翌日、しばらくのあいだ温もりと戯れながら目覚めると冬の青空の光がまぶしい。まだ気だるさが残る朝を入浴で気持ちを切り替えて、九時過ぎに一階の白ヤギ珈琲店で遅いモーニング食をとる。ゆっくりとした冬の朝、人々の日常は動いているなかで、きょうの予定を話し合う。
JR根岸線で大船から6駅、根岸まで行く。駅前からはタクシーで本牧通りを10分ほど、三渓園正門前へ到着する。ここは通俗的な呼び名をしてしまうと、ミナト横浜における小京都の世界だ。もとは明治期横浜の大経済人にして文化方面に造詣の深かった原富太郎(号三渓)の私邸跡と庭園であり、明治39年(1906)から一般公開されている。
いまの紅葉の季節、日本各地から集められた伝統的建築物とよく手入れされた回遊式庭園美の調和を愛でるにはもってこいの場所、いまならメセナ大賞もの、はるばる訪れるだけの価値がある。
正門をくぐってまず対面するのが大池越しの丘に建つ、京都木津川から大正時代に移された旧燈明寺、室町時代三重塔の立ち上がった姿。この庭園は、この塔の眺めを中心に配置が考えられているといっていい。まずは大池の脇路を移動しながら、その姿の眺めの変化を愉しむことだ。
すぐ右手に原三渓本宅だった鶴翔閣の茅葺大屋根が迫ってくる。平成元年に竣工した三渓記念館の横をぬけて、内苑にはいると池の対岸に端正な姿を映すのは、紀州徳川家書院造り別荘を移築した臨春閣。もとあった和歌山紀ノ川のイメージを彷彿とさせる。これも風景の見立てのようなものか。
池に流れる渓流の先は二手に分かれ、月華殿(元は京都伏見)と天授院(元は北鎌倉の地蔵堂)の先と聴秋閣(元は京都二城内)側となり、ここはイロハモミジの紅葉が歴史建造物と相まって絵になるように計算されて植えられている、その遊歩道を一巡り。途中で立ち止まれば、塔楼屋根と鮮やかな紅葉越しに決まった三重塔が望めた。この季節の三渓園におけるハイライトシーン、なかなかスマホ画像では構図をはじめ、逆光になったりで、うまく取れない。
せっかくだから、その三重塔の近くまで行こう。小高い丘に向かって坂を上って、根岸湾を望める松風閣へと進む。行ってみてはっとした、ここからは石油精製コンビナート越しの冠雪富士と丹沢の山並みが望める。かつて眼下の先は埋め立てられる前の磯子湾だったはず。変わらぬ悠久な自然と現代の人工物の対比が面白く、見入ってしまうことに。石油タンクと煙突の間の富士山、東海道新幹線で富士川あたりを通過するシーンの遠景版のようだ。あの葛飾北斎もびっくりの現代ならではの情景だろう。
下り路の脇には、大正時代末に起きた関東大震災で倒壊してしまった旧松風閣のレンガ壁遺構が残されている。ここのがれき跡こそ、かつてインドから来日した詩人タゴールがしばらくのあいだ滞在していた場所だと思えば、自然災害の迫力とその時の流れの無常さがいっそう感慨深い。
尾根路を進んで旧燈明寺三重塔の真下にたつ。ここからは園内大池を見下ろし、本牧マンション群が一望のもとだ。階段を下って小川を渡り、白川郷合掌造り住宅に立ち寄ってから、待春軒で一休み。旧燈明寺本堂の横をやり過ごして、最後に大江宏の遺作設計でもある近代モダン建築書院造りの三渓記念館を訪れる。入ってすぐのロビーから、内池のまわりの隠れた紅葉が愉しめる。原三渓の生涯を記した年表・資料とゆかりの美術品を眺めて、半日に渡った三渓園めぐりは締めくくり。
本牧通りからバスに乗り磯子まで行き、JR根岸線にて大船まで戻ったのが夕方四時だった。駅ビルで買いだして、夕食は部屋でのお寿司をつまみながらのワインの乾杯!夜更かしは禁物なのに、密林の迷宮に誘われて気がつけばいつ頃眠りについたのだろう?