梅の開花だよりの季節、まだ寒さの残る湯河原へ足をのばす。湯河原行きは久しぶりで、日帰りは別にして宿泊となると40年ぶりくらい。
1983年、研修先の小田急百貨店町田店で配属された総務課人事係の方々に連れて行っていただいて以来だ。夏のお盆過ぎの時期、休業日に自分を加えて男3、女2の総勢5人車で出かけたのだった。行き先は奥湯河原の「青巒荘」という露天風呂から滝が望めた老舗宿で、社員旅行の名残が残るノリでほのぼの和気あいあいとした雰囲気が懐かしい。女性二人がともに独身、対照的なキャラクターで面白かったし、男性社員のおふたりもいい方で若僧に対してやさしかった。いまでも思いだせば、なんともいい思い出だ。
小田原まで小田急線にのり、JR東海道線に乗り換えて一時間ちょっとで湯河原に着く。料金は片道1000円ほど、こんなに気軽に来れるなんて。駅前の雰囲気は当時からあまり変わっていないように思えるけれど、駅正面口前の広場には大屋根が張り出していた。足湯ならぬ無料手湯の設備もできている。
もうロータリーバス乗り場には梅林にむかう行列ができていた。一台を乗り越して、吉浜方面から幕山へと向かう。公園のなかは「梅の宴」の最中で、たくさんの屋台と人出があり賑わっていた。大気はひんやりと澄んで、肝心の梅は七分咲きといったところ、ちょうど見ごろだ。ここの梅林は山裾にそって一面に植えられている様が壮観で、これで青空が出てくれたなら咲いている紅白が映えて見事なのだけれど、あいにくの曇り空がちょっと恨めしい。
遊歩道の両側に咲く枝垂れや紅白梅を愉しみながら、つづら折りに上がっていく。視界がだんだんとひらけていって気持ちが晴れ晴れとしてくる。少しずつ雲が切れてきた。やがてお昼過ぎ、広場の舞台では民謡と津軽三味線の演奏が始まり、折り畳み椅子席へと園内の観光客が集まってくる。文字通り、梅の宴たけなわといったのどかで平和な光景だ。
演奏が終わるとすぐに駅への連絡バスが出るというので、会場をあとにする。ふたたび駅前に戻って、そこから街中を宿まで歩いて向かう。公園の先にその名称も懐かしい「ゆがわら万葉荘」がみえてきた。かつて公共宿泊所だったままのレトロな三階建ての建物で、広めの敷地は人工滝と池のある庭でゆったりとしている。室内も同様でひろめの和洋室、窓からは庭の全景が見下ろせ、千歳川をはさんだ低い山のつらなりは静岡県熱海市だ。川沿いにすこし歩いて行けば、海浜公園と相模灘がひろがる。
さっそく、温泉に浸かろう。脱衣場の天井は高く、外から見た時に気になった一見民家風の三角屋根はここだったのか。さほど広くはないけれど、清潔で石張りのなかなか豪華な湯舟に浸かる。かけ流しのお湯は癖がなくて柔らかく、これぞ宿の温泉浴場といった感じで、寛げることこの上なし。
湯上りに千歳川沿いを上流へとぶらぶら、東海道線と新幹線高架を越えて元湯温泉方面へと向かってみるが思いのほか先なので、首大仏で有名な福泉寺を見物してから宿へと引き返すことにした。よく手入れされた境内で、こちらの本堂はなんと茅葺屋根だったことにちょっと驚く。
夕食は大広間で揃っていただく。日曜日なのに思いのほか宿泊客が多い。おそらくゆったりとした空間で浴場もきれい、手頃な料金とそのわりに豪華な海鮮会席にリピーターが多いのかもしれない。
食後二度目の入浴してから、ここ湯河原で愉しむために最後の第三部を残しておいた読みかけ小説「街とその不確かな壁」を読みはじめる。40年ほど前の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を彷彿とさせるストーリ、久しぶりの村上ワールドに浸りながら、湯河原の夜は更けてゆくのだった。
湯河原梅林と背後の幕山(撮影:2024.2.18)