小正月前の週末、久しぶりに早稲田学生街まででかけた。中央林間から田園都市線経由で九段下乗り換え地下鉄東西線早稲田駅下車、約一時間半あまりの乗車時間。乗ってさえしまえば地上へ出たとたん、もうそこらあたりは早稲田大学学生街、あいにくの雨模様で傘を差して歩き出す。
早稲田大学演劇博物館を目指すが方向に迷ってしまい、ようやく早稲田通りから横に入ってゆき、南門からキャンパス構内に入ることができた。学内建物は大部分が新しく高層化していて、大隈重信公銅像が小さくなって見える。
一番奥まったさきに中央部分に赤瓦屋根の展望塔を抱き、コの字型の両翼を広げた演劇博物館が見えてくる。昭和初期、16世紀イギリス劇場様式をふまえて坪内逍遥の発案により、今井兼二らの設計で竣工したもの。入り口横右手には、逍遥を偲ぶ會津八一の歌碑が立っていた。正面バルコニー下が舞台面となっていて、建物広場が観客席になる。張り出し屋根の下の壁面に掲げられたシェイクスピア劇の名セリフ、“この世はすべて舞台”に呼応して、演劇博物館にふさわしい造りとなっている。
博物館右手に隣接した五階建ての白い箱型リニューアル建物は、昨年度華々しく開館した国際文学館、通称村上春樹ライブラリーだ。ご本人からの資料の寄贈がきっかけで誕生し、館内村上春樹文庫ではなくて文学館全体の通称名となってしまうことが自体がトピック。村上文学のイメージからすると地域的記念館となるよりも、大学文学館のほうがインターナショナル的であるのかもしれない。
それにしても約半世紀前の卒業生になるとはいえ、現存作家名を通称とする文学館が社会的大学イメージを先導するようなことになっているとは、国内はもとより世界的な人気面からすると村上春樹文学のインパクトは、やはり別格のものなのだろう。
改修設計は早稲田出身ではない隈研吾(栄光学園から東京大学)があたり、すべての開設費用は、OBであるユニクロ柳井正氏の全額寄付金で賄っているというから、いまの時代と社会を象徴した建物に違いない。
開設にあたっての記者経験では、柳井氏を真ん中に向かって右側が村上氏、左側が隈氏のスリーショット。このあたりの経緯について、当の早稲田学生たちは、どのように受け止めていたのだろうか。その文学部は、ここからすこし離れた戸山キャンパスにある。
演劇博物館を訪れたのは、その村上春樹に因む企画展「映画の旅」を観るため。展示構成は五部にわかれていて若き時代、村上春樹のさまざまな映画体験について示す。まずは神戸時代に通った映画館、大学生時代の早稲田松竹など思い出の映画館パネルと名画の数々のポスターなど。映画体験と映画館体験が分かちがたく結びついていた幸福な時代が共有される。
次に小説の中で登場する映画についての解説があり、小説を原作として映画化されたものの関連資料があり、といったもの。ひろくアメリカ文学と映画について考察された展示コーナーがある。
こうしてみると村上ワールドには様々な音楽がそのタイトル=固有名詞も含めて引用されている印象があるが、その時代の映画イメージについても巧みに取り込まれていることが改めて印象づけられる。むしろ、もともとはシナリオ作家を目指したいと思っていたこともあったらしいが、やや屈折した思いでより“個人的な世界”の構築が可能な文学に踏み出していったのではないかと思わせられるのだ。
もっとゆっくりと見て回りたかったけれど、午後からは池袋へ移動する予定があって、早稲田通りを歩いて高田馬場駅方面へと向かう。通りの両側の街並みは、いくつかの古書店や昔からの飲食店が点在するなかに、学生街らしい新しいエネルギーが溢れかえっている。途中、名画上映館高田馬場パール座の建物は健在のままで、かつて何度も通った身にはたまらず懐かしく、ほっとさせられた。
駅前広場に着くと、西武鉄道系スポーツ商業施設「BIG BOX」が聳えている。上京した十代の終わりころ、初めて見たこの黒川紀章設計(1974年竣工。ということは、大学生だった村上春樹も出来たての姿を眺めていたはずだ)の斬新な窓のない巨大な箱船型の造形は、都会の底知れなさが閉じ込められているパンドラの箱みたいで、強烈なインパクトがした。
いまはその外観の印象は白基調のまま、ツートーンが赤から青基調へと変更されて、正面壁に描かれた巨大な白抜きのランナー姿もなくなり、なかのテナントも時代の流れで大きく変わってしまっているようだ。
高田馬場駅から山手線で池袋へと出る。駅構内を出てすぐの西口公園野外劇場にて、日本音楽集団ニューイヤー・コンサートを聴く。東京芸術劇場のアナトリウムがすぐ横にあり、あいにくの雨模様は引き続くなか、外気はすっかりと冷え込んでいる。
尺八、琵琶、筝、笛、津軽三味線、打楽器からなる七人編成の舞台は、宮崎駿アニメの「もののけ姫」久石譲曲から始まる。春の海、平家物語の琵琶語りの一節、日本民謡メドレー、M.ラベル曲、長澤勝俊の現代邦楽曲までの幅の広さは、日本音楽集団ならではのものか。約一時間ほどの充実した演奏が無料で聴けたのだから、新春早々の聴き初めとしては有難い。
演奏会を後にして、西池袋から山手線を左脇に眺めながら、ひたすら目白駅へと向かう。途中、自由学園明日館に立ち寄る。池袋の喧騒からそう遠くない場所に、芝生広場の向こう、低く翼を広げたようなヒューマンスケールの建造物が目に入ってくる。F.L.ライトと遠藤新の共同設計のプレーリー様式と呼ばれる美しい大正期の建物。青銅拭きの屋根とベージュの壁の対比が落ち着いた印象だ。中央部分の旧食堂から灯かりがもれて、わずかに空間の様子がうかがえる。昭和、平成、令和と続くその姿はひとつの奇跡かもしれない。
通り沿いに大きく枝を広げたソメイヨシノの蕾には春の予感がする。柵のむこうには、スイセンの花が咲き出している。その通りを挟んで建つ学園講堂と婦人之友社屋との調和がすばらしい夕暮れ、雨はやんでいた。
夕暮れ時、JR山手線を見下ろしながら目白駅へと急ぐ。女性的な柔らかい印象の駅舎のずうと向こうに、灯かりのついた高田馬場から新宿高層ビル群の眺め、都会の余韻がする。これから自宅までは一時間余りほどかかるだろうか。