9月18日の朝日新聞オピニオン&フォーラム、出口治明の『イノベーション立国論』がひどい。自分の立命館アジア太平洋大学(APU)の宣伝をやっているだけで、内容がない。
出口治明のインタビューはつぎで始まる。
「経済学者のヨーゼフ・シュンペーターによると、イノベーションとは既存知の組み合わせです。知と知の間の距離が遠いほど、面白いアイデアが生まれる。現在では『ダイバーシティ』と『高学歴』が、新しい技術革新が起きる条件です」
これでは「イノベーション」=「技術革新」のように聞こえる。
じつは、シュンペーターの関心は、社会主義者と対決し、資本家、経営者を擁護することにあった。別に、技術革新に興味あるわけではない。かれは、資本家、経営者の役割(function)を分析し、企業家(entrepreneur)という機能を見出した。最近、「企業家」に「起業家」の字を当てるが、別に会社を起こすことを言うのではなく、「新しいことをする人」をいう。社会の物質的発展に、企業家が必要であるから、高額の給料をもらうのだ、というのが、シュンペーターの理論の核心である。
「企業家」は「発明家」と異なり、自分が新しい科学的技術的知識を生むわけでないので、「既存知の組み合わせ」で「新しいこと」をする。この「新しいこと」をシュンペーターは「革新(innovation)」と呼んだ。
どうも、出口はシュンペーターの論文を読んだことがないのだろう。
日本語のWikipediaにも、戦後、“innovation”を「技術革新」と訳したのは間違いで、現在では、誤解を防ぐために「経営革新」と訳すことが多くなったとある。
出口は「日本生産性本部の役員に聞いたのですが」と話す。「生産性本部」とは生産管理技術に関する知識の普及を有料で行っているところで、イノベーションとは無関係である。
出口の「『ダイバーシティ』と『高学歴』が、新しい技術革新が起きる条件」というのがまた意味不明である。ここでは、「技術革新」を「イノベーション」という意味で使っていないのではないか。「技術革新」を単純に「新技術開発」の意味で考えているのではないか。そうでないと、なぜ、「高学歴」が条件になるかが理解できない。
出口は「高学歴」で大学院のことを意味しているようだが、ビジネスで「新しいこと」をするのに、大学や大学院に行く必要はない。ビジネスで「新しいこと」をするには、「思い込み」から自由で、「戦略的思考」ができれば良い。そうであれば、新しいアイデアが浮かび、それを具現化できる。
出口は、労働環境に言及するが、これは労働者管理(management of human resources)の技術を論じているだけだ。すなわち、これは、大学院のMBAの教科内容で、シュンペーターに言わせば経営(management)の問題でイノベーションと無関係である。
しかも、優秀な人材は労働環境の悪い企業にこないという自明なことを言っているだけだ。
出口は「日本の企業が面接で見ているのは、率直で我慢強く、協調性があって言うことを聞くかどうかです、これは製造業では必要な人材です。でもこういう人間をいくら集めても、新しいアイデアは出ないし、新しい産業はうまれません」という。
ここで、「新しい産業」とはじめて「イノベーション」らしきことをいう。しかし、製造業ではイノベーションはいらないのか。そんなことはない。わたしは、中国のファーウェイ、韓国のサムスン電子を高く評価する。日本においても製造業は大事な産業である。
私は外資系で働いてきたが、日本のどんな産業であれ、「協調性があって言うことを聞くかどうかです」では、まずいと思う。労働者は奴隷ではない。労働者のもっている「創造性」に、経営者は敬意をはらうべきである。
しかし、「率直で我慢強い」は素晴らしい人間の資質ではないか。私は、発達障害と言われているなかで、コミュニケーション症とか自閉スペクトル症の人を企業は積極的に雇ったほうが良いと思っている。彼らは、我慢強く、独創的な仕事をする。
企業にとって困るのは、プレゼンテーションだけが うまい人が、研究部門や開発部門や製造部門にはいってくることである。ウソを見破る上司がいないと、会社倒産の危機が生じる。もちろん、営業部門であれば、良い資質となるが。
また、人間の創造性は、学校教育がいかに個人の自由を尊重をするかに依存している。出口は、日本の学校教育を批判的に検討せずに、学生が「大学で勉強しない」と批判している。出口の大学の学生がボロイのか、授業の内容に問題があるのか、学生が貧困でアルバイトに負われているのか、小中高の詰め込み教育の弊害がでたのか、などを検討しないといけない。
いずれにしても、出口の話はお粗末で、ただただペテン師の能力で学長まで上り詰めたと思える。朝日新聞もこんなバカとつきあっていいことはない。
【追記】
朝日新聞の記事を読み直すと、インタビュア嘉幡久敬は、「世は『イノベーション』ばやりだ。米IT企業の成功にならえと、国も技術革新を起こそうと躍起になっている」と冒頭に書いている。「イノベーション」を「技術革新」としているのは、嘉幡記者自身の無知からきている。
じつは、「イノベーション」「ダイバーシティ」「シュンペーター」は、私は外資系にいて30年前に頻繁に聞いた言葉である。IBMは1990年に赤字決算になり、CEO(最高経営責任者)が辞任し、金融資本の株主が経営コンサルタント上がりのルイス・ガースナーをCEOにつけた。これらの言葉はコンサルタントのものである。なぜ、いまごろ、日本でこのような言葉がはやるのか。日本が行き詰った右翼国家になりさがったことと関係があるのではないか。しかも、言葉の使い方がおかしい。
政治や国が経済に口出したとき、ろくなことが起こらない。口の上手い政治家が大衆を操るために、経済政策を利用するからだ。じっさい、アベノミクスが日本の経済をダメにしている。