2006-1023-yms130
どんどんと叩く戸口を情に負け
あけてしまえば悔いるでしょうね 悠山人
○紫式部集、詠む。
○返し。結局、紫は通用扉を開けなかった。この歌の真意、いずれの解説も通り一遍である。私は、このとき紫やいかに、と忖度しばし。現代詠初句に、珍しくも擬音(洛京連想?)。はじめに思い付いた「ただならず」では、文語に傾きすぎ。別案に、「激しさに負けて戸口をあけたあときっと後悔するのでしょうね」。これだと、許した、とも取れる表現になる。昼か夜かと言えば、「とんとん」は昼、「どんどん」は夜中の印象。「情」は「錠」を連想させたか。平王ク076。
¶とばかり=「というふうな様子で」「(懸命に)戸だけを」と懸ける。
¶あけては=「開けてしまっては」「(夜が)明けてみれば」と懸ける。
□紫130:ただならじ とばかりたたく くひなゆゑ
あけてはいかに くやしからまし
□悠130:どんどんと たたくとぐちを じょうにまけ
あけてしまえば くいるでしょうね
【memo】余一首。詠み緩きは、離れ難きゆゑなるか・・・。
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やは肌のあつき血潮にふれも見で
さびしからずや道を説く君 晶子
○短歌写真-晶子。
○「みだれ髪の」「やは肌の」晶子。与謝野晶子は1878年(12月07日)生まれ、1942年(05月29日)死去。歌集『みだれ髪』は1901年。この情熱と先進性を備えた歌人は、いまの日本にはいない。また、晶子が紫式部の熱心な鑽仰者であったことも、よく知られる。詠歌も「やは肌」色文字に。(表記は、いま仮に Wikiquote に拠る。)
□やははだの あつきちしほに ふれもみで
さびしからずや みちをとくきみ
【写真】作業工程はかなり複雑。
【memo】私事。ことしも与謝野晶子文芸館から、特別展への丁寧な案内をいただいたが、参観かなわず。very sorry!