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まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

ラジオの時間 谷川俊太郎&DiVa

2019年06月09日 | 音楽
 月初めの一日土曜日午後2時開演、「谷川俊太郎&DiVa 詩のまほう、うたのまほう、ラジオのまほう」朗読&演奏会、ひさしぶりの海老名市文化会館へお出かけ。
 ラジオがテーマということで連想したのは、ビーチボーイズの50周年記念のアルバムタイトル「神の創りし給うラジオ」(2012/06/04リリース)。かつて若者の神器だった車でドライブ中、カーラジオから流れてくる音楽の調べに耳を傾ける恍惚感を追想している。このステージもオールドメディアとなったラジオの存在あれこれ、かと想像していた。ラジオが発明され放送が始まって約90年、その当時は最新のメディアで、それこそ“まほうの箱”だったのだろう。

 駅改札を出てデッキを歩くと、週末の昼ということもあってずいぶんとにぎやかだ。会場に向かうJR相模線方面は再開発真っ最中で、すっかり変わってしまった。大きな商業施設ができて、高層のマンションも建設中、そのうち「ロマンスカーミュージアム」というのもできるらしい。

 海老名市文化会館は、ひろびろとした前庭があって、昭和後半時代の面影を残す。小ホールはあとから増築された様で、天井が高く教会堂のような雰囲気だ。ほぼ満席という客席をさっと見渡してみると、やはり若い人よりも中高年以上が目立つ。どちらかというとやっぱり女性の方が多いだろうか。舞台中央にでんとおかれた木製アールヌーボー調の大型ラジオにスポットがあたっていて、その横に椅子がひとつ置かれていた。
 開演時刻になると、まずはベース奏者、つづいて谷川俊太郎さんがゆっくりと舞台中央へ、と同時にさりげなくDiVaのメンバー三人が揃う、まるでいつもの行いのように。進行役は谷川賢作さんで、俊太郎さんとのステージは何度も行ってきただろうに、その都度新鮮な感じがするのは、お互いへの敬意と観客への誠意と、それから息子の父に対する照れもあるみたいだ。その俊太郎さん87歳、ご挨拶かわりに自己紹介の詩から。
 自作詩の朗読、歌と演奏、ツッ込み役の賢作、すこしとぼけた返しの俊太郎、といった調子で会話のかけあいがすすむ。途中、中央のラジオからチューニング音が鳴りだすと、一青窈の谷川俊太郎氏を語る特別コメントが流される趣向。すこし客席がなじんできたかな、という雰囲気になってきたら、また朗読と演奏があって前半は終了。谷川さんはピアノのうしろを通って舞台そでに入るあたりで、客席に一礼して退場、大きな拍手。

 後半の冒頭は、この日のハイライトかもしれない谷川俊太郎とピーター・バラカンの公開初対談。二人とも黒地のTシャツ姿。バラカンさんから本日の二人のいでたちの共通点の話から、ラジオをおもなテーマに和やかにしなやかにときに脱線しながら会話が弾む。バラカンさんは、前半客席後方で舞台を見ていて、谷川さんが読んだ自作詩について、ボブ・ディランとちょっと初期のビートルズの歌詞を連想した、といっていた。なるほどね、直観としてバラカンさんならではの視点。
 最近よく聴いている曲として、ヴィンテージラジオコレクターでもある俊太郎さんは、ヘンデルの「オンブラ・マイフ」をあげていた。あの松本の喫茶室まるもに入ったときに流れていて、耳にした歌曲だ。すかさず、賢作さんが「キャスリーン・バトルの?」と尋ねると、俊太郎さん「誰の歌、演奏でもいいんだ」と返答、そのときに頭の中で、松本の喫茶室まるもでは、かすかなノイズ入りで男性の声とピアノ伴奏だったことが思い出された。
 ふたりの会話は盛り上がってゆくところ、二人目のコメントはやわらかな声の細野晴臣さん。そして朗読、演奏と続き、アンコールはやっくりとした歌いだしで「鉄腕アトム」だった。谷川さん二十代の作詞、当時の時代背景もあり懐かしくもあり、そして若々しく希望にみちていてエンディングに相応しい。

追記:舞台上の大型ラジオは、海老名温故館から借り出された、昭和初期に地元農家で実際に使用されていたもの、舞台上の椅子やテーブルは地元の横浜開港当時のクラシック家具のながれを汲む製作所のものだそうで、いわば地産地消の舞台小道具。


大山蓮華(オオヤマレンゲ) ホウの木や菩提樹によく似た小ぶりの白い花
(旧白洲邸武相荘にて 2019.6.9撮影)