この文章を書き始めた時に、ポール・サイモン「時の流れに STILL CRAZY AFTERE ALL THESE YEARS」(1975年)を聴きたくなって流していました。冒頭タイトル曲「時の流れに」に始まって、5年ぶりのS&G名義がクレジットされた「マイ・リトルタウン」から、ラスト曲は暗示的な歌詞内容の「SILENT EYES」まで、当時の先端フュージョンサウンドに包んだ、ポールの繊細な内面を静かにかつシニカルにつぶやいた私小説とでもいうようなアルバムで、その年のグラミー賞を受賞しています。大学時代、S&GセントラルパークLIVE(1981)の話題があって購入し、はじめて聴いたアルバムです。
さて、ここのところ何かと理由をつけてよく都内に出かけている。先日は「非戦を選ぶ演劇人の会」主催のピースリーディング VOL.17“あなたは戦争が始まるのを待っているのですか?”(スペース・ゼロ)を聴くために新宿まで出かける。2001年9.11 NY世界貿易センタービルへのテロ事件から始まり、イラン・イラク戦争への自衛隊PKO活動参加、そして特定秘密保護法、集団自衛権行使の閣議決定までのこの国の右極化の流れを見つめなおしながら、自己に立ち返って考え直す機会にしたい。
でも、まあ固いことばかりでなく、すこし時間の余裕をみて、午前10時すぎに新宿駅南口からJRにかかる甲州街道を歩き出す。まずは、徒歩5分、今春竣工したばかりの「瑠璃光院白蓮花堂」(代々木二丁目)へ。浄土真宗光明寺の経営する室内納骨墓所を内包する仏教寺院だ。巨大なサイコロかモノリスのようなコンクリ―ト打ち放しの現代建築で、その唐突なフォルムにはド肝を抜かれる。くわしくは、そのうちに内部見学を果たした後に改めて記したい。
新宿駅に戻って陸橋をくだり、久しぶりに新宿三丁目の「安与ビル」(1968年、設計:明石信道)へ。外見が金属の縦格子に囲まれたガラス張りの八角形を22.5度ずつずらして重ねた九階建てのビルで塔楼を思わせる特異な形状。六階以上が京懐石柿傳の店舗だそうで、入口の篆刻の題字は初代の安田与一の知り合いだったという川端康成、最上階が谷口吉郎設計の茶室なんだそう。漂う雰囲気が新宿街頭の雑踏から遠く隔たっているのはそのせいか?ギャラリーは、このビルの地階にあり、出雲在住の作家の茶器作品展の初日だった、声をかけていただいてしばし歓談。
昼食は、ビル向かいのビルオーナー直営の郷土料理店「くらわんか」へ。ここも上京したころからすでにある新宿の老舗、知ってはいたけれど30年数年ぶりで願いがかなった。びっくりするくらい良心的な値段で提供される食材も美味しく、よき時代の旦那文化を漂わせる貴重な店だ。「くらわんか」とは、上方の方言で「召し上がりませんか」の意。カウンターに案内されて座ったお隣がやんごとなき上品なご婦人。どうも常連らしくおひとり静かに召し上がっていらっしゃる。やがてデザートのアイスクリームが運ばれてきて、食べきれないと思われたのか、私がモノ欲しそうにしていた表情だったのかわからないが、「よろしかったらおひとつ、いかがですか?」とおすそ分けいただいた。その縁でなんとはなしに話を伺うことになった。どうも、柿傳茶会のご常連らしく、表千家宗家のことなどもごく自然に語られる。半分しかわからず相槌を打っていると、「余分なお話を差し上げました」と挨拶されて去って行ってしまった。世の中、このような方もいらっしゃるのだと、ボー然。
午後2時からの舞台にはまだ余裕があるので大通りを新宿高校の先に進むと、新宿門の先に突如、緑の大木の森が見えてくる。もとは信州旧高遠藩主内藤家の屋敷跡だった国民公園新宿御苑は、入園料200円で都会なかの広大な緑が楽しめる、セントラルパークか、それ以上かもしれない。鈴懸、欅、ユリノキ、ニレ、、ヒマラヤスギに様々な桜の木々。園内には、日本庭園とイギリス・フランス庭園が並列して存在していて、高層ビルが林立する新宿副都心に、この緑と芝生広場、肌を焼きに来た青年、木陰のアベックが点在し、とちょっと日本離れしている感じ、ここはニューヨークかと錯覚してもおかしくないだろう。メトロポリスTOKYOの万華鏡のような鮮やかさを思い知る。
(初校7.17 校正7.18)
さて、ここのところ何かと理由をつけてよく都内に出かけている。先日は「非戦を選ぶ演劇人の会」主催のピースリーディング VOL.17“あなたは戦争が始まるのを待っているのですか?”(スペース・ゼロ)を聴くために新宿まで出かける。2001年9.11 NY世界貿易センタービルへのテロ事件から始まり、イラン・イラク戦争への自衛隊PKO活動参加、そして特定秘密保護法、集団自衛権行使の閣議決定までのこの国の右極化の流れを見つめなおしながら、自己に立ち返って考え直す機会にしたい。
でも、まあ固いことばかりでなく、すこし時間の余裕をみて、午前10時すぎに新宿駅南口からJRにかかる甲州街道を歩き出す。まずは、徒歩5分、今春竣工したばかりの「瑠璃光院白蓮花堂」(代々木二丁目)へ。浄土真宗光明寺の経営する室内納骨墓所を内包する仏教寺院だ。巨大なサイコロかモノリスのようなコンクリ―ト打ち放しの現代建築で、その唐突なフォルムにはド肝を抜かれる。くわしくは、そのうちに内部見学を果たした後に改めて記したい。
新宿駅に戻って陸橋をくだり、久しぶりに新宿三丁目の「安与ビル」(1968年、設計:明石信道)へ。外見が金属の縦格子に囲まれたガラス張りの八角形を22.5度ずつずらして重ねた九階建てのビルで塔楼を思わせる特異な形状。六階以上が京懐石柿傳の店舗だそうで、入口の篆刻の題字は初代の安田与一の知り合いだったという川端康成、最上階が谷口吉郎設計の茶室なんだそう。漂う雰囲気が新宿街頭の雑踏から遠く隔たっているのはそのせいか?ギャラリーは、このビルの地階にあり、出雲在住の作家の茶器作品展の初日だった、声をかけていただいてしばし歓談。
昼食は、ビル向かいのビルオーナー直営の郷土料理店「くらわんか」へ。ここも上京したころからすでにある新宿の老舗、知ってはいたけれど30年数年ぶりで願いがかなった。びっくりするくらい良心的な値段で提供される食材も美味しく、よき時代の旦那文化を漂わせる貴重な店だ。「くらわんか」とは、上方の方言で「召し上がりませんか」の意。カウンターに案内されて座ったお隣がやんごとなき上品なご婦人。どうも常連らしくおひとり静かに召し上がっていらっしゃる。やがてデザートのアイスクリームが運ばれてきて、食べきれないと思われたのか、私がモノ欲しそうにしていた表情だったのかわからないが、「よろしかったらおひとつ、いかがですか?」とおすそ分けいただいた。その縁でなんとはなしに話を伺うことになった。どうも、柿傳茶会のご常連らしく、表千家宗家のことなどもごく自然に語られる。半分しかわからず相槌を打っていると、「余分なお話を差し上げました」と挨拶されて去って行ってしまった。世の中、このような方もいらっしゃるのだと、ボー然。
午後2時からの舞台にはまだ余裕があるので大通りを新宿高校の先に進むと、新宿門の先に突如、緑の大木の森が見えてくる。もとは信州旧高遠藩主内藤家の屋敷跡だった国民公園新宿御苑は、入園料200円で都会なかの広大な緑が楽しめる、セントラルパークか、それ以上かもしれない。鈴懸、欅、ユリノキ、ニレ、、ヒマラヤスギに様々な桜の木々。園内には、日本庭園とイギリス・フランス庭園が並列して存在していて、高層ビルが林立する新宿副都心に、この緑と芝生広場、肌を焼きに来た青年、木陰のアベックが点在し、とちょっと日本離れしている感じ、ここはニューヨークかと錯覚してもおかしくないだろう。メトロポリスTOKYOの万華鏡のような鮮やかさを思い知る。
(初校7.17 校正7.18)