猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

東畑開人の『居るのはつらいよ』(ケアをひらく)が面白い

2019-09-27 22:51:08 | こころの病(やまい)

東畑開人の『居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書』(シリーズ ケアをひらく、医学書院)が面白い。図書館で借りてきて2日で読み切った。

京大ハカセの著者(東畑開人)が、臨床心理士の職と妻子を養える給料を求めて、沖縄の精神科クリニックに付設したデイナイトケアに就職し、不思議の国のアリスのような体験をするという物語である。物語の合間に、ユング派精神分析の学識が京大ハカセによってつぶやかれる。

著者の実際の体験のように書かれているが、はじめの数章でどうもおかしい、フィクションではないか、おとぎ話ではないか、と思い始める。

このデイナイトケア(day & night care)は、朝8時半に開き、夕方18時半に閉じる。メンバー(精神疾患をわずらう利用者)にとって最大10時間のサービス提供、スタッフ(ケアや事務労働者)にとっては、それ以上の11時間の労働になる。これでは、シフト体制が組まれないと、1日の最大労働時間の8時間を毎日大きく越えてしまう。

したがって、シフトが組まれないといけないのだが、シフトの話がまったく出てこない。物語は男性看護師のハゲ、デブ、ガリの3人と、チビの東畑開人によってまわる。この4人が朝から動き回り、夜は4人で酒を飲んで くだをまく。朝から晩まで働いて、金曜日には疲れた疲れたとみんなで言っている。

こんなことは労働基準法からいって許されない。就業規則が労働基準局に提出されているのか。ちゃんと労働契約書を結んでいるのか。

これと関連するが、4年間にわたるこの物語に、クリニックの院長や事務長がまったくでてこない。デイナイトケアやクリニックは営利団体である。デイナイトケアの運営に院長や事務長が絡まないはずがない。ハゲ、デブ、ガリや東畑が辞めるときにも、辞表の受け取り手のはずの院長や事務長が出てこない。経営者、管理責任者の姿が見えない。

それに、著者は自分に妻子がいると 本書のはじめに書いているのに、単身沖縄に飛び込んだのでもないはずなのに、物語に登場しない。声も聞こえてこない。東畑が毎日出勤する前の2時間、論文を書いているというのに、怒り狂った妻子が論文を破いてしまうということが起きない。こんなわがままな東畑を妻が包丁で刺すということも起きない。軋轢がないということは互いに存在しないことと同じである。

著者は、あとがきで、「本書で描かれたメンバーさんたちは実在する人々ではない。私のさまざまな臨床体験を断片化し、改変し、新しく再構成した。他の登場人物についても同様だ」と書く。プライバシーにも関わるから、当事者でもある著者は創作を通じて真実を語るしかないのだ。

現在では、精神科医や臨床心理士が書く患者とのエピソードは、すべて作り話という約束になっている。

著者は、デイナイトケアのメンバーやスタッフの創る世界を幸せな不思議の国として描き、現実世界の要素、政治、法規、経営、家族を意図的に隠し、最終章の「アジールとアサイラム 居るのはつらいよ」で どんでん返しを行う。

それまでは、不思議の世界にかこつけて、『いる』と『する』、ケアとセラピー、成熟、意識/無意識、アンビバレンス、依存労働、依存と自立、居場所と避難、などの精神分析の学識で煙にまく。

それにしても、ツッコミどころが満載の本書である。とりあえず、どんでん返しの前までこれから論じたい。