日本の降伏に先立つ事、2年、1943年11月連合国(米英中)は、適当な時期に、朝鮮を独立
させるとの、カイロ宣言を発表します。
適当な時期とは、日本が朝鮮から引き揚げた時と解釈して、建国に励みます。
しかし、連合国側には、そんな意思は毛頭なく、米ソで、38度線を境に、分割し、それぞれが、
占領、統治することを、暗黙のうちに決めてしまいます。
ここから、朝鮮民族の、苦難の道がはじまりました。
米国としては、独立させれば、ソ連の南下を防げないと考え、当分の間、連合国の信託統治
下に置こうとしたのです。
このことは、南北朝鮮民族に、激しい失望を与え、反米抗争の火種を抱え込ませることになり
ました。
南北の民族主義者たちは、真の独立の機会を狙って、活動するのですが、このことが、ソ連
におぼえが良く、頭角を現した、金日成に、南進の口実を与えることになります。
1950年6月25日、北は、ソ連の大規模な武器援助を得て、38度線を越え南下します。
こうして、朝鮮民族を分断する、悲劇の歴史が始まりました。
3年にわたる戦争ののちに、38度線付近に、非武装地帯を設置して、休戦することになりま
すが、未だに、戦争が終結しないまま、板門店で、交渉が続けられています。
今回は、非武装地帯を越えて、軍隊を南下させるために、北が掘ったトンネルの中でも、最も
大きな、第3トンネルを見学しました。
ソウルから、最も近い非武装地帯は、50km位しかありません。
途中までは、将来は北へ続く高速道路ですが、現在は、未完成です。
非武装地帯に近付くにしたがい、警戒が厳しくなります。
トンネルの現場は、地下に降りるケイブルカーが設置され、許可を受ければ、誰でも入ること
が可能です。
資料館もあります。
広場には、統一を願うモニュメントが置いてありました。