猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

競争と平等とはまったく異なる、ワクチン接種予約を争う老人はバカだ

2021-05-14 22:22:30 | 思想
 
けさテレビで、新型コロナワクチンの混乱は日本の平等主義が悪いと、コメンテーターが言っていた。しばらく考えたが、その理由がわかった。コメンテーターは競争と平等を取り違えている。電話を人より早く掛けて人より早く接種を予約するという「競争」のことを「平等」と思いこんでいる。
 
アメリカの経済学者J. K. ガルブレイスは、「競争」について、『ゆたかな社会 決定版』(岩波現代文庫)の「第4章 不安な安心」、「第7章 不平等」、「第8章 経済的保障」で論じている。端的に言えば、欧米では、近代になって、「不平等」を正当化するために、主流派の経済学者が「競争社会」を考え出した、と彼は言っている。中世社会には「競争」がなかったのだ。
 
ところが、20世紀後半になると、「競争」は人びとに不安を引き起こし、結局、人々が「経済的保障」を求めるようになる、と論ずる。「競争」が経済的発展を導くという証拠はないと彼は言う。
 
いっぽう、中国は、何千年前から、無能で強欲な王を人民が殺す国である。王のほうもわかっていて、殺されないために、不満を軍事的争いに行かないよう、知識の競争に持ち込んだ。「科挙」である。努力すれば出世できるという幻想をもたせることで、軍事クーデータや革命を防いだ。
 
アジアでは「競争」は「不平等」の不満のガス抜きである。
 
思うに、テレビの若いコメンテーターが主流派経済学者デヴィッド・リカードの本を読んで「平等」は「競争」だと騙されたのではなく、「競争」を是とする日本の学校教育に騙されてたのだろう。
 
電話を人より早く掛けたって、役所の前に人より早く並んだって、資本主義経済が発展するはずはない。「競争」する老人たちが単にバカなのである。
 
しかし、「競争」が起きないように、政府がワクチン接種の期日と会場を一方的に決めれば良いというのも極論だと思う。個々人が期日と会場を選んだからといって、本来、窓口や電話が混乱するものではない。混乱はみんなが同じ行動を一斉にとるからである。7月までに、すべての老人にワクチン接種すると言っているのだから、べつに人を押しのけて急いで接種を受けることはない。
 
ここで、子ども時代に呼んだ手塚治虫の漫画を思い出す。地球に暗黒星雲か大彗星が接近して、地球の生物が死に絶えると科学者たちが予測し、地球脱出のロケットが作られた。ところが、ロケットができると、誰がそれに乗るかで争いが起き、殺し合う。そして、争いに勝った一部の人を乗せて、ロケットが地球を飛び立つ。しかし、地球に暗黒星雲(大彗星)が接近しても何も起きなかった。残った人々は死ぬことはなかったのである。
 
集団免疫を獲得するためには、べつに全員がワクチンを接種する必要がない。6割から7割の人が接種すればよいわけだから、副反応が怖い人は接種しなくてもよい。ところが、接種しないと死ぬという政府の宣伝が効きすぎて、われ先に接種しようというパニックが老人の間に起きた。もちろん、すべての老人がパニックになっているわけではない。老人の私も妻も、べつに、急ぐことがないと思っている。
 
私が気になっているのは、老人はエッセンシャル・ワーカではないことだ。歯科や精神科を含む医療従事者、介護従事者、対面教育者、ゴミ収集者、火葬従事者、流通業従事者、公共交通従事者など,老人より先に接種したら良い人たちのことが次々と思い浮かぶ。
 
老人は本来先に死ぬものだ。もしかしたら、最後に接種となってもおかしくない。なぜかありがたいことに、優先されている。せめて、感謝しながら、他人を押しのけないものであってほしい。老人は別に満員電車にのって通勤することもない。混雑したデパートに出かけることもない。ワクチン接種が少し遅くなっても、いくらでも、自己防衛できるわけだ。
 
たとえ認知症が進んでいても、老人は争わぬ生き方を示めしたいものだ。