いまから一週間前の五月二日は、大型連休のはざまの八十八夜、新茶の季節到来だ。そして、四日みどりの日に続いて、五日は暦上の立夏となる。いつになく、いやますます時の流れは早さを増しつつあると感じる、今日この頃。
ちょっと振り返ってみれば、先月からここに至るまでじつにいろんなことがあって、目がまわるような日々だった。
先月末二泊三日の慌しいふるさと帰省、県境の遠い山並みには残雪がまだらに残って美しく、無人の田舎の家の庭に咲く一面のピンクの芝桜やツツジ、紅白まじり咲きの雪椿、白や黄色の水仙の花々は、ひと冬を越して、それでもあまり変わることなく健気に迎えてくれて心が和んだ。
さっそく、庭の植木の冬囲いを取り外しにかかる。廃校となって“月影の郷”という名の宿泊施設に転用された元小学校の校庭には、親子の鯉のぼりがひるがえっていた。近くの川が流れる音、ウグイスの初音、空を素早く飛び交うツバメの姿、夜はカエルの合唱と、過疎の進むふるさとの春がいつものようにそこかしこにあふれていた。翌日の午前中いっぱいでどうにか懸案を済ませ、午後はお世話になっている方々を訪ね、夕方には春の彼岸遅れの墓参りもはたすことができてほっとする。
三日目のお昼前、上越高田インターから入り、妙高から信州路へ、途中遅咲きの八重サクラ並木が見事だった小布施と横川で休憩に立ち寄った。横川では名物峠の釜めしをお土産にふたたび上信越道を走り抜けて、圏央道を経由して夕方に戻る。今年の夏は妻有アートトリエンナーレが開催されるので、それにあわせてまた帰省しようと思う。
五月にはいって公私もろもろようやくひと息つけた先週末は、ちかくに暮らす母を囲んで、ここ数年の恒例行事になった食事会を催す。このあとは、足を延ばしてちかくの里山に開かれたぼたん園へ。その日、夏日の陽気に恵まれてぽかぽかと暖かく、絶好のお散歩日和。園内はつやつやとした新緑がことさらまぶしくて、ボタンの咲いたあとの芍薬の大輪が見事だった。その風景を眺めながらのゆっくりとしたひととき、田舎育ちで花好きの母が米寿となる来年もまたこの時期、このように来れたらいいなあと願いながら、しばしの時間を過ごす。こうして四季、何気ないことの繰り返し巡ることのありがたさかな。
そして夜は、お知り合いの方の出演されるジャズライブへと足を運ぶ。その会場は小田急沿線駅からほど近い、ホール、図書館を含む複合文化施設内一階の通りに面した周囲カラス張りのシャレた「カフェ・マーケット」。夕暮れの中、灯りがともる店内は、かの武相荘の主、白洲次郎&正子夫妻もびっくりの成熟した雰囲気が漂っていて、普段着でリラックスして寛ぐお洒落な熟年でいっぱいである。
ステージのほうは、ピアノ・ベース・ドラムス・ギターにテナーサックスのアコースティック中心編成の熟練クインテット、スタンダードばかりのオーソドックスな演奏は、当日の会場にぴったりだった。
帰り道、駅近くに喫茶レストラン・ジロー“Giraud”のベーカリーがあったので、翌朝のパンを買い求めた。かつての“Giraud”は、お洒落なイタリアンレストランのイメージ、学生当時のあこがれが蘇ってきて、ひたすら懐かしいのだ。一時このブランドは姿を消していたようだが、数年前、立て続けに沿線近隣二ケ所にベーカリー専門店として復活してくれたときは嬉しかった。
それにしても、学生時代からの駅周辺の様子を知っているだけに、ここ十数年の多摩郊外まほろ周辺の変貌ぶりは正直驚きである。それだけ、確実に自分自身が歳を重ねているのだ。
翌日午前中、まほろ文学館ことばらんど「童謡誕生100年 童謡とわらべ唄展」へ。児童向け雑誌「赤い鳥」が大正七年に、都内目白の地で創刊されて百年を迎えたことにちなみ、当時の社会世相と小田原在住だった北原白秋とその高弟で小田原出身の薮田義雄に焦点をあてた展示会である。白秋が大正から昭和はじめにかけて住んだ小田原の伝肇寺境内に建てた、洋風三階建ての通称“木兎(みみづく)の家”の写真がなんとも興味深かった。あの城内小田原市立図書館から貸し出された資料である。
ここで白秋は「木兎がほうほうと枇杷の木の上で啼いてくれる」と書いていたそうで、ふっとこれって、文学者と画家と違いはあるけれども、村上春樹「騎士団長殺し」にでてくる入生田にあるとされた雨田具彦のアトリエのモデルのひとつになっているのではなかろうかという気がしたからである。そこには、屋根裏に「みみずく」が棲みついていることからも連想がつながる。そんな遊びができるのも、文学の世界の自由さ、おもしろさなのかな。
ちなみにいまでもその名ゆかりの幼稚園が存在していて、白秋作詞の「赤い鳥小鳥」が園歌なのだそうだ。こんなぜいたくな幼稚園なら、通ってみたいな。
というわけで、カレンダーの休日をとくに意識することもなく、ふりかえればひたすら雑多なゴールデンウイークは過ぎていった。
ちょっと振り返ってみれば、先月からここに至るまでじつにいろんなことがあって、目がまわるような日々だった。
先月末二泊三日の慌しいふるさと帰省、県境の遠い山並みには残雪がまだらに残って美しく、無人の田舎の家の庭に咲く一面のピンクの芝桜やツツジ、紅白まじり咲きの雪椿、白や黄色の水仙の花々は、ひと冬を越して、それでもあまり変わることなく健気に迎えてくれて心が和んだ。
さっそく、庭の植木の冬囲いを取り外しにかかる。廃校となって“月影の郷”という名の宿泊施設に転用された元小学校の校庭には、親子の鯉のぼりがひるがえっていた。近くの川が流れる音、ウグイスの初音、空を素早く飛び交うツバメの姿、夜はカエルの合唱と、過疎の進むふるさとの春がいつものようにそこかしこにあふれていた。翌日の午前中いっぱいでどうにか懸案を済ませ、午後はお世話になっている方々を訪ね、夕方には春の彼岸遅れの墓参りもはたすことができてほっとする。
三日目のお昼前、上越高田インターから入り、妙高から信州路へ、途中遅咲きの八重サクラ並木が見事だった小布施と横川で休憩に立ち寄った。横川では名物峠の釜めしをお土産にふたたび上信越道を走り抜けて、圏央道を経由して夕方に戻る。今年の夏は妻有アートトリエンナーレが開催されるので、それにあわせてまた帰省しようと思う。
五月にはいって公私もろもろようやくひと息つけた先週末は、ちかくに暮らす母を囲んで、ここ数年の恒例行事になった食事会を催す。このあとは、足を延ばしてちかくの里山に開かれたぼたん園へ。その日、夏日の陽気に恵まれてぽかぽかと暖かく、絶好のお散歩日和。園内はつやつやとした新緑がことさらまぶしくて、ボタンの咲いたあとの芍薬の大輪が見事だった。その風景を眺めながらのゆっくりとしたひととき、田舎育ちで花好きの母が米寿となる来年もまたこの時期、このように来れたらいいなあと願いながら、しばしの時間を過ごす。こうして四季、何気ないことの繰り返し巡ることのありがたさかな。
そして夜は、お知り合いの方の出演されるジャズライブへと足を運ぶ。その会場は小田急沿線駅からほど近い、ホール、図書館を含む複合文化施設内一階の通りに面した周囲カラス張りのシャレた「カフェ・マーケット」。夕暮れの中、灯りがともる店内は、かの武相荘の主、白洲次郎&正子夫妻もびっくりの成熟した雰囲気が漂っていて、普段着でリラックスして寛ぐお洒落な熟年でいっぱいである。
ステージのほうは、ピアノ・ベース・ドラムス・ギターにテナーサックスのアコースティック中心編成の熟練クインテット、スタンダードばかりのオーソドックスな演奏は、当日の会場にぴったりだった。
帰り道、駅近くに喫茶レストラン・ジロー“Giraud”のベーカリーがあったので、翌朝のパンを買い求めた。かつての“Giraud”は、お洒落なイタリアンレストランのイメージ、学生当時のあこがれが蘇ってきて、ひたすら懐かしいのだ。一時このブランドは姿を消していたようだが、数年前、立て続けに沿線近隣二ケ所にベーカリー専門店として復活してくれたときは嬉しかった。
それにしても、学生時代からの駅周辺の様子を知っているだけに、ここ十数年の多摩郊外まほろ周辺の変貌ぶりは正直驚きである。それだけ、確実に自分自身が歳を重ねているのだ。
翌日午前中、まほろ文学館ことばらんど「童謡誕生100年 童謡とわらべ唄展」へ。児童向け雑誌「赤い鳥」が大正七年に、都内目白の地で創刊されて百年を迎えたことにちなみ、当時の社会世相と小田原在住だった北原白秋とその高弟で小田原出身の薮田義雄に焦点をあてた展示会である。白秋が大正から昭和はじめにかけて住んだ小田原の伝肇寺境内に建てた、洋風三階建ての通称“木兎(みみづく)の家”の写真がなんとも興味深かった。あの城内小田原市立図書館から貸し出された資料である。
ここで白秋は「木兎がほうほうと枇杷の木の上で啼いてくれる」と書いていたそうで、ふっとこれって、文学者と画家と違いはあるけれども、村上春樹「騎士団長殺し」にでてくる入生田にあるとされた雨田具彦のアトリエのモデルのひとつになっているのではなかろうかという気がしたからである。そこには、屋根裏に「みみずく」が棲みついていることからも連想がつながる。そんな遊びができるのも、文学の世界の自由さ、おもしろさなのかな。
ちなみにいまでもその名ゆかりの幼稚園が存在していて、白秋作詞の「赤い鳥小鳥」が園歌なのだそうだ。こんなぜいたくな幼稚園なら、通ってみたいな。
というわけで、カレンダーの休日をとくに意識することもなく、ふりかえればひたすら雑多なゴールデンウイークは過ぎていった。