猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

朝日新聞の記者解説「発達障害 寄り添う」にコメント

2019-09-04 22:32:10 | 愛すべき子どもたち


9月2日の朝日新聞《記者解説》の『発達障害 寄り添うため 特性は多様 早めに専門機関へ』に言いたいことがある。

この記事は第一義的には「発達障害児」をもった親に向けてであろう。生活文化部記者の土井絵里奈が、せっかく記事の先頭に、

 ・脳の機能障害が原因とされ、手術や投薬では解決しない。障害特性は一人ひとり違う
 ・専門家や専門機関と早めにつながり、社会生活上の困難を小さくすることが大切
 ・障害を見過ごされた大人、診断されない「グレーゾーン」の人たちの支援も課題

をかかげたのだから、それがあとの記事に活かしてほしかった。
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発達障害者支援法が2005年に施行されてから、発達障害の早期集団検診が行われるようになった。その結果、診断名を聞いてパニックを起こす親がでている。子どもが中学生、高校生になっても、肝心の母親がパニックのまま「うつ」になって日常生活が満足に送られないケースも起きている。

親も学校も、「手術や投薬では解決しない」子供の特性を、障害としてではなく、個性として、まず受け入れてほしい。

子どもの素晴らしい点を伝えても、なかなか、そのまま受け取ってくれない親もいる。

たとえば、中2の子のケースだが、本人は、性格も明るく、よくしゃべるし、人間関係に問題はないし、母親を心配させないよう気をつけている。単に、軽い軽い知的能力障害である。普通の勉強ができなくても性格が良ければ十分に生きていける。私の放課後デイサービスのみんなも、中学校の支援級の教師も、そう親に言っているが、親はそれに満足できなくて、神経を病んでいる。

「脳の機能障害が原因とされ、手術や投薬では解決しない」は、インパクトがありすぎて、フォローが必要だ。「発達障害」であっても、別に死ぬ病気ではないし、大騒ぎすることではない。「生まれつき」の個性であるといっているだけだ。「発達障害」での「脳の機能障害」の「障害(disorder)」とは、親が期待するほどには脳が動かないだけだ。

しかも、適切に育てれば、「社会生活上の困難を小さくする」ことができるのである。また、もしかしたら、その「障害(disorder)」は、いま、平均の発育から遅れているだけかもしれない。

今年の1月から私が担当した子の親は、「発達障害」の診断を受け、養護学校に入学させようか小学校支援級に入学させようか迷っていた。発語がないと親は言っていたが、十分に私の言葉に反応するし、知的好奇心が強い。小学校支援級を勧めた。結局、小学校支援級に入学した。親は自傷行為を恐れてヘッドギアをつけさせ、自分でトイレに行けないからオムツをつけさせた。が、数ヵ月で両方とも不要になった。そして、発語も多くなり、絵も字も書くし、足し算、引き算もできるようになった。発育がちょっと遅れていただけだ。

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脳を作る神経細胞自体の機能は比較的単純だが、多数集まって複雑な神経回路を作る。したがって、微妙な差異が積み重ねって、脳の多様な個人差ができることは、いたしかたない。普通から、すなわち平均からの個人差を「障害」と言っているわけだから、脳の複雑さ故、当然、「障害特性は多様で一人ひとり違う」。しかも、ほとんどの子はどこかの脳機能に障害を持っている。

記事では「発達障害」として、「注意欠陥・多動性障害」(ADHD)、「自己スペクトラム症」(ASD)、「学習障害」(LD)が挙げられているが、米国精神医学会(APA)の診断マニュアルDSM-5では、「神経発達症群」(Neurodevelopmental Disorder)には少なくとも11の症候群に分かれる。

 1. 知的能力障害、2. 言語症、3. 語音症、4. 小児期発達症流暢症(吃音)、5. 社会的コミュニケーション症、6. 自閉スペクトラム症、7. 注意欠如・多動症、8. 限局性学習症、9. 発達性協調運動症、10. 常同運動症、11. チック発達症

( 注:学習障害は限局性学習症(SLD)とすべきである。SLDとは、一般的な知的学習の困難を言うのではなく、人類の歴史で最近になって身につけた知的能力、文字を使うこと、足し算や引き算などを学習できないことをさす。じつは、これらができなくても社会生活ができる。)

診断は、多様な症状を無理やり11個の診断名のどれかに押し込んでいるだけで、この分け方に確固とした根拠があるわけではない。実際に多様な症状が観察されるのだから、将来、脳科学が進めば、機能障害の種類は、これより、もっと増えるだろう、と私は思っている。

診断名と症状との対応にも注意が必要である。たとえば、自閉スペクトラム症だからこれこれの症状がみられるのではなく、いくつかの症状の内のいくつがあてはまれば、仮に自閉スペクトラム症と呼んでいるだけである。あてはまる症状の数が少なければ、「自閉スペクトラム症の傾向がある」というだけである。

したがって、診断名でオロオロするのではなく、その症状は社会生活上どのような困難を招くのか、社会生活上の困難を小さくするのにはどうしたらよいのか、その相談にのってくれる「専門家や専門機関」と早めにつながるのではないと意味がない。

また、診断名から自分の子どもに偏見をもってはいけない。子どもに「寄り添う」ということは、子どもに「敬意(リスペクト)を払う」ことである。自分の子どもの素晴らしい点に気づかないといけない。

「こだわりが強い」は、職人、技術者、科学者、研究者に必要な特性で、生きていく上ではプラスになる特性である。
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子どもの生きていく上でもっとも大事なのは、子どもが自分自身を愛せることである。子どもの心を傷つけることはしないでほしい。

つぎに大事なのは、その子どもの無理なくできる範囲で、コミュニケーション力を育てないといけない。コミュニケーションは言語である必要がなく、ボディランゲージでも良い。語彙数の問題ではない。自分の感情や意志を親やサポーターに訴えることができるか、どうかである。これができれば、虐待をさけられる。

今回の朝日新聞の記事は、知的能力障害やコミュニケション症への言及がないが、知的能力障害だろうが、自閉スペクトラム症だろうが、コミュニケション力を育てることができる。