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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

偶然に満ちている世の中のなにか

2016年06月16日 | 文学思想
 赤瀬川原平さんの“最新作”、偶然と夢日記「世の中は偶然に満ちている」を読んだ。

 亡くなられて一周忌にあたる、2015年10月26日初版第一刷発行の奥付があって、編集が松田哲夫氏、装幀は南伸坊氏、尚子夫人と親しい交友、仕事仲間が追悼を込めたであろう遺作集。赤瀬川さんが四十歳の1977年に始まり、2010年1月まで続く日記が大部分だが、偶然小説と称する短編二編もあり、雑誌に掲載されたエッセイが終章となっている。
 
 偶然日記の部分には、日常生活を中心とした交友関係などプライベートなことが書かれているが、あくまでも読者が期待するであろう出来事について公開性を前提としたものが選ばれているのであろう。赤瀬川さんの家族関係や夫婦関係の機微といったあまりに生々しい直接的なものは、その奥先か余韻のようなものとして想像の範囲になるのは致し方ない。それでも、この偶然日記、赤瀬川さんの脳裏に移った記憶の世界として、とてもこころに染み入るものがある。
 とくに、ご自宅のある東京郊外、まほろ市周辺の記述は、実在の場所を知っている当方にとっては他人事ではなく、同じ体験を共有したかのような気にさせてくれる。日記の後半には、しばしば私鉄駅の名称が出てくるが、その駅は当方もよく利用する身近な駅で、それならば偶然にその中の駅ビルデパートの中にあるスカイレストランで食事中の赤瀬川さんに出会ってみてもよかったのに、と思ったりもする。

 この駅から赤瀬川私邸まではタクシーでほんの10分くらいのはずだ。そうするとそのルート自体、わたしも何度か車で通ったことがあり、沿道の様子がありありと目に浮かぶ。そうか、赤瀬川さんそうだったのかと。赤瀬川さんはその近辺、当初の建売住宅“白い家”から、尾根道沿いに歩いて十五分くらいの“ニラハウス”(1997年竣工、フジモリ氏設計のアトリエと茶室付住宅)へ引っ越しており、その尾根道もまたよく知っている。大山丹沢が望めた西側にIBMグランドがあった。その尾根道周辺で、愛犬のニナや愛猫のミヨは拾われたそうである。
 表通り坂道の反対側の丘陵には、かつて著名な研究者を輩出した三菱化学生命科学研究所があった。小田急線からもその丘の上に見え隠れする白い建物が望めて、“生命科学”というコトバに時代の先端を感じて、中で何が研究されているのだろうと興味津々だったのを覚えている。隣接して、かしの木山自然公園があり、こちらには古代鎌倉道が抜けているのだった。なかなか、おもしろいロケーションの範囲が赤瀬川さんの生活圏、日常散歩の場所だった。実在の中学校名、利用しておられたでろうスーパーマーケットの名称も登場してくると、これはもう一気にご近所人としての親近感が増してくる。

 偶然小説二編のうち、『舞踏神』は土方巽の死を描いて、なかばノンフィックションに近く、白い家時代のものだろう。ここにも尾根道やこどもの国の小動物園のことがでてくる。また『珍獣を見た人』は、ニラハウスでのできごとで、尚子夫人がでてくるし、ベランダに出現した野生タヌキの写真も添えられていて、ちょうど我が家の中庭にもタヌキとおぼしき動物が出没したばかりだったので、こちらはその偶然を楽しんだ。
 
 ひとつだけ、個人的な“発見”を付け加えると、赤瀬川白い家のある殖産住宅が開発分譲した建売住宅街は、1980年代前半に一世を風靡?したトレンディーテレビドラマ「金曜日の妻たちへ」シリーズのロケ地となった場所でもあった。ドラマ設定では、大和市中央林間の新興住宅地とされていたそうだが、実際のロケ撮影自体は赤瀬川さんの白い家のちょうどむかいあたりで行われたはずだ。
 この偶然には、赤瀬川さんもびっくり、だったのではないだろうか、あるいはまったく関心がなかったのか、ハタ迷惑だったのか、いや柄にもなく?やっぱり男女の機微を描いたドラマには関心があってたまには視聴していたのか、ご本人に伺ってみたかった気がする。