猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

「学問の自由」は贅沢か、世界レベルで大学が崩壊

2019-09-21 20:16:43 | 自由を考える

ネットでたまたま見つけた座談会『世界レベルで「大学が崩壊している」根本原因』が面白い。2018年9月7日の東洋経済ONLINEである。

朝日新聞では、これまで、理系・文系という観点から、「大学で文系が軽く扱われている」という記事が毎年ポツンとあったが、そんな問題ではないんだ。大学全体が世界レベルで崩壊しているんだ。大学全体が真理を探究する場でなくなっているんだ。

理系・文系の問題ではないというのは、ノーベル生理学・医学賞、化学賞、物理学賞をもらった日本人のほとんどが、受賞会見で、基礎研究を軽んじていると日本政府を批判していることからわかる。

いっぽう、この座談会についてのコメントを読むと、何をわがままなことを言っているのか、という否定的な雰囲気である。コメントにがっかりだ。

私は、真理を探究する場がなくなるとは、トンデモないことだと思う。
「大学が実利と効率という現世的価値への奉仕」とは、「若者をよく働く奴隷として訓練する」ことではないか。

座談会に反発するコメントは、大学が「国家の庇護を受けつつ国家の干渉を受けない」というのがおかしいと思っているからのようだ。コメントした人からは、自分が「真理を探究したい」「奴隷でありたくない」という願望が消え失せているようだ。まさに、世界的レベルで、思考の保守化だ。

たしかに、「学問の自由」や「リベラル・アーツ」は、他の自由、「表現の自由」「信教の自由」「職業の自由」「居住地の自由」などと同じく、近代にブルジョアと貴族との共闘によって生まれたものだ。だから、何か お高くとまっている と感じる人もいるかもしれない。

しかし、現在の民主主義の世界では、みんなが、その「自由」を楽しむことができるのである。国家の主権者は日本国憲法では国民である。だから、大学が「国民の庇護を受けつつ国民の干渉を受けない」というのは、当然である。

大学はみんなに開かれているのだ。みんなが、学問をするための大学をサポートする。しかし、多様な考え方を尊重し、真理の探究の仕方にあれこれと干渉しない。これが、「国民の庇護を受けつつ国民の干渉を受けない」ということだ。

国民が「学問の自由」を お高くとまっている と思うのは、大学入学者を学力で選抜するからだと思う。入りたい者を、すべて受けいれるようにすればよい。ただし、大学が、入って欲しい人には授業料を無料または安くし、そうでない人から実費をもらえばよい。

国立大学が希望者を全員受けいれるのは、「国立」ということから当然のことだ。憲法の「教育を受ける権利」だ。

卒業証も、授業に参加したという証明証としてどんどん出せばよい。ただし、成績だけは、本人のために、いままで通り客観的に評価すればよい。

そうすれば、学歴主義もなくなるだろう。また、大学教員の数も増やせるだろう。怪しげな公共事業より、ずっと経済効果があるだろう。
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コメントを読むと、座談会に出てきた言葉「大学とは天才を飼っておく場所」に怒っていた人もいた。きっと、怒っていた人は自分は頭が悪いと思い込んでいるのだろう。そういう人は、誰でもが天才になれる、ということを忘れている。

天才になるには、何ごとかを究めるに努力することと、これまでの常識にとらわれずに考えることだ。もちろん、環境もいる。最新の研究を知る環境がいる。

天才と言われたアルベルト・アインシュタインは、脳の容量は小さかった。また、ユダヤ人だったがゆえに、大学での職がなかった。しかし、ベルンのスイス特許局に友人の口利きで就職でき、そこで、最新のジャーナル(学術雑誌)を読むことができた。

みんなが天才になれるとしても、せっかく大学に入っても、大学の職にありつけるとは限らない。私もノーベル賞を取るつもりでいたが、大学の職を得られず、ノーベル賞をとらないまま71歳になった。

日本国憲法の第23条に「学問の自由は、これを保障する」とある。

同じく、第25条に「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。○2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」とある。

これからは、「学問の自由」は、「健康で文化的な最低限度の生活」と合わせて、国民のだれもが、大学に職がなくても、「真理を探究できる自由」とすべきである。休みにパチンコでなく、研究をしたいと思う人が意外とたくさんいると思う。そのための環境を整えて欲しい。

専門書や洋書や学術雑誌が図書館で読めるようにしてほしい。そのためには、全国の大学図書館を学生や職員以外に、しかも、休日に開放して欲しい。また、ネットで、専門書や洋書や学術雑誌が読めるようにして欲しい。これも、国民の知的レベルを向上させ、経済効果を生むだろう。