一週間前の話に戻ってしまうのだけれども、10年ぶりくらいで伊豆大島へ行ってきた。今回は通常の熱海か東京竹芝からの定期便ルートではなく、年二回ほどしか不定期就航していない相模湾江の島から高速ジェット船に乗り伊豆諸島の島へ、いうのがミソ。6日早朝、ダウンを着込んで住まいから小田急江ノ島線の終点で歩いて港に向かう。大橋を渡り切り、通りにそって左手方向に進むと、明治十年(1877)の夏にエドワード・モースが訪れて、ひと夏滞在し貝類など臨海生物を調査した記念碑がたっている。
集合場所のヨットハウスについたのは午前9時になろうとする少し前だった。できた当時は、さぞかし輝いていたであろうモダニズム建築も、50年をへて年輪を重ねてすっかり古ぼけている。正面入口に案内のひとが立っていて、二階を案内される。そこにはすでに何人かの出航を待つ参加者が集まっていた。平日ということもあって、年齢はやや高めの六十歳台のようだ。壁面にはこのヨットハウスの輝かしい歴史が記されている。1964年8月の竣工、つまりここは東京OLYMPIC大会のヨット競技の会場として建てられたものだ。その軌跡を記した年表を引用してみる。
昭和34年5月 第55次IOC総会 第18回オリンピックヤード大会“東京”決定
35年6月 ヨット競技 江の島・葉山決定
39年5月 ブランデージ会長 江の島視察
8月 ヨットハウス竣工
10月10日 開会式(東京国立競技場)
10月11日 聖火分火(江の島)
10月12日 オリンピックヨット競技開始
10月19日 皇太子・妃 ヨット競技観覧
10月21日 オリンピックヨット競技7回目レース、表彰式
10月24日 閉会式(東京国立競技場)
続いて、優勝者の名前が国名とともにクレジットされている。競技は江の島沖の相模湾三海域で五種目行われた。国名だけ記す。
ヨット競技5種目 WINNER オーストラリア/デンマーク/バハマ/ニュージーランド/ウエスト・ジャーマニー
日本人選手11名の成績はどうかというと、参加40国中種目により最高13位から21位、とある。宿舎は大磯選手村でおそらく、大磯プリンスホテルがそうだったと想像する。そうだとしたら西武プリンス、つまり堤康次郎・義明親子と連なる日本オリンピック委員会とのつながりはここからもすでに伺える。このアジア初のオリンピックから56年後の2020年に、東京での二回目のオリンピック開催が決定したのは昨年のこと、時の流れを感じて不思議な気分になる。それは、ほぼささやかな自分の人生の軌跡に重なるのだ。
さて、そのヨットハウスから歩いてすぐの湘南港を午前9時半に出航、ボーイング社製のエンジンを搭載した高速ジェット船の時速は安定走行時時速80㎞になるのだそう。薄曇りの空の下の海上を約一時間、大島に近づくと落葉樹と常緑樹がまじったこんもりとした自然林におおわれた岸壁がみえてくる。11時前に大島岡田港に到着する。途中期待していた相模湾越しの富士山は、残念ながら望むことができなかった。
ここからバスで椿祭りの大島公園に向かう。途中右手に昨年秋の台風26号の大雨で崩れた茶色の山肌と寸断された道路とへし曲がったガードレールの白い帯が見えてきて、はっとさせられた。もっとも被害が大きかった場所は元町地区の上方ということだが、今回のルートからは外れていたので、唯一惨事をかいまみせられた瞬間だった。
大島公園につくと、10年前の前回の訪問に記憶がよみがえってきた。椿資料館、キョンやラクダ、クジャクのいた動物園も当時と変わらない感じでなつかしい。椿は学名を“カメリア・ジャポニカ”と呼ばれるのことからすると、日本の在来種ということか?そういえばお茶の木も“カメリア”と同類だ。
屋外広場で、さっそく島内でしか発売していない「大島椿シャンプー」と島唯一の蔵元谷口酒造の焼酎「御神火」三本を購入。今回は、復興支援事業ツアーの名目で3000円の商品券がついているのだ。東北だけじゃなくて、大島だって復興にむけて頑張っていることへのささやかな支援の意味も込めて単独参加した次第。ここのあとは、早くも三原山噴火跡の裏砂漠を望む、大島温泉ホテルでの目鯛べっこう漬けの刺身と明日葉づくしの昼食。お目当は雄大な眺めの露天風呂なので、昼食はそこそこに地階の浴室へ向かう。本来は入浴外時間なのだが、勝手知ったる?で誰もいない大浴場で身体を延ばして、続きの屋外露天へ。浴場の縁の遥前方にくっきりと雪化粧した三原山の雄姿が飛び込んでくる、ここだけのオンリーワンの眺めも三回目だけれど、やっぱり!素晴らしい。めったにない雪化粧の三原山と裏砂漠に続けて出会あえるなんて本当にラッキー!
ここからさらに標高をのぼり、約600㍍の三原山頂口の展望へ。ここからは先のホテルから西に45度回った角度で、三原山の姿と表砂漠が望める。その情景がコレ!
反対側には、大島空港と元町地区の街並みが一望される。その先は相模湾が広がり、天気がよけれ富士山が望めるそうだ。午後一時半に展望台を出発、岡田港に戻る途中の道沿いから放牧場があり、そこには沖縄から連れてこられた小型の躯体の「与那国馬」が数等、枯草を食んでいた。与那国といったらすぐ先はもう、台湾である。へえー、そんな遠くからわざわざと感心しながらも、彼らには今日の天候はさどかし寒いだろうし、大島の住み心地?はどのようなものだろうか?と、ふと聞いてみたくなった。
バスは、ふたたび岡田港へ。ここで出航町の間に最後の買い物で、かわいい舟形パッケージの“島島弁当”を購入。お昼にも食べた目鯛のべっこう漬を乗せた梅ゴマ酢飯を明日葉にくるんだ寿司で一個七百円也。これで充分買い物は愉しむことができて大満足。
午後3時すぎに高速ジェット船で出航、湘南港には4時半の戻りとなった。あっという間の大島日帰りツアー、江の島弁天大橋の近くまで来るとちょうど干潮時間帯にあたって、海は対岸と陸続きとなっているところに遭遇!千載一遇のチャンスとばかり、海岸におりて砂洲を渡ることに。このありそうでまたとなさそうな貴重な経験は、何度も江の島に来る中で初めてのことだけれど、島から島への旅を締めくくるにふさわしいだろうと思った。うん、記憶に残る、なかなかいい島々めぐりだった。
集合場所のヨットハウスについたのは午前9時になろうとする少し前だった。できた当時は、さぞかし輝いていたであろうモダニズム建築も、50年をへて年輪を重ねてすっかり古ぼけている。正面入口に案内のひとが立っていて、二階を案内される。そこにはすでに何人かの出航を待つ参加者が集まっていた。平日ということもあって、年齢はやや高めの六十歳台のようだ。壁面にはこのヨットハウスの輝かしい歴史が記されている。1964年8月の竣工、つまりここは東京OLYMPIC大会のヨット競技の会場として建てられたものだ。その軌跡を記した年表を引用してみる。
昭和34年5月 第55次IOC総会 第18回オリンピックヤード大会“東京”決定
35年6月 ヨット競技 江の島・葉山決定
39年5月 ブランデージ会長 江の島視察
8月 ヨットハウス竣工
10月10日 開会式(東京国立競技場)
10月11日 聖火分火(江の島)
10月12日 オリンピックヨット競技開始
10月19日 皇太子・妃 ヨット競技観覧
10月21日 オリンピックヨット競技7回目レース、表彰式
10月24日 閉会式(東京国立競技場)
続いて、優勝者の名前が国名とともにクレジットされている。競技は江の島沖の相模湾三海域で五種目行われた。国名だけ記す。
ヨット競技5種目 WINNER オーストラリア/デンマーク/バハマ/ニュージーランド/ウエスト・ジャーマニー
日本人選手11名の成績はどうかというと、参加40国中種目により最高13位から21位、とある。宿舎は大磯選手村でおそらく、大磯プリンスホテルがそうだったと想像する。そうだとしたら西武プリンス、つまり堤康次郎・義明親子と連なる日本オリンピック委員会とのつながりはここからもすでに伺える。このアジア初のオリンピックから56年後の2020年に、東京での二回目のオリンピック開催が決定したのは昨年のこと、時の流れを感じて不思議な気分になる。それは、ほぼささやかな自分の人生の軌跡に重なるのだ。
さて、そのヨットハウスから歩いてすぐの湘南港を午前9時半に出航、ボーイング社製のエンジンを搭載した高速ジェット船の時速は安定走行時時速80㎞になるのだそう。薄曇りの空の下の海上を約一時間、大島に近づくと落葉樹と常緑樹がまじったこんもりとした自然林におおわれた岸壁がみえてくる。11時前に大島岡田港に到着する。途中期待していた相模湾越しの富士山は、残念ながら望むことができなかった。
ここからバスで椿祭りの大島公園に向かう。途中右手に昨年秋の台風26号の大雨で崩れた茶色の山肌と寸断された道路とへし曲がったガードレールの白い帯が見えてきて、はっとさせられた。もっとも被害が大きかった場所は元町地区の上方ということだが、今回のルートからは外れていたので、唯一惨事をかいまみせられた瞬間だった。
大島公園につくと、10年前の前回の訪問に記憶がよみがえってきた。椿資料館、キョンやラクダ、クジャクのいた動物園も当時と変わらない感じでなつかしい。椿は学名を“カメリア・ジャポニカ”と呼ばれるのことからすると、日本の在来種ということか?そういえばお茶の木も“カメリア”と同類だ。
屋外広場で、さっそく島内でしか発売していない「大島椿シャンプー」と島唯一の蔵元谷口酒造の焼酎「御神火」三本を購入。今回は、復興支援事業ツアーの名目で3000円の商品券がついているのだ。東北だけじゃなくて、大島だって復興にむけて頑張っていることへのささやかな支援の意味も込めて単独参加した次第。ここのあとは、早くも三原山噴火跡の裏砂漠を望む、大島温泉ホテルでの目鯛べっこう漬けの刺身と明日葉づくしの昼食。お目当は雄大な眺めの露天風呂なので、昼食はそこそこに地階の浴室へ向かう。本来は入浴外時間なのだが、勝手知ったる?で誰もいない大浴場で身体を延ばして、続きの屋外露天へ。浴場の縁の遥前方にくっきりと雪化粧した三原山の雄姿が飛び込んでくる、ここだけのオンリーワンの眺めも三回目だけれど、やっぱり!素晴らしい。めったにない雪化粧の三原山と裏砂漠に続けて出会あえるなんて本当にラッキー!
ここからさらに標高をのぼり、約600㍍の三原山頂口の展望へ。ここからは先のホテルから西に45度回った角度で、三原山の姿と表砂漠が望める。その情景がコレ!
反対側には、大島空港と元町地区の街並みが一望される。その先は相模湾が広がり、天気がよけれ富士山が望めるそうだ。午後一時半に展望台を出発、岡田港に戻る途中の道沿いから放牧場があり、そこには沖縄から連れてこられた小型の躯体の「与那国馬」が数等、枯草を食んでいた。与那国といったらすぐ先はもう、台湾である。へえー、そんな遠くからわざわざと感心しながらも、彼らには今日の天候はさどかし寒いだろうし、大島の住み心地?はどのようなものだろうか?と、ふと聞いてみたくなった。
バスは、ふたたび岡田港へ。ここで出航町の間に最後の買い物で、かわいい舟形パッケージの“島島弁当”を購入。お昼にも食べた目鯛のべっこう漬を乗せた梅ゴマ酢飯を明日葉にくるんだ寿司で一個七百円也。これで充分買い物は愉しむことができて大満足。
午後3時すぎに高速ジェット船で出航、湘南港には4時半の戻りとなった。あっという間の大島日帰りツアー、江の島弁天大橋の近くまで来るとちょうど干潮時間帯にあたって、海は対岸と陸続きとなっているところに遭遇!千載一遇のチャンスとばかり、海岸におりて砂洲を渡ることに。このありそうでまたとなさそうな貴重な経験は、何度も江の島に来る中で初めてのことだけれど、島から島への旅を締めくくるにふさわしいだろうと思った。うん、記憶に残る、なかなかいい島々めぐりだった。