日々礼讃日日是好日!

まほろ界隈逍遥生々流転日乗記

まほろ郊外里山田園風景

2020年04月19日 | 日記

 四月半ばの週末は、田舎への冬自宅明けの帰省予定が新型ウイルス拡大騒動による在宅勤務から、引き続き思わぬ四連休となってしまった。もし新潟へ帰省できていたとすれば、今ごろは空き家となっている実家の玄関や縁側の羽目板をはずして、家周りと庭先の伸び始めた雑草に呆然として立ち尽くしてしまっているだろう。
 もう、母が丹精をこめて手入れをしていたさまざま植物や土手の芝サクラはほとんどダメになってしまっているだろうし、屋根の軒先玄関や板羽目の痛みも進んでしまっているだろう。その昔、四十数年前に田舎を出てのうのうと暮らす“やわな”都市生活者には、厳しい現実が突きつけられている。

 昨日からの激しい雨と風がやんで、朝から晴れ上がり大きく青空が広がる。家にこもっていても気持ちが滅入るばかり、と言い訳はともかく、気分転換に外に出てみたくなって、となり街郊外の新しく開かれたばかりの自然公園へ出かける。
 車で三十分ほど、鎌倉街道を進んで市街地が途切れた里山風景の残るあたり、“四季彩の杜(しきさいのもり)”と今風にネーミングされた場所へと到着する。前からある地元の名勝地薬師池公園に隣接した、畑と山林が混在する丘陵地の原風景をなるべく残して整備されたところだ。街道に近い駐車スペースは、かつてゴルフ練習場のあった跡地である。

 駐車場を降りると、丘陵の上がり具合にあわせたように黒塗板壁のあたらしい平屋建物が五棟連なって点在する。ビジターセンター兼地産農産物販売所にレストランや休憩所といった用途だが、このウイルス騒ぎでオープンが延びている。丘の上に向かってジグザグに遊歩道が伸びていて、植栽されたばかりの幼木林をぬけると頂上の芝生広場にでることができ、一気に周囲への視界が広がる。この気持ちよさといったらなかなかのもので、この季節は爽快感きわまりなく大きく背伸びして寝転がって体全体に光線を浴び、青空と対面してみたい気分に駆られる。

 南東方向の丘には、中世の教会みたいな市立児童体験型施設であるひなた村のレンガ壁とカリヨンつき銅拭きとんがり屋根が望める。ここは日帰りの野外キャンプ場に小さな劇場もあって、なかなか素敵な建物である。
 視界の反対側は、両脇が新緑の自然林と一面の黄色に染まる菜の花畑だ。尾根の林の向こうは、もうすぐに住宅地が取り囲む。この新しい公園が拓かれたことで、尾根沿いに残された緑地と里山がつながって、まるで箱庭のように気軽に森林浴ができる回遊性遊歩道として楽しめるようになった。これにくわえて住宅地に残された最大の里山である七国山緑地とぼたん園に隣接する民権の森、ファーマーズセンターのある北園地をつなげてみれば、東京郊外でも有数となる自然と農作地と住宅地域共存型の田園地帯が成立するのではないだろうか。

 このあたりを巡れば、しばし日常から抜け出して手軽に数時間で田園風景を楽しめる。風が吹き抜けるなか、人の暮らしと自然の関係を確かめて実感することができる。いま人間社会で起きていることに、すこし距離をおいて歩きながら静かに考えを及ぼすことができるだろう。

 付記: 帰路に着こうとして公園のわきをぬけると反対側の高台に上っていく坂道に、ウイルス騒ぎが鎮まるようにと深い祈りの言葉が掲げてある。カソリック教会なのかと思って表札を探すと、なんとマリアさまの名を冠した修道院の名称が目に飛び込んできた。少し離れて眺めるとと丘の上には、白壁に赤い屋根の清楚な建物が並び、すぐ周りは住宅地に囲まれている。俗世界を離れた修道院のイメージから連想されるように、ほんの半世紀少し前まではこのあたりは、のどかな農村地帯だったはずなのだ。そしてすぐわきの小さな河川は、湧き水が流れ込み小魚が泳ぎ、春にはチョウが舞い、夏にはトンボたちが飛び回り、幾匹もの蛍たちがほのかに光瞬いていたに違いないだろう。


 薬師池公園西園(撮影:上2020.04.17、下04.19)

手前の踏み固められた道は昔からある稜線の山道。宅地がすぐそばに迫る。
森からはウグイスのさえずり。