福島第1原発事故をめぐり、「業務上過失致死傷罪」で強制起訴された東京電力旧経営陣3人を、9月19日、東京地裁は無罪とした。
刑法第211条(業務上過失致死傷等)
「業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、五年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。」
今回、検察官役の指定弁護士はその中の最高の刑罰「5年間の禁錮」を求刑した。
じつは、この「業務過失致死傷罪」というのは、もともと、刑法のなかでも、非常に軽い罪状である。これまで、業務用トラックの人身事故やバスや鉄道の事故などで適用される罪状であり、運転手やその雇用者への罰則がゆるいと、交通事故には、もっと重い罰則の法律が制定された。
そんな軽い罪でも、旧経営陣の元会長、勝俣恒久(79)、元副社長の武黒一郎(73)、武藤栄(69)の3被告を無罪にした、東京地裁の裁判長の永渕健一の判決はおかしいと思わざるを得ない。
刑法211条は、「業務上必要な注意を怠り」人を死傷にいたらした罪を規定しており、不注意が人の死傷を招いたことが要件になる。ところが、判決文の冒頭で、永渕は、業務過失致死傷罪で
「結果回避義務を課す前提として、予見可能性があったと認められることが必要である」
と言う。
すなわち、不注意があったか否か、原発事故を回避できたか否か、ではなく、「予見可能性」という理由で無罪にしたかのような書き出しである。
判決文を読むと、旧経営陣の3人は、部下から、14メートルの津波が来る、最大で15.7メートルの津波がくると報告を受け、対策を求められている。ここで、経済性を優先させ、対策を必要なしとした、旧経営陣は、あきらかに、「業務上必要な注意を怠った」のである。津波による原発の危険性を知ることは、原発を所有する企業の経営者に「業務上必要な注意」そのものである。
また、判決文を読むと、
「検察官役の指定弁護士は今回の結果を回避するために必要な措置として、(1)津波が敷地に上がるのを未然に防ぐ対策 (2)津波が上がっても建屋内への浸水を防ぐ対策 (3)建屋内に津波が浸入しても、重要な機器がある部屋への浸入を防ぐ対策 (4)原子炉への注水や冷却のための代替機器を浸水の恐れがない高台に準備する対策――をあらかじめ取れば事故は避けられたと主張し、全てを講じるまでは運転を停止するよう主張した」
とある。
(1)から(4)のいずれかが とられていれば、原発事故が回避できたのである。じっさい、同じ津波を受けた宮城県の女川原発、福島県の福島第2原発では事故が防げたのである。
ところが、判決文で、永渕は
「10メートルを上回る高さの津波が来る可能性に関する情報に3人が接するのは、いずれも早くて、武藤が2008年6月10日、武黒が、武藤から報告を受けた同年8月上旬、勝俣が2009年2月11日だった。仮にこの時期に(1)~(4)の全てに着手していたとしても、事故前までに完了できたか、証拠上明らかではない。指定弁護士も、この時期に(1)~(4)に着手すれば、措置を完了でき、事故は回避できたとは主張していない。
そうすると、結局、事故を回避するには、原発の運転を停止するほかなかったということになる」
と言う。
これは、詭弁である。
通常は、「注意を怠った」のではなく「努力したが間に合わなかった」と、無罪を主張する。
ところが、判決文では、間に合わないから「原発の運転を停止するほかなかった」と永渕は言い切る。
じっさいには、(2)から(4)は短期間に低コストでできたはずである。せめて非常電源のディーゼル発電機を高台に置けば良かったのである。
永渕の悪質なところは、検察官役の指定弁護士が(1)から(4)の「全てを講じるまでは運転を停止するよう主張した」ことを逆手にとって「間に合わない」と言っていることだ。そして、彼はさらに言う。
「しかし、東電は電気事業法により電力の供給義務を負っている。現代社会における電力は、社会生活や経済活動を支えるライフラインの一つで、福島第一原発はその一部を構成し、その運転には小さくない社会的な有用性が認められる。
その運転を停止することは、ライフライン、ひいては地域社会にも一定の影響を与えることも考慮すべきだ。運転停止がどのような負担を伴うものかも考慮されるべきだ。」
これでは、原発が危険でも、国家が必要としているから、止めてはいけない、となる。
じっさいには、2014年に日本中の原発を全部止めたが、何の問題も生じなかった。また、原発を止める以外の回避行動もとれたのである。
永渕は、さらに、予見可能性を否定するために、津波そのものが予見できなかったとする。第1原発の防波堤は10メートルの高さなので、永渕は10メートル以上の津波が予見できたかを基準にとる。その上で、最高15.7メートル、14メートルの津波の計算値の下になった、日本政府の長期地震予想「三陸沖から房総沖まで津波地震が起きる可能性」、「今後30年間にマグニチュード8.2の地震の可能性20パーセント」を信頼できないと永渕が言う。じっさいにマグニチュード9.0の大地震が起きた。
これには、9月21日のTBS報道特集で、元原子力規制委員会委員長代理で東京大学地震研究所教授の島﨑邦彦が怒っていた。根拠がないものを、地震予知連絡会が日本政府の長期地震予想として発表することはない。東電の武藤が勝手に信頼できないとして、東電と親密な土木学会に再評価を求めるとは、真実を求めているのではなく、自分の都合の良い「真実」を捏造する行為である。
永渕は、予見可能性について、
「3人に10メートルを超える津波の予見可能性がおよそなかったとは言いがたい。しかし、武藤と武黒は長期評価の見解それ自体に信頼性がないと認識しており、勝俣は長期評価の内容も認識していなかった」
と言う。これは予見可能性というより、3人の心理状態への言及であり、まさに「業務上必要な注意を怠った」と言える。
ところが、判決の結論で、予見可能性も必要ではない、と永渕は言う。
「地震発生前までの時点では、法令上の規制や国の指針、審査基準のあり方は、絶対的安全性の確保までを前提とはしていなかった。3人は東電の取締役などの立場にあったが、予見可能性の有無にかかわらず当然に刑事責任を負うということにはならない」
として、東電の旧経営陣を無罪にした。
永渕は、単に無罪にしただけでなく、安全性よりも経済性を、安全性よりも国家の政策を優先させる悪しき判例を作った。これは非難に値する。「業務上過失致死傷罪」そのものの否定になる。