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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

東海大学湘南キャンパス訪問記

2015年06月08日 | 日記
 水無月に入ってすぐの初夏のきざしが感じられるよく晴れ渡った日、東海大学湘南校舎を訪問した。絶好の外出日和、高校の創立記念日でオフの娘と連れ立ってのキャンパス見学というわけ。
朝早めに家を出て、小田急小田原線で約三十分ほど乗車して東海大学前で下車すると、ホームから改札周辺にかけて登校する若者たちでごった返していた。そのまま長い列がゆるやかな登り坂の先の小高い丘の上の大学までアリの行列よろしくつながっていくなんとも壮観な眺め。さずがに在校学生数で2万人を超えるマンモス大学だけあるな、とのっけからびっくり。まあ、この流れに乗っていけば大学門には到着するだろうけれど日差しは思いのほか強く、ちょっと息が切れかけてくる。正面に赤い電波塔?をいただいたY字型四階建て本館が迫ってくるとそこがキャンパスの入り口である。なにしろ、広大な敷地は秦野市と平塚市にまたがり、東京デズニーランドと同じくらいの面積だそうで、大きく育ったケヤキやクヌギなどの木々に囲まれているっていった感じである。建物レイアウトと幅広な通りは、とにかく壮大だがどこか大味なのは何故だろうか? 当初の大学構想が壮大すぎたのか、すべてがヒューマンサイズを越えてしまって全体主義的な罠に陥っているのがその要因と思われる。初期のキャンパス計画は、建築史上微妙な位置にいる建築家が行っている。日本武道館や京都タワーの設計者として知られる山田守である。

 入口で守衛さんに見学にきたことを告げると、親切に受付窓口の所在を教えてくれた。大きく白鳥の翼を広げたような本館の前を通って、8号館教務課を訪れる。学科案内のパンフレット類とキャンパスマップを手にして富士見通りと名付けられた高台を横断し、まずは図書館を見学。ガラス張り正面にコンクリート製の列柱が並んでなんとも壮大、かつての社会主義国の人民会堂のような感じだ。一階は大学事務スペースで階段で上った二階が図書館入口、やや開放感にかけてちょっと入りにくい感じがする。もしかした開館当初は一階を含めた全体が図書館として機能していたのが、大学規模の拡大にともなってほかの位置にも分館ができたことでコンバージョンされたのかもしれない。そえにしても利用導線や旧態としたレイアウトに工夫が欲しい。入口から書架をぬけると窓際には雑誌閲覧コーナーや広い自由閲覧スペースが拡がるが、早朝のせいか利用者は少ないのがもったいない気がした。

 図書館を出てその下に広がるグランドと野球場の桜の木立の間をぬけると、陸上競技場に沿って長く続くメタセコイア並木にぶつかる。このあたりの体育施設の充実ぶりはこの大学らしい。キャンパスのメインストリートである中央通は、ゆうに四車線幅くらいはあって、両側の歩道には二列の大きく枝を広げたケヤキ並木が正門から本館下の噴水広場まで五百メートルほどまっすぐ伸びている。そのしたの緑陰の途中に、真新しいログハウスがあり、オープンデッキもある開放的な造りだ。テナントとしてドトールコーヒーが入っていてここでひと休み。メニューは通常と変わらないようで少しがっかりするけれど、気持ちの良い空間にほっとする。

 ケヤキ並木を噴水広場に向かって歩くと高台上の横長の四階建て一号館屋上の赤い電波塔が迫ってくる。その真下には、創立者松前重義氏の巨大な銅像とその前には噴水のある池と芝生の庭園が広がる。どうやらここがキャンパスのヘソのようだ。ふと足元を眺めると池のほとりには、見逃しそうなくらい遠慮気味に乙女の人魚像がたたずんでいる。コペンハーゲンの観光写真でよく見かける姿に似てはいるが、友好で贈られたレプリカとも違うようだ。やや場違いの感じもするこの人魚像がここにあるのは、大学創立者のルーツと関係があるからだ。創立者の松前重義氏は、熊本出身で上京して内村鑑三に学んだキリスト者であって、通信技術者、教育家の側面をあわせ持つスケールの大きな人物だ。昭和初期にヨーロッパとアメリカ東部を訪問していて、その機会にデンマークへも足を延ばして教育制度の視察を行い、大学創立理念の参考としている。その象徴がアンデルセン文学にもでてくる清楚な姿の人魚像で、現にこの大学に日本唯一の北欧文学科が設置されているのは、そのルーツがあるからだろう。


 最後に本館の屋上にあがってみることにした。建物内部の中心には、スロープ状のらせん通路(階段ではない)が屋上の電波塔下まで続く。通路の壁には牛乳瓶の底のような円形のガラス板が埋め込まれていて、グルグル回転しながら昇っていくと不思議な感覚に陥っていく。まさしく建築家山田守(1894-1966)の世界そのもので、あの都内港区南青山自邸のモチーフを彷彿とさせる意匠の連続だ。創立者松前重義と山田守は逓信省の同僚として出逢い、この大学創立期にはともに理想に燃えて運営にあたっていたのだろう。キャンパス内にはその壮大なロマンの残り香がいまもたしかに感じられて、自然と調和した技術を通して人間の生活に役立つことを目指した文明観は時代を先取りしていた。この大学には、文学部に文明学科や教養学科、芸術学科そして海洋学部などのユニークな学科などは、ふたりの自然や環境と技術の調和を意識した文明観があったことが影響しているのかもしれない。
 屋上に上ったさいの圧巻は、巨大な電波塔屋のY字曲線と赤いタワーに周囲の丹沢や湘南方面の雄大な風景!晴れた日には、雄大な富士山の姿も望めるそうだ。

 
 この塔屋の描く曲線と螺旋状のスロープの伸びを見上げる、山田守の好んだ意匠と色そのもの。
 
(2015.6.5 書出し、6.8 初校)