猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

資本(Kapital)はブラックホールか?『武器としての「資本論」』

2021-05-04 23:25:03 | 経済思想
 
上の写真は、ドイツ語版のウイキペディアから取ったものである。清貧に生きた頑固で誠実なカール・マルクスが写真からうかがえる。横にいるのが妻Jenny(イェニーと発音する)である。彼女は貴族の娘だから、誇り高いマルクスのそばにいて苦労したことと思う。
 
マルクスの『資本論(Das Kapital)』の無料写真版(facimile PDF)はネット上にいくつかあがっている。今回、はじめて、マルクスのドイツ語の文章をみたが、短い文がリズムカルに並ぶものである。ニーチェやヴェーバのように屈折した文章ではない。
 
さて、白井聡の『武器としての「資本論」』(東洋経済新報社)を読みだして半分をすぎた。ざっと読み終わるのに、あと2日はかかるだろう。
 
第5講で、映画「寅さん」が出てくるが。ここはわかりやすい。しかし、映画エッセイストの西口想の文を引用しているせいもある。
 
ここまでくると、白井はいまの日本人に怒って本書『武器としての「資本論」』を書いているのがわかる。
 
《新自由主義は人間の魂を、あるいは感性、センスを変えてしまったのであり、ひょっとするとこのことの方が社会制度の変化よりも重要なことだったのではないか、と私は感じています。》
 
《それはすなわち資本による労働者の魂の「包摂」が広がっているということです。》
 
白井は『資本論』を読んで目を覚ませと叫んでいるのである。しかし、それなら、『資本論』をやさしい日本語で翻訳しなおしたほうが良いだろう。ここで「包摂」とは“Subsumtion”の訳で、「取り込むこと」をいう。
 
マルクスはKapitalistを主語にしたり、Kapitalを主語にしたりする。Kapitalに人格があるはずがないのに、意志をもった邪悪な偶像のように描く。ブッラクホールのように、人々を資本制の自己増殖運動に呑み込んでいくというのである。
 
しかし、私は、いけないのは強欲な人の心であると思う。責めるべき対象は人の心である。マルクスは優しすぎる。
 
私がNPOで取り組んでいるのは、競争社会からこぼれ落ちた子どもたちの指導である。私は競争社会に彼らを復帰させることをめざしているのではなく、競争社会の外でalternativeな生き方ができることを示したいからである。
 
偶像Kapitalを批判しても、それが、具体的な改革策に至らないといけない。Kapitalistは自分が確実に得するよう社会制度を変えていく。Kapitalistに逆らって、貧しい私たち弱者にとって有利な社会制度に変えていくようにしないといけない。
 
菅義偉は、新型コロナ禍を抑えるために、憲法を改正して、緊急事態事項を付け加えようとしている。叩き上げを称する菅義偉は、強い政府を主張することで選挙に勝ち、強い政府によって弱者を切り捨てようとしている。これがトンデモナイことであるのは、『資本論』を読んで資本制経済、貨幣、市場、剰余価値を理解しなくても、わかることではないか。