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堤清二の死去と『33年後のなんとなく、クリスタル』

2013年12月01日 | 日記
 堤清二氏の25日死去(享年86歳)が報じられたのは、11月28日朝日新聞夕刊においてだった。西武=セゾングループの絶頂期に都会での青春時代を過ごし、1985年から数年間、西武百貨店メディア事業部やS.S.コミュニケーションズに在籍していた人間として、月並みだが感慨深いものがある。同じ日の同紙朝刊オピニオン欄の論壇時評には、高橋源一郎氏の“暗い未来 「考えないこと」こそ罪”と題した一文が掲載されていて、その書き出しは意外にも当時一橋大学生だった田中康夫「なんとなく、クリスタル」(1981年)についての回想である。
 どうしていまごろ、33年前に出版された風俗小説「なんとなく、クリスタル」をひいたのか、その理由についても高橋氏は記述しているのだが、どうも遠回しの理由のひとつにすぎない感じがして、奥歯にものがはさまったような印象をもった。そう思って、インタ-ネット検索を入れてみると、季刊雑誌「文藝」11月号で当の田中康夫が「33年目の後のなんとなく、クリスタル」の連載?を始めたらしい。同じ号には高橋氏が選考委員を務めている「2013年文藝賞」の発表と選評も掲載されている。ということは、朝日新聞の時評には書かれていないけれども、高橋氏はその掲載が始まっていたことを知っており、なるほどそれを契機として33年前の442個の注釈つき小説の現代的意味をひっぱりだしてきたのか、と思われる。それならば冒頭の引用は合点がいくというものだ。

 この小説、というより「小説風文章つきの442注釈集」については、私自身が大学生だった当時、半分話題に乗せられながらも消費社会の真っただ中で賛否両論の渦のなか、ひとつの“慧眼”視点を感じながら購読して、一見軽薄な当時の若者風俗の追認といった大方の批判に対し、そこに潜む時代への鋭い批評性を肯定的に受け止めた覚えがある(といっても当時は言葉にして認識できないでいたが)。この著作、本文よりも442個の注釈のほうが面白く、興味深いものだった。その一見本末転倒とも思えるこの小説の構造こそが、この作品のミソと言えるだろう。

 そして、冒頭に記したとおり、同日夕刊に速報された「堤清二さん死去  セゾン創設 作家・辻井喬」の記事は、高橋源一郎氏および併記の濱野智史氏論述内容とに偶然とは思えない強い符丁を感じないではいられなかった。消費社会、情報化社会と非物質的労働への称賛、生産行為の相対的低下、中央都市に搾取される地方の問題、人口減と超高齢化社会への移行など。それらのキーワードに象徴される数々の課題についての思考停止状態から引き起こされる恐るべき「凡庸な悪」の進行と対処方法としての日々の「凡庸な善」とはいったいどのような具体的営為なのだろうか?

 次回、まずは「なんとなく、クリスタル」(1981年1月町田有隣堂にて購入)および第二弾「ブリリアントな午後」(著者本人の1982.6.27サイン入り!、町田小田急内久美堂で購入)について、手元にあるその当時購入した蔵書をめくりなおしていろいろと考えてみよう。なにしろ、「考えないことこそ罪」なのだから。

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