休日に思い立って好きな建築を見に出かける愉しみ、というわけで昨日16日に久しぶりに箱根芦ノ湖まで足を延ばした。目的は箱根プリンスホテル(現ザ・プリンス箱根)と箱根樹木園休息所(現九頭龍の森)を見にいくため、いずれも村野藤吾(1891-1984)80歳代の設計。
箱根プリンスというとやや憧れに似た特別な感慨がある。手の届く範囲のリゾートでありながら奥が深くぜいたくな環境の中のホテルという印象だ。湖畔のにぎわいからは距離があり、庶民的な世界からすこし洗練された上品なイメージ。小田急沿線の住人からするとやや文化圏が異なる感覚をずっと持っていたが、これってフリーパスに代表される企業戦略から生じている現象か。つまり、フリーパスでは箱根園にいこうとすると交通が別料金になってしまい、結果箱根プリンスは少し遠い存在となっていた。
今回訪れて、箱根プリンスホテルの竣工と開業が1978(昭和53)年、つまり今年35周年と意外に新しいことにびっくりした。もちろんそれに至る開発変遷の歴史は、大正時代から連綿と続いて今日に至るのであるが。
変わらず四層構成の建物は、木々に囲まれて湖畔にたたずんでいた。東と西館のドーナツ型とも花びら型ともいえる優美な造形、そこにつながる縦長のロビーの見事さ。今回初めて正面入り口の低く抑えられた軒先からロビーをへて客室廊下へと歩いてみたが、その空間構成の高揚感の高まりへと誘う巧みさにうなった。外壁に埋め込まれたベージュの石片は、インド砂岩であるそうだ、インドから箱根の湖岸に!
全体の敷地はゆるやかに湖畔に向かって傾斜しており、エントランスからは本館客室の高さが目に入らず、自然に奥への導かれる構造になっていて、進むにつれて次に何が展開するのかという期待感と客室棟が見えた先につながる芦ノ湖の水面に心癒されるのだ。客室棟が真中が空洞で竹が植えられた中庭であることも今回の発見であり、この有機的空間構造は京都宝ヶ池プリンスホテルの造形にもつながっていく。なお、エントランスロビーの雰囲気は、旧千代田生命本社ビル(1966年)のエントランスが先取りしているだろうか。
箱根樹木園休息所(1971年)については、稿を改めたいがこの建物は見た限り村野藤吾の問題作、アバンギャルドの最たるものであると思う。何しろ森の中のキノコと見まごうような外観、近代建築でありながら茅葺屋根が三棟。そして現状の朽ちかけた姿が自然に帰るとは、建築物の終演とはなにかについて雄弁にかたっている気がする。正面入り口の開かれた木戸横の壁面に「1971 村野・森建築事務所 村野藤吾」と銘板あり。貴賓室天井の優美なモビールのようなシャンデリアは、そのまま残されていて、それはもういまは記憶の彼方にしか存在しない横浜プリンスホテルの優美で有機的な吹き抜け空間にもつながる。
なんとも感慨深く、建築と自然の関係性について思いを巡らせることとなった。
箱根プリンスというとやや憧れに似た特別な感慨がある。手の届く範囲のリゾートでありながら奥が深くぜいたくな環境の中のホテルという印象だ。湖畔のにぎわいからは距離があり、庶民的な世界からすこし洗練された上品なイメージ。小田急沿線の住人からするとやや文化圏が異なる感覚をずっと持っていたが、これってフリーパスに代表される企業戦略から生じている現象か。つまり、フリーパスでは箱根園にいこうとすると交通が別料金になってしまい、結果箱根プリンスは少し遠い存在となっていた。
今回訪れて、箱根プリンスホテルの竣工と開業が1978(昭和53)年、つまり今年35周年と意外に新しいことにびっくりした。もちろんそれに至る開発変遷の歴史は、大正時代から連綿と続いて今日に至るのであるが。
変わらず四層構成の建物は、木々に囲まれて湖畔にたたずんでいた。東と西館のドーナツ型とも花びら型ともいえる優美な造形、そこにつながる縦長のロビーの見事さ。今回初めて正面入り口の低く抑えられた軒先からロビーをへて客室廊下へと歩いてみたが、その空間構成の高揚感の高まりへと誘う巧みさにうなった。外壁に埋め込まれたベージュの石片は、インド砂岩であるそうだ、インドから箱根の湖岸に!
全体の敷地はゆるやかに湖畔に向かって傾斜しており、エントランスからは本館客室の高さが目に入らず、自然に奥への導かれる構造になっていて、進むにつれて次に何が展開するのかという期待感と客室棟が見えた先につながる芦ノ湖の水面に心癒されるのだ。客室棟が真中が空洞で竹が植えられた中庭であることも今回の発見であり、この有機的空間構造は京都宝ヶ池プリンスホテルの造形にもつながっていく。なお、エントランスロビーの雰囲気は、旧千代田生命本社ビル(1966年)のエントランスが先取りしているだろうか。
箱根樹木園休息所(1971年)については、稿を改めたいがこの建物は見た限り村野藤吾の問題作、アバンギャルドの最たるものであると思う。何しろ森の中のキノコと見まごうような外観、近代建築でありながら茅葺屋根が三棟。そして現状の朽ちかけた姿が自然に帰るとは、建築物の終演とはなにかについて雄弁にかたっている気がする。正面入り口の開かれた木戸横の壁面に「1971 村野・森建築事務所 村野藤吾」と銘板あり。貴賓室天井の優美なモビールのようなシャンデリアは、そのまま残されていて、それはもういまは記憶の彼方にしか存在しない横浜プリンスホテルの優美で有機的な吹き抜け空間にもつながる。
なんとも感慨深く、建築と自然の関係性について思いを巡らせることとなった。