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三浦しをんトークショー 「言葉の海を渡って」

2013年11月09日 | 日記
 3日法政大学多摩キャンパスでの続き。藤沢周氏をホスト役にしての三浦しをんトークショーのお二人の会話の続きを記す。

 「風が強く吹いている」(箱根駅伝を目指す大学生たちが主人公の青春小説)の取材対象のひとつが、実は法政大学チームだったそうで、その経緯がおもしろい。執筆前の構想として毎年優勝争いやシード校に絡むほど強くなく、大所帯チームでもなく、監督にカリスマ性が強過ぎず、管理的運営が徹底されていないようなチームを関東大学陸連事務局から推薦してもらったところ法政ではどうですかとなったそうで、これには会場からもニガ笑いが。そのほかにもいろいろとインタビューを重ねてわかったのは、一流あるいは一流になる可能性をもつ選手は、身体能力の高さと同時に、自己の目指す姿をイメージしてそれを“言語化する能力”が高いことなんだとか。言い換えれば、自己の目指す姿を明確にイメージできるのは、言語能力の高さによって可能となることといえるのではないだろうか。それゆえに言葉って大事だし、おもしろいし、人間にとってなくてはならないもの、ということにつながる。

 また、小説を書くこと、あるいは言葉による表現行為について。
 「生きている中で、自分の脳の中にあるイメージの内圧がある日、ことばとして生まれ出さずにはいられないときを待つ、すなわち書かずにはいられない瞬間をすかさず捉える、そして書き続けることによって(無意識から意識下に)ことばが引き出されていくようになっていく、他人への回路が開かれていく状態へ」(三浦)
 「快不快はほかの動物にもあるが人間のみが持つさまざまな感情は、じつは“ことば”なくしては生まれないもの」「コミュニケーションの手段としてのコトバと実存意識をあらわすものとしてのコトバ」(藤沢)。

 さらに途中、三浦しをんさんがおもしろいことを言っていた。言葉による物語化は大事で必要だけれども、その一方でコトバ化される前の無意識化=カオスの世界にあった状態での混沌としたものが、物語化することにより切り捨てられて単純化されてしまう恐れがあるのだ、と。

 それで、いま記憶の中から浮かび出た歌の一節がある。「言葉にならない言葉」(作詞:山上路夫)。

  あなたと二人こうしていると
  言葉をなくす私
  心の中にあふれるほどに
  思いは満ちてくるのに

  私はなにも言えないままに   
  あなたを見つめるだけ

  お願いだから分かって欲しい
  私の胸の想い
  汀に浮かぶ貝殻みたい
  なんにも言えぬ私

  あなたはだけど分かって欲しい
  私の胸の愛を
  あなたはだけど分かって欲しい
  言葉にならない愛を

 
 40年以上前に関西の大学から出たグループ、赤い鳥が歌ったオリジナルもいいが、それ以上に中村善郎のアルバム「いつか君に」(1998年、フランスロワール制作、ピエール・バルーも参加している)の中の日本語トラックがとてもいい。言葉にならない言葉についてのセンチメンタルな感情、情景がここには通俗的ながら、いや通俗的だからこそよく現れているのではないだろうか。

 まあ現実の中で、言葉にならないのはいつも愛、とは限らないけれどもね。



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