日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

半夏生

2019年07月02日 | 日記
 きょうは半夏生、夏至から数えて十一日目にあたるとされるが、令和元年はちょうど十日目になる。田舎では、田植えを済ませた農家がひと息つく頃で、梅雨がまだ明けきらないこの日に降る雨を半夏雨(はんげあめ)と呼ぶと知った。むかしはこの雨で豊作を占ったそうだが、ことしは曇り空、さてどのような夏の時候になっていくことだろう。
 田植えといえば、通勤途中の電車が国道246号を跨いで横浜方面へ向かうときに、車窓から都心方面へと目をやると、恩田川沿いに田園風景が残っていてほっとする。そしてそこにひろがる水田に規則正しく植えつけられた稲の伸びきらない苗が、風にそよいでいるのを見ることができる。
 もう花ショウブやアジサイ、タチアオイの盛りは終わってしまって、夏の兆しはあちこちに感じられ、気がつけばノゼンカズラのオラッパ型オレンジ色の花がツル先いっぱいに咲きだしている。こうなるとキョウチクトウの鮮やかな色が見れるのももうすぐだし、池の土中からすくうと伸びた蓮のツボミも開花のときを待つ。その膨らみはうすっらピンク色をおびて、はちきれんばかりだろう。

 今週末、名古屋で私鉄へ乗り換えて、鈴鹿・津経由で橿原経由で奈良へと入る予定だ。おそらく旅のころには、梅雨はあけてくれるのではないだろうかと楽観しているが、さてどうだろうか。小暑にあたる七夕から、市内高畑町の天平石仏十三体が残る土塔跡そばですごし、翌々日上弦の月夜に帰ってくるという旅。この土塔、僧玄昉の頭を埋めて、その鎮魂のために築かれたという俗説もあり、なにやらいわくありげで謎めいている。もしかしたら夜半すぎにその古墳のどこからもなく、ちいさな鈴の音が聴こえてくるような気がする。

 以前におとずれたときは一面の原っぱだった平城京条理跡に、平成に入って再建された大極殿と朱雀門がある。そのあたりのたたずまいを眺めることは初めてなので、いまからちょっと天平奈良時代を空想して高揚している。
 ほかに見たい近現代建物は、吉田五十八の設計した大和文華館と奈良市写真美術館(黒川紀章)、能舞台のある国際春日野フォーラムの三つ。大和文華館は、正面からのアプローチと背後のあやめ池側に面したたたずまいと対照が際立って鮮やかということで、前から実物を見てみたかった。

 奈良の庭園は、東大寺横にある依水園がいい。東大寺と若草山が借景の池泉回遊式庭園からの眺めに、ああ、奈良を訪れているんだという気分がいやがおうにも高まってくる。園内にある古代中国の青銅器や陶器類をあつめた美術館は落ち着いてみて回れるし、食事どころ三琇も、麦めしに鰻ととろろの取り合わせがはじめてで、じつに美味しかった記憶がある。
 それから、奈良ホテルに隣接した旧大乗院庭園。ここにはかつて木造風情のJR保養所があって、三十年近く前に泊まったときは、朝に目覚めたら庭先に奈良公園からの鹿たちがやってきていて、びっくりした。いまはきれいに整備されて、ホテル付属庭園のようになっているらしい。保養所の縁側越しに、池と朽ちかけた通行禁止の赤い太鼓橋がかかっているのが見えたのを思い出す。

 初日の夜はしずかに部屋ですごし、二日目になったら、早朝奈良公園あたりの散歩からはじめて、お昼は庭園と古墳めぐりで過ごし、中川政七商店本店ギャラリー遊をのぞき、夕暮れには、元興寺極楽坊の旧なら町あたりを酔い覚ましにそぞろ歩く。かるく夜風に当たって目がさめたなら、すこし早目に高畑町まで戻るとしようか。
 
 まほろの都の夜はしずかに呼吸し、迷宮のように奥深く、慈悲深いだろうから。



 雨の日の森を変転させてたたずむステンレス球体“my sky hole 88-4”(芹ヶ谷公園)。
 この彫刻の作者井上武吉(1930-1997)は、奈良県宇陀郡室生村の出身。