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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

大磯へ、県道63号線線を南下する

2016年12月29日 | 音楽
 大磯と相模原の間にどんなつながりがあるのだろう。その両者のイメージにはまるで結びつく要素などなさそうに思えていたのだけれど、地図を眺めていてひとつある符丁のようなものに気がついた。それは県道63号線、通称相模原大磯線と呼ばれる地方道路の存在である。
 県道63号線を相相模湾に面した大磯町国府本郷まで南下していくと、終点の国道1号線にぶつかるあたりには、ちょうど大磯プリンスホテルが立地している。そのすこし北には「月京(がっきょう)」という不思議な響きの地名も残っていて、古代に相模国府がおかれていた地域であると推定されている地域でもあり、どのような歴史的意味が込められているのだろうと不思議に思っていた。
 
 この県道63号線は、大磯から北に向かうとすぐに東海道新幹線高架をくぐり、平塚から伊勢原市内で小田急線、東名高速道路と交わり、厚木から愛川と抜けたあと、高田橋で相模川を渡る。そこからは相模原市田名となり、橋本の少し北手前で国道16号線にぶつかる、ざっと三十キロメートルあまりのルートになろうか。相模川より西側よりを南下して、相模湾にいたるこのつながりをどのようなキーワードで捉えることができるのか、これまで全く思いつかなかった地名が「湘南」である。それにしても、海に面した大磯はともかく内陸の相模原が湘南で括れるのかと思っていたら、明治時代中期の旧津久井郡にその名もずばり「湘南村」が存在していたのだった。1906年(明治39)創立「湘南小学校」がいまも相模川右岸の山間の道沿いに忽然という感じであるのは、その様な歴史があるからだ。なにしろ、この小学校ときたら旧湘南中学、いまの湘南高校より15年も古いというから、ちょっとした驚きである。

 「湘南」のもともとの語源ルーツは、中国内陸の湖南省の洞庭湖に注ぐ河川、湘江周辺の景勝地を指している。禅宗とゆかりが深い地域で、日本でも水墨画的光景で知られる桂林あたりが代表的な名勝になる。とすれば、山中湖を洞庭湖、相模川を湘江に見立てれば、山梨から相模原あたりの渓谷沿いの地域こそ、日本の元祖「湘南」と呼ぶこともあながち見当外れではないだろうという気がしてきた。中国名所と似たような国内地形を本家に見立てることは、日本が大陸文化を取り入れる場合によく行われてきたことであるから。
 いま、湘南といったら相模湾に面した茅ヶ崎・藤沢あたりから逗子・葉山にかけての海岸地域のイメージが強いけれども、なんのことはない、もともとは内陸の渓谷沿いの景勝地を指していたわけで、相模川上流地域の旧津久井郡内の二村が、明治22年の合併の際に湘南村と名づけたことについては、それなりの妥当性?もしくは当時の村長に先見性があったと軍配をあげたくなる。当時の知識人、とくに自由民権運動を先導した人にとっては、「湘南」の二文字には中国文化、漢詩や室町時代に渡来して広まった禅の世界への憧れが反映しているからこそ、輝いてみえていたのだろう。

 いまの大磯はどうだろう。東海道線の相模湾に面した小さな駅舎だが、降り立つとどことなく落ち着いた品格を感じさせるのは、元祖湘南の地の高級別荘地としての歴史的ブランド力なのだろう。手前、平塚の花水川あたりから、前方にこんもりとしたお椀の伏せたような高麗山を望むと、そのふもとには旧東海道の松並木が残っていて、宿場町だったころの雰囲気が感じられる古き街道だ。高麗や唐ケ原といった地名にも中国大陸や朝鮮半島との交流の歴史を遺していて、どことなくミステリアスな気分になる。
 国道一号線を進んで大磯駅前、大磯港を過ぎたあたりの両側は、明治維新以降の殊勲者たちの別荘が立林していた時代の面影を残す風格ある地域が広がる。豪商の邸宅跡なら、駅前すぐの聖ステパノ学園・沢田喜美記念館となっている三菱財閥岩崎家と、県立城山公園となっている三旧井家邸宅など。
 くわえて、西行ゆかりの地でもあり俳諧道場として名高い鴫立庵や、意外にもといった感じの旧島崎藤村旧宅やその墓がある地福寺の存在がある。また、同志社学祖新島襄は旅の途中、旅館百足屋において47歳でなくなっており、ここ大磯の国道脇が終焉の地なのである。
 随分と前のことになるけれど、ここを散歩していると偶然、劇作家で評論家の故福田恒存旧宅のその標札を見かけた。そしてなんといっても、大磯はあの村上春樹の住まいがあることでそのステータスを高めるだろう。かつて村上は鵠沼に住んでいたというから、よっぽど湘南海岸あたりの別荘地がお好きなのか、あるいは出身地兵庫の芦屋あたりの風景に近いものがあるからなのだろうか。

 ここにもし、旧三井邸敷地内に存在した国宝茶室如庵が犬山市に移築されずに邸宅とあわせてそのまま残り、伊藤博文旧邸宅滄浪閣が旧吉田茂邸とともに保存公開され、湘南ゆかりの禅の臨済宗名刹があって、さらにF.L.ライトか遠藤新設計の別荘などが建っていたら、一層のこと建築巡礼の聖地として名をあげていたのにと夢想する。たとえば、芦屋の旧山邑邸ヨドコウ迎賓館(大磯羽白山のふもと高田公園あたりの地形とよく似ている)、西宮の旧甲子園ホテルのように。

 山側に上って小一時間、湘南平からの相模湾の広がりは、まさしくいまの澄み切った冬の空気のなか絶景、西方に真白き富士山の威容が、末広がりの裾野までまぶしく輝やかせて、神々しいくらいだろう。
 来春、プリンスホテルに温泉施設が新装開業する工事が進んでいる。その時期、村上春樹の新作小説が発表されたら持参し、ライトグリーンのデミオに乗って行ってみよう。行きのルートは県道63号線を南下して、帰りは海岸沿い国道一号線を東へ向かって。

(2016.12.23書出し、12.29初校)