昼過ぎの葉山しおさい公園をぬけて、そのとなりにある神奈川県立近代美術館を訪れる。ゆったりとした敷地のさきに一段下がったひろい駐車場があり、建物の外観には海と山からの陽光がきらめくように映えて、二階建ての白い箱型の典型的な現代モダニズム建築だ。
正面から明るく軽快で開放的な受付ロビーのさきに展示空間が続く。その日は、現代日本画家の「堀文子展」最終日にあたっていた。伝統的な花鳥風月を描いたものに加えて、絵本の挿絵として描かれたものが多数あり、自分の年齢相応なのだろうか、落ち着いた構図にきれいな色使いが目の保養になる。やはり圧倒的に女性層が中心のようで、数人の女性グループ、熟年夫婦と若いカップルといった雰囲気である。
展示室をぬけると、廊下沿いのおおきな硝子越しに花崗岩張りの中庭がのぞめる。その真ん中、円形の芝生地に置かれた二体並んだ後ろ姿の石像が目に入る。どこかで何度か目にしているようなフォルム、もしかしてと思い、庭にでて正面の位置へ移動して眺めると、やっぱりイサム・ノグチの彫刻作品だ。ふたつの石像は男女のカップルを象徴していて、男は女にほうに左手を伸ばし、横長の顔をした女のほうは、その胸部がふっくらとふたつふくらみ、左乳房の脇下あたりを男に抱きとめられている。やわらかな表情は微かに微笑むかのようだ。ふたりは中庭から山の方向、三ケ岡山の緑にむかってたつ。
その作品は、たしか≪コケシ≫といったような、と思いつつキャプションを確かめると、≪こけし≫(1951)とある。鎌倉八幡宮内にあった美術館の黒石板張りの中庭で、市松模様の大谷石のブロック壁を背景に何度も目にしていた姿だ、そこから台座ごと移設されてきのは、いつのことだろう?そう思っていたら、同行のMが、館内におかれていた小さな冊子を渡してくれた。「たいせつな風景」と題された、美術館発行のたより24号には「特集:彫刻のある風景」とある。いま、その冊子を手にしている。
それによるとこの彫刻が最初に鎌倉館に運ばれたのは、1952年に開催された「イサム・ノグチ展」であり、当時鎌倉の美術館中庭にはロダンの作品が置かれていたという。意外にもイサム・ノグチの≪こけし≫は、何度かの変遷をへたあと1991年になってから修復されて、新しい現在の台座(これは和泉正敏の作)とともにようやく中庭に設置されたのを初めて知った。それまでは、鎌倉館の開館以来ずっと周囲の環境とひそかに対話を続けながら、あの坂倉準三の設計した鎌倉館の中庭に馴染んできたとすっかり思い込んでいた。それくらい自然に鎌倉の風景として馴染んでいたのだろう。
そして、2016年3月の鎌倉館閉館にともない、この彫刻もふたたび移設されて、いまはここ葉山の中庭に静かにたたずんでいる。うまく自分の中で、すこし馴染まないところがあるのは、鎌倉の記憶がまだ残されているからだろう。しかしながら、はじめてのひとにとっては、この風景はもうなんの違和感もないようだ。ふたつの石像の愛らしい姿に、記念スナップを取り合っている若い無邪気な女学生たちがなんとも自然にのびやかで微笑ましい。ここ葉山の海と山の風光にすっかりなじんでいるかのようだ。
おなじイサム・ノグチ彫刻であっても、鎌倉と葉山での≪こけし≫印象は、その置かれた周囲の環境との関係により印象が異なって、それがまたとても不思議で興味深い。“たいせつな風景”とは、ひとの記憶の中で対話を繰り返すことで成長していく、自然な関係性のことだと思う。
(2018.04.04初校、04.05追記)
中庭で夕陽をあびる≪こけし≫1951。万成石像(鎌倉1991-2016、葉山2016-2018)
正面から明るく軽快で開放的な受付ロビーのさきに展示空間が続く。その日は、現代日本画家の「堀文子展」最終日にあたっていた。伝統的な花鳥風月を描いたものに加えて、絵本の挿絵として描かれたものが多数あり、自分の年齢相応なのだろうか、落ち着いた構図にきれいな色使いが目の保養になる。やはり圧倒的に女性層が中心のようで、数人の女性グループ、熟年夫婦と若いカップルといった雰囲気である。
展示室をぬけると、廊下沿いのおおきな硝子越しに花崗岩張りの中庭がのぞめる。その真ん中、円形の芝生地に置かれた二体並んだ後ろ姿の石像が目に入る。どこかで何度か目にしているようなフォルム、もしかしてと思い、庭にでて正面の位置へ移動して眺めると、やっぱりイサム・ノグチの彫刻作品だ。ふたつの石像は男女のカップルを象徴していて、男は女にほうに左手を伸ばし、横長の顔をした女のほうは、その胸部がふっくらとふたつふくらみ、左乳房の脇下あたりを男に抱きとめられている。やわらかな表情は微かに微笑むかのようだ。ふたりは中庭から山の方向、三ケ岡山の緑にむかってたつ。
その作品は、たしか≪コケシ≫といったような、と思いつつキャプションを確かめると、≪こけし≫(1951)とある。鎌倉八幡宮内にあった美術館の黒石板張りの中庭で、市松模様の大谷石のブロック壁を背景に何度も目にしていた姿だ、そこから台座ごと移設されてきのは、いつのことだろう?そう思っていたら、同行のMが、館内におかれていた小さな冊子を渡してくれた。「たいせつな風景」と題された、美術館発行のたより24号には「特集:彫刻のある風景」とある。いま、その冊子を手にしている。
それによるとこの彫刻が最初に鎌倉館に運ばれたのは、1952年に開催された「イサム・ノグチ展」であり、当時鎌倉の美術館中庭にはロダンの作品が置かれていたという。意外にもイサム・ノグチの≪こけし≫は、何度かの変遷をへたあと1991年になってから修復されて、新しい現在の台座(これは和泉正敏の作)とともにようやく中庭に設置されたのを初めて知った。それまでは、鎌倉館の開館以来ずっと周囲の環境とひそかに対話を続けながら、あの坂倉準三の設計した鎌倉館の中庭に馴染んできたとすっかり思い込んでいた。それくらい自然に鎌倉の風景として馴染んでいたのだろう。
そして、2016年3月の鎌倉館閉館にともない、この彫刻もふたたび移設されて、いまはここ葉山の中庭に静かにたたずんでいる。うまく自分の中で、すこし馴染まないところがあるのは、鎌倉の記憶がまだ残されているからだろう。しかしながら、はじめてのひとにとっては、この風景はもうなんの違和感もないようだ。ふたつの石像の愛らしい姿に、記念スナップを取り合っている若い無邪気な女学生たちがなんとも自然にのびやかで微笑ましい。ここ葉山の海と山の風光にすっかりなじんでいるかのようだ。
おなじイサム・ノグチ彫刻であっても、鎌倉と葉山での≪こけし≫印象は、その置かれた周囲の環境との関係により印象が異なって、それがまたとても不思議で興味深い。“たいせつな風景”とは、ひとの記憶の中で対話を繰り返すことで成長していく、自然な関係性のことだと思う。
(2018.04.04初校、04.05追記)
中庭で夕陽をあびる≪こけし≫1951。万成石像(鎌倉1991-2016、葉山2016-2018)