をもらってるサラリーマンには、当時の俺たちの考えは全く理解してもらえなかった。
そりゃ休みは欲しいし、自分の時間も大事にしたい。女の子とデートしたり、友だちとワイワイやるのも悪くない。
でもさ、それを犠牲にしてもその先に得れる充実感を夢見て頑張ったのよ。
そう、同じサラリーマンでも高度経済成長の時に、日本の為に、会社の為に、そして家族の為に自分を犠牲にして頑張った人たちがいたようにね。
世界で一つだけの花ってSMAPの曲が嫌いだ。って言うと反論をよくされるがこの曲自体が嫌いなのではない、この曲をいいように勘違いしてる奴らが多いのが嫌いなのだ。
あの歌は「1番じゃなくてもいいよ。君は君だ。誰かに比べられるもんじゃない」って歌だ。
勿論、世の中のすべての人間が才能を開花して一番になれる訳じゃない。競争に敗れたり、挫折を味わったり、能力の限界を自分で知ったり。
でも、それはその努力やチャレンジをした人たちがわかる事で、その世界に入ろうともしないで「俺は世界で一つだけの花」なんて言っても通用しない。アスリートでも、ボルトやイチロー、本田や錦織の活躍を見ながら、普段の練習やストイックな部分は知ろうともしない。
自身は何の努力もしないまま、成功して金や地位を名声を手に入れた人間を妬む。そして自身が働いてる職場に対し、愚痴やブラック企業だと呟く。そんな奴らの賛美歌のように捉えられてるから嫌いなのだ。
世の中は一部の特出した才能のある人と、それを支える人で成り立ってる。
たとえトップになれなくとも工場の流れ作業の一員でも、その他大勢の社員に埋もれても、それらで世の中が成り立ってる。
歯車にはなりたくなくても、歯車が無くては時計は回らない。
その時計も、設計する人、部品を作る人、研磨する人、組み立てる人って職人と、営業で売りこむ人、広告宣伝を受け持つ人、工場を管理したり、売り上げや給料・報酬を管理する人なんかで成り立ってる。
世界で一つだけの花の意味をわかってほしい。
職人が偉いんじゃなく、会社員が偉いんじゃない。
すべてが世の中を形成してる。
どこかで金儲けの意識が特出したり、お客様をないがしろにしたり、職人をただの作業員と勘違いし、サラリーマンを従業員と勘違いした経営者が産まれた時に崩壊する。この辺りの事は今後また詳しく書くつもりだが、すぐブラック企業とか不景気だって喚く今の奴らはこの辺りをもう少しわかってほしい。金儲けは誰かの犠牲の上に成り立つ。
自分はサラリーマンとして社会のパーツになるのか、産み出すアーティストになるのか、商品を作る職人になるのか?
自分の才能は自分ではわからないかもしれない。
でも、見極めろ。現状を嘆くくらいなら、やりたい事やってしまえ。
この社会は職人とアーティスト、サラリーマン(会社員)と公務員で成り立ってる。
別にをわけて考える必要は無いのかもしれないが、本来こレラの考えは別物だと思ってる。
自身も職人の端くれだったし、今も職人だから特にそう思うのかもしれないが、最近の職人はプライドも何も無い。
自分の腕自慢。お客様によりよいモノを提供する為の努力、勉強、追求を自身の為と勘違いしてる奴らの多い事よ。
アーティストと勘違いした職人。金儲けの事しか考えてない職人もどきが増えてきた。
バンダナを巻いたラーメン屋の店主にこの勘違い野郎は多い。
胡椒やラー油はかけるな。既にうちの味は完成されてるって。黙って喰え。食べた事が無いのに食券で選べ。うちの店はいろんな雑誌やメディアで紹介されてる。ほら、こんなに有名人も来店してるし、TVや雑誌で紹介されてる。ありがたく喰え。って店の方が客より偉いと勘違いしてるバカ。(まぁこんな店は2年くらいでやっぱり潰れるんだが)
これが100年も続く老舗割烹や料亭ならまだわかる。作法や風習を厳しく見られても、その根底には楽しんでもらおう、料理を美味しくいただっていただこうって気持ちがあるから。常識や過去の風習なんてぶっつぶせなんて言ってる俺も、これらの店では作法を守る。
それは吉兆、瓢亭、大市って老舗でも菊乃井やろくさん亭でも一緒。器、しつらい、味、手間。値段に相応するモノ、本来の「おもてなし」がそこにはある。大衆食堂や町の小料理屋や居酒屋をバカにする気はない。安い食材をより美味しく提供しようと頑張ってる店主や料理人は多い。気軽にワイワイ、ソースをかけようが醤油だ、ポン酢だって好き勝手客が選ぼうがおかまい無し。美味しく喰ってくれたらそれでいいよって。これもある意味職人だ。
そう、職人が勉強したり、努力したり、技法を増やしたり、新しい者を取り入れたりするのは、すべて「お客様に喜んでもらえる為」なのよ。
勿論ちょっとは自身の興味で冒険する事はあるかもしれないが、そのほとんどは「これは喜んでもらえるかな」だ。
今回料理人を例に出したけど、これはどんな職業でも職人と呼ばれる人たちのプライドでもあり根っこだ。
サラリーマンやアーティストには残念ながらこの気持ちはわからないと思う。
アーティストと呼ばれる人は、自身の感性の赴くままに作品を仕上げ、批判や批評を気にもしない。わかるる人だけがわかってくれたらいいってスタンスの人が多い。職人からこちらに移行する人間も多い。自分の作品はもはや芸術だってね。
それを批判する気はない。ごく一部のファンがついたなら、世界的に認められたなら、アーティストとして作品を発表する事は否定しない。たとえそれが誰にも認められなくとも、一つも作品が売れなくても本人がそれでいいならね。
本人が納得して「俺の感性だ!」って作品を世に出してる事と、職人の「お客様の為に」のモノは違う。
世に認められないアーティストがどれだけいるか知ってるかい?
サラリーマンにはどうもこの辺りがわかってもらえなかった。
まだ若い頃、夜遅く迄レッスンばかりしてた。勿論休みの日は講習や勉強会、暇があれば美術館や公演を見に行ってた。そんな俺に「なんで今をもっと楽しまないの?」って。「なんでそこ迄店の為やお客の為に頑張るの?しんどいくないか?」って。
5時に仕事を切り上げてトレンディなレストランでイタめしを喰い、おしゃれなバーで飲んで、有給使って海外旅行を楽しめる。自分の時間や趣味を大切にし、会社の為に働いてるんじゃなくて、俺が会社を儲けさせてやってるんだって豪語。それでもそこそこの給料をもらってるサラリーマンには、当時の俺たちの考えは全く理解してもらえなかった。
そりゃ休みは欲しいし、自分の時間も大事にしたい。女の子とデートしたり、友だちとワイワイやるのも悪くない。
でもさ、それを犠牲にしてもその先に得れる充実感を夢見て頑張ったのよ。
そう、同じサラリーマンでも高度経済成長の時に、日本の為に、会社の為に、そして家族の為に自分を犠牲にして頑張った人たちがいたようにね。
世界で一つだけの花ってSMAPの曲が嫌いだ。って言うと反論をよくされるがこの曲自体が嫌いなのではない、この曲をいいように勘違いしてる奴らが多いのが嫌いなのだ。
あの歌は「1番じゃなくてもいいよ。君は君だ。誰かに比べられるもんじゃない」って歌だ。
勿論、世の中のすべての人間が才能を開花して一番になれる訳じゃない。競争に敗れたり、挫折を味わったり、能力の限界を自分で知ったり。
でも、それはその努力やチャレンジをした人たちがわかる事で、その世界に入ろうともしないで「俺は世界で一つだけの花」なんて言っても通用しない。アスリートでも、ボルトやイチロー、本田や錦織の活躍を見ながら、普段の練習やストイックな部分は知ろうともしない。
自身は何の努力もしないまま、成功して金や地位を名声を手に入れた人間を妬む。そして自身が働いてる職場に対し、愚痴やブラック企業だと呟く。そんな奴らの賛美歌のように捉えられてるから嫌いなのだ。
世の中は一部の特出した才能のある人と、それを支える人で成り立ってる。
たとえトップになれなくとも工場の流れ作業の一員でも、その他大勢の社員に埋もれても、それらで世の中が成り立ってる。
歯車にはなりたくなくても、歯車が無くては時計は回らない。
その時計も、設計する人、部品を作る人、研磨する人、組み立てる人って職人と、営業で売りこむ人、広告宣伝を受け持つ人、工場を管理したり、売り上げや給料・報酬を管理する人なんかで成り立ってる。
世界で一つだけの花の意味をわかってほしい。
職人が偉いんじゃなく、会社員が偉いんじゃない。
すべてが世の中を形成してる。
どこかで金儲けの意識が特出したり、お客様をないがしろにしたり、職人をただの作業員と勘違いし、サラリーマンを従業員と勘違いした経営者が産まれた時に崩壊する。この辺りの事は今後また詳しく書くつもりだが、すぐブラック企業とか不景気だって喚く今の奴らはこの辺りをもう少しわかってほしい。金儲けは誰かの犠牲の上に成り立つ。
自分はサラリーマンとして社会のパーツになるのか、産み出すアーティストになるのか、商品を作る職人になるのか?
自分の才能は自分ではわからないかもしれない。
でも、見極めろ。現状を嘆くくらいなら、やりたい事やってしまえ。